第74話 黄泉雲(3)
厩舎に預けられている馬たちが、続々と地下へと移動させられていく。元々馬を移動させる前提で作ったからか、その坂はかなり緩やかで広かった。
「ティアゴ。またすぐに会えるからな」
首の鬣を撫でながらそう言うと、ティアゴは大きな目でじっとこちらを見返した。しっかりとこちらの意思が分かっているようだ。馬は賢いとよく聞くが、最近になって彼の気持ちがより顕著に理解できるようになってきた。
「ほら、後ろがつっかえてるから早く頼みます」
厩舎の主が他の馬の手綱を引き、急かす様に叫ぶ。カウルはもう一度だけティアゴの首を撫で、その場を後にした。
「食料は十分に確保したが、他の生活用品も問題ないか?」
同じように馬の様子を確認し終えたアベルが、歩きながら聞く。
「ああ。大丈夫だ。空の色が濃くなってきた。そろそろ俺たちも戻ろう」
いそいそと走り回っている村人たちの合間を抜け宿に戻ると、既に客の大半が地下への移動を始めていた。初めて黄泉雲の襲来を目にしたのか、興奮して叫んでいる者までいる。
二階にある部屋に登り荷袋を回収したのち、カウルたちはすぐに地下へ向かう列に加わろうとしたのだが、階段を降りようとしたところで、窓の外に見知った顔を見つけた。
ダニーが、何かを叫びながら大人の男に縋り付いている。しばらく口論しているようだったが、最終的には彼は引きはがされ、大人の男は逃げるように離れていった。
むくりと起き上がったダニーは目元の涙を腕で拭うと、そのまま悔しそうな表情を浮かべたまま、村の奥へと走り去っていく。
彼の事情を聴いていたカウルは何となく胸騒ぎがして、荷袋を背から下した。
「……アベル。ちょっと俺の荷物を頼む」
「どうした?」
「すぐに戻るから」
強引にアベルに荷袋を押しつけ、そのまま階段を下りる。店主が「どこ行くのよ」と叫んだが、カウルは構わず外に出た。
先ほどダニーと口論していた男が居たため、彼に駆け寄り話しかけた。
「すみません。先ほどダニーともめていたようでしたが、どうしたんですか」
男は一瞬いらだった表情を見せたが、カウルの格好と腰の剣を見て表情を改めた。
「ああ。あいつ自分の亡くなった母親の遺体を回収してくれってうるさかったんだ。このままだと黄泉雲に連れてかれちまうってさ。可哀そうだが、死体は全て呪いで起き上がるからな。地下へ持ってくのは無理なんだ」
ダニーの母は今日中に火葬を行う手筈になっていたはずだが、間に合わなかったようだ。カウルは先ほど彼が走り去っていった方向を見つめた。
「遺体のある祭儀場はどこですか?」
「そこの道をまっすぐ進んで、突き当りを西にずっと進んだ丘の上だ。……まさか、ダニエルがそっちに行ったってのか? あんな子供が一人で大人の遺体を運べるわけがねえだろ」
「……母を失ったばかりの子供なんです。何をしてもおかしくはありませんよ」
時間はあまりなさそうだ。カウルは教えてもらった方向に急いで走り出した。
石作りの階段を上がり切ると、三神教の象徴である三つの輪と三角形が重なったような印が描かれた、ひと際綺麗な建物が現れた。中に飛び込むと複数の椅子と祭壇、三神を象った像などがあったが、人の姿はどこにも見当たらない。地下へ降りる階段があったため下りてみたが、棺が並べられているだけで他には何もなかった。
――ここには来ていないのか。
岩でできた丘の上にあるからか、祭儀場は他の家屋と地下通路で繋がっているわけではないらしい。ダニーがここへは来ず既に避難しているならそれはそれで問題無いが、先ほどの様子から見てその可能性はかなり低いと考えていた。
一階に戻り探索を続けたところ、裏口への扉が開いたままとなっていた。近づいて外を覗くと、赤原を見渡せる庭の中に黒い外套を纏った男と、彼に抱えられたダニーの姿があった。
「あれ? あんた、避難しなくていいの?」
なれなれしい口調。振り返った彼の顔は、少し前に目にしたばかりの黄泉雲派葬使、ウルマと呼ばれた男だった。
「その子を探しに来たんだ」
カウルはウルマの腕の中で意識を失っているダニーを見て答えた。
「ああ、これ? 地下の安置所の前で棺に抱き着いて泣いてたからさ。可哀そうで保護したんだよ。あんたの知り合いなら、連れてってくれない?」
ダニーは目を瞑っていたが、胸が上下に動いているため生きてはいるようだ。どことなく不信感はあったが、今のところ敵意のようなものは感じ取れない。カウルはゆっくりと彼に歩み寄った。
ダニーを受け取り抱える。
「あんたは避難しなくていいのか?」
「はっ。俺は災禍教の葬使だよ? 何で避難する必要があるのさ。この光景が見たくて、わざわざ寺院から下りてきてるって言うのに」
男の目線の先には、既にかなり接近している黄泉雲の姿があった。黒と紫の雲の塊。その下には無数の棒切れのようなものが揺れ動いて見える。
――まさか。あれが全て死体なのか。
数百、いや千を超えるだろうか。とてつもない数の死体が揺れ動き、こちらに向かって接近してきている。とてもこの世のものとは思えない光景。久しぶりに、カウルは心の底から戦慄した。
「黄泉雲派の人間だろうとあれに巻き込まれたら死ぬだろ。どうする気なんだ?」
「俺たちは黄泉雲と死霊術の専門家だからね。ある程度身を守る方法は身に着けてるさ。それに、葬使は担当の災禍に対して特権があるから」
「特権?」
何か、災禍教には自分たちの知らない秘密があるのだろうか。ウルマのあまりに自信ありげな表情に、カウルは興味を抱いた。
災禍教の各葬使が九大災禍の弱点を何らかの形で把握しているのだとすれば、彼がこれほど落ち着いていられるのも理解できる。もし死門の葬使も同様に死門の弱点を知っていたのなら、偽祈祷師が彼に接触した理由としては十分だ。
「その特権って――……」
カウルが質問を投げかけようとした、その直後だった。
黒紫に蠢く黄泉雲の中に、白い稲妻のようなものが走った。続けて耳をつんざくような咆哮。何百本もの刃物を突き付けられたかのような悪寒が体を覆いつくし、ぞくりと背中が震える。何だと思って視線を向けた直後、はっきりとそれの姿を目に入った。
蠢く漆黒の体に、全身から生えた棘のような突起。そして体毛のごとく纏うのは、雷にも似た白い亀裂。あの三つの金色の眼。間違えるはずがない。刻呪が、そこに立っていた。
――刻呪……!?
驚愕したのもつかの間、刻呪の纏った白い帯によって、黄泉雲は次々に切り裂かれていく。二つの巨大な呪いの衝突によって発生した強風が、全身を強く打ち付けた。
アベルの考察を聞いて、用心してはいた。だがまさか本当に現れるとは――……。
衝撃が駆け巡る。思わず手が震えた。
刻呪は黄泉雲の中に割って進むように、ゆっくりと一歩一歩前に進んでいく。それを見て、カウルはあれが死門と同様の事態を黄泉雲にもたらそうとしていることに気が付いた。
ロファーエル村を出てから四年半。ようやく、ようやく再会できた。
あれを倒せれば、父さんを、母さんを、モネとゴートを助けることが出来る。
今の自分には技術が、力がある。どこまで通用するかはわからないけれど、呪いを受けたあの時とは違うのだ。
「うわっ。すっごいなあれ。黄泉雲を切り裂いてるよ」
自分の信仰する災禍が今まさに得体のしれない怪物に攻撃されているというのに、不自然なほど落ち着いているウルマ。カウルはダニーを抱えたまま、もう片方の手を剣の柄に当てた。
「お前の特権っていうのは何なんだ? それがあれば、死人に襲われずに黄泉雲の中を進めるのか」
「どうしたの急に? 顔色を変えて。早くその子を安全な場所に連れて行ってあげなよ」
もちろんそんなことはわかっている。だがここで、この男から目を離してはいけないと、本能的に感じていた。
偽祈祷師が死門の中を進むために死門派葬使と関わり合いを持ったのだとしたら、黄泉雲の中を進むためにも当然、黄泉雲派の協力を仰ぐはずだ。どうして災禍教が偽祈祷師に協力的なのかは知らないが、この男の落ち着きようから見て、その可能性は疑惑を持つには十分すぎるほど高かった。
「答えてくれ。お前の力があれば、あそこに、刻呪に近づけるのか?」
そう言うと、ウルマはすんと冷静な目でこちらを見返した。
「刻呪って、それって確か、あれが封印されてた村での通称だよね。あんた、何で知ってるんだよ。おかしいな。あの村の住人は全滅したって聞いているけど、何者?」
刻呪のことも村のことも知っている。間違いない。この男は黒だ。偽祈祷師と繋がっている。
剣を抜きダニーを地面に置こうとした直後、何かが勢いよく地面から飛び出した。
濁った白い骨。それがカウルの足首をきつく握りしめている。
「なっ――!?」
黄泉雲によって蘇った死体ではない。黄泉雲は村への接近を続けているがまだ距離がある。これは死霊術によって使役された死体だ。
「黄泉雲の影響下で死霊術師、それもその代表である葬使に勝てると思ってるの?」
ウルマが面倒くさそうに指を鳴らすと、黒紫の煙と共に白骨化した死体が次々に地面から這い上がってきた。
「捕まえて」
ウルマの声と同時に飛び掛かってくる白骨たち。
丘の上。それもダニーを抱えたこの状態では分が悪すぎる。カウルは素早く足首を掴んでいた白骨の腕を切断し、後ろへと下がったが、祭儀場と崖に挟まれた場所であるため、逃げ道がなく一気に丘の端まで追い詰められてしまった。
胸ぐらを、腕を、肩を無数の白骨に捕まれ身動きがとれない。何とか振りほどこうと傷の呪いを込めた剣を振り回した結果、白骨の腕を切断すると同時に重心を崩し、体が崖の外へと弾き出された。
――しまった……!?
カウルはダニーを抱きしめ受け身を取ろうとしたが、勢いは止まらない。そのまま転がり落ちるように崖の下へと吸い込まれていく。
「あ~あ」
残念そうにつぶやくウルマの声が、耳の片隅にかすかに残った。
村から少し離れた場所に、小さな岩が密集している岩場があった。
「この辺りでいいか」
背中から棺を下し、ジョセフは大きく息を吐いた。
岩が壁になっているおかげでここならば何をしていても村から姿が見えることはない。目的を達成するには十分な場所だ。
黒紫に染まる空。いよいよ黄泉雲がここまで来たのだ。この時のために、緑の国から数か月かけてずっと一人で歩いてきた。
跪くように腰を落とし、そっと棺の蓋を撫でる。
「エイリス……」
もうとっくに動かなくなってしまった彼女の名前を呟く。自分の命を救ってくれた、一生守ると誓ったはずなのに、守り切れなかった彼女の名前を。
本当なら、そっとしてあげたかった。聖火で燃やし、三神様の元へ導いてあげたかった。こんなことをするのは彼女に対する冒涜であることはわかっている。けれど、仕方が無いのだ。どうしても、どうしても許せなかったから。
棺の蓋を開けると、綺麗に整えられた美しい女性の顔が現れた。
編み込まれた明るい茶髪に長いまつ毛。服装は重厚で、光沢のある青いドレスを着ている。棺に掛けられた保存呪術の影響か、まるで今にも起きて微笑んできそうなほど綺麗な遺体だった。
しばらく待っていると、ぴくりと、彼女の指が動いた。いよいよその時が来たのかと、ジョセフは緊張感を高める。
ゆっくりと瞳が開き、光を閉じ込めたかのような青い瞳がこちらを見据える。彼女は不思議そうな表情を浮かべながらつぶやいた。
「ジョセフ……?」
何度も再び聞きたいと思った声。何度も会いたいと願ったその表情。ジョセフは思わず涙を流して彼女を抱きしめたいという思いに駆られるも、歯を食いしばってその衝動に耐えた。
これは彼女では、エイリス姫ではない。彼女は既に死んでいる。その抜け殻を呪いが動かしているだけの、残滓に過ぎないのだ。
「どうしたのジョセフ? 怖い顔をして。ここはどこかしら。私寝ていたようなの」
いつの間にか、ジョセフは自分の手を強く握りしめていた。あまりに力を入れているせいで、爪が肉に食い込まみ、隙間から一筋の血が流れ落ちていく。
彼女は起き上がろうとしたが、棺の中に備わっている拘束具と呪いのおかげで、自由に動くことができないようだった。
ああ。彼女がこうして本当に生き返ったら、どれだけ良かっただろう。どれだけ嬉しかっただろう。どれだけ、本当にどれだけ――……。
無意識のうちに顔を近づける。しかしその瞬間、死体は物凄い速度で歯をむき出しにし、ジョセフの首元を噛み砕こうとした。
辛うじて押しとどまり、それをかわすジョセフ。
「ジョセフ。私なにか怖い。体が自由に動かないの。ねえ助けてジョセフ」
たった今の行為など意識の外にあるかのように、優しい声色で寂しそうな笑みを浮かべる彼女。
殺されかけてなお、ジョセフはそんな彼女の笑みを眺めることに、悲しさと嬉しさを感じていた。
「エイリス姫。貴方に教えて欲しいことがあります。そのために、私はここまであなたを連れてきました」
「教えて欲しいこと? 何ジョセフ。私、貴方の為なら何でも頑張れるよ」
これほど、残酷な呪いがあっていいのだろうか。
ジョセフはいっそこのまま彼女に殺され一緒に死体となった方が幸せなのではという思いに駆られつつも、拳に力を籠め続けることで何とかその誘惑に耐える。
思い出すのだ。自分が何のために彼女の遺体を盗んでここまで来たのか。なんのためにこんな真似をしているのか。
ジョセフは苦しみに耐えながらも、やっとの思いでここにきた目的である質問を投げた。
「エイリス姫。教えて下さい。最後に貴方が見た光景を。誰が、誰が貴方を殺したんですか?」
待ちに待ち望んだ瞬間。エイリスはにっこりとほほ笑んだまま、口を開いた。




