表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
184/257

173話「叱咤の呪い」



「――しっかりしなさい、ノクティア!」



 鼓膜を(つんざ)くような鋭い叫びが、私の思考の霧を強引に晴らした。


 視界の端で、私の肩に乗っていた小さなアルフェッカが跳躍するのが見えた。彼女の透き通るような銀色の髪が、意志を持つ生き物のように急激に伸長し、私の喉元へと迫っていた刺客の白刃に絡みつく。


 ――キィィィィィィィン!!


 金属同士が擦れるような不快な音が響き、刃の軌道がわずかに逸れた。けれど、分体である彼女の力だけでは、大人の男が全体重を乗せた刺突を完全に防ぎきることはできない。


「くっ……重いわね……!」


 アルフェッカの小さな顔が苦悶に歪む。


 逸れたはずの剣先が、再び私の方へと向き直る。死の予感に全身の毛穴が逆立ち、私はまたしても無様に目を閉じることしかできなかった。


 ――ドサッ、という鈍い衝撃音。


 想像していた痛みは来なかった。代わりに鼻を突いたのは、鉄錆のような、生暖かい血の匂い。


「……あ……」


 恐る恐る目を開けると、そこには見覚えのある、けれど今までで一番頼もしく、そして痛々しい背中があった。


「……ッ、はぁ、はぁ……間に合った……」



 ――ザラだった。



 彼女は私の前に割り込み、剥き出しの左肩で刺客の剣を受けていた。肉を裂き、骨を削る音が私の耳にまで届く。けれど、彼女は表情一つ変えず、右手に握った大剣を横なぎに振るった。


「がはっ……!?」


 至近距離で放たれたその一撃は、刺客の胸部装甲を紙細工のようにひしゃげさせ、男を広場の壁際まで吹き飛ばした。


 ザラは追撃の手を緩めず、残る刺客たちをその鬼気迫る剣幕で牽制する。


「ザラ! あなた、肩が……!」


「……私のことはいいのです。お怪我はありませんか?」


 彼女の声は、どこまでも事務的で冷徹だった。けれど、その左肩からはドクドクと鮮血が溢れ出し、彼女の重厚な装備を赤く染めていく。


「ない、けど……あなた、どうして……!? 私を置いて、逃げてもよかったはずなのに!」


 私の問いにザラが答えようとした、その時だった。


 路地の入り口から、幾多の鎧が擦れ合う音が爆流のように流れ込んできた。


「近衛騎士団だ! 各員、展開せよ! ノクティア様、ご無事ですか!」


 松明の光と、規律正しい兵士たちの怒号。


 加勢が現れたことを察知した刺客たちは、互いに目配せをすると、蜘蛛の子を散らすようにして闇の奥へと消えていった。


 静寂が戻った広場で、私はよろめきながらも立ち上がり、真っ先に中央の台座へと駆け寄った。


「シャウル! シャウル、しっかりして!」


 縄を硝子の破片――魔法ではなく、ただの物理的な破片として拾ったものだ――で切り、彼女を抱きかかえる。シャウルは依然として深い眠りの中にあり、頬は少し冷たかったけれど、規則正しい寝息に胸を撫で下ろした。


「……シャウル様もご無事のようですね。なら、よかったです」


 背後で、ザラがぽつりと呟いた。


 彼女は大剣を鞘に収め、止まらない血を右手で押さえながら、ふらりと出口の方へ背を向ける。その背中があまりに孤独で、そして突き放すようだったので、私は思わず声を張り上げた。


「――待って、ザラ! どうしてあなた、さっき私を助けてくれたの……?」


 彼女の歩みが止まる。


 重苦しい沈黙。遠くで響く銀髪祭の音楽が、この最底辺の広場には届かない呪いのように感じられた。


「……それが、私の仕事だからです。護衛対象を守る。契約に含まれています」


「……それでも、自分の身を盾にするなんて……! 私が死んでしまった方が、あなたにとっては都合がいいはずでしょ!? 妹の仇を討つ手間が省けるんだから!」


 私の叫びが、彼女の逆鱗に触れたのが分かった。


 ザラは猛然と振り返り、肩の負傷など忘れたかのような速さで私に詰め寄ってきた。


「――っ!?」


 私の鼻先数センチまで迫った彼女の瞳には、かつてないほどの激しい情念が渦巻いていた。


 彼女は私の襟元を掴まんばかりの勢いで、剥き出しの殺意と、それ以上の何かをぶつけてきた。


「勘違いしないでください、お嬢様」


 変質の気配。彼女の事務的で無機質な言葉が、剥き出しの、熱を持ったものへと変わる。


()()()はあなたが嫌いだ。反吐が出るほど憎んでもいる。……でも、あなたは。あなたが生きている今のこの一秒は、スピカが、あの子が命を懸けて守り抜いた結果なんだ」


 ザラの震える声が、私の胸に重く突き刺さる。


「こんなところで、名もなき刺客なんかに殺されるなんて、あたしが許さない。あなたは、あの子が遺した唯一の証明なんだ。……あなたはいつか、あたしがこの手で殺す。それまで、勝手に死ぬなんて絶対に許さない。……いいですか、分かったら二度と無様に這いつくばらないでください!」


 そう言い放った彼女は、憑き物が落ちたように視線を外した。


「……それだけです」


 と、いつもの冷淡な声に戻って短く残すと、彼女はふらふらとした足取りで、近衛騎士団の誘導する方へと去っていった。


 その傷だらけの背中は、もはや拒絶ではなく、呪いのような"期待"を背負わされた私の罪そのものに見えた。


 私はその場に立ち尽くし、彼女が消えた路地の先をいつまでも見つめていた。


 肩の上で、アルフェッカの分体がふう、と小さく溜息を吐き、穏やかな微笑を浮かべた。


「……信頼されてるわね、あなた」


「私が? 冗談はやめてよ。今ので分かったでしょう、彼女は私を殺す機会を狙ってるだけよ」


「いいえ。あれは、信頼よ。……不器用な、死神の信頼ね」


 アルフェッカは私の髪を一房、愛おしそうに撫でた。


「あなたはこんなところで死んでいい人間じゃない、って。スピカが命を懸けるに値する人間なのだと……彼女はそう信じようとしているのよ。加えて、叱咤でもあるわね。妹が守った命だ、それを有効に使え……と」


「……呪い、そのものね」


 私は苦笑した。けれど、不思議と身体の震えは止まっていた。

 

 私は眠り続けるシャウルを背負い、近衛騎士団の護衛を受けながら立ち上がる。


 肩にはまだ、ザラの血の温かさが残っているような気がした。

 

 やらなければならないことは山積みだ。


 "銀髪祭"を無事に終わらせる。そのための策が上手くいくかは、これからが肝要なのだ。


 自分の無力さに絶望している暇なんて、一秒も残されていなかった。

 

 私は重い一歩を踏み出した。


 西の空は真っ赤に染まり、間もなく夜が訪れようとしている。

 

 懸案事項を全て頭の片隅に寄せて、私は沈みゆく太陽に向かって、力強く歩き出すのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ