第73話 黄泉雲(2)
その村は、丸太で作った鋭利な柵と自然の岩を組み合わせた囲いによって、外との境界を作っていた。
退魔師であることを伝え門を潜り抜けると、まず目に入ったのは、髑髏が身をよじっているような印が描かれた、黒い外套を纏っている者たちだった。
厩舎にティアゴを預けたところ多くの馬や馬車が見えたので、彼らはこの村の住人ではなく、外から来た集団だと見てとれる。
「災禍教、黄泉雲派の信者たちだな」
前に見たことがあるのか、アベルがこっそりと教えてくれた。
補足するようにジョセフが言葉を続ける。
「この先は海までずっと人里と縁の無い荒野が続くからなぁ。黄泉雲から避難出来て、かつ安全に寝泊りできる場所となると、ここがもっとも祈りを捧げるのに適した場所なんだろうさ」
死門派の一部が偽祈祷師に関与しているかもしれないという話がある手前、カウルは彼らの姿を見て若干の不安を覚えた。災禍教の寺院で多くの信者たちの話を聞き、彼らの大半には悪意が無いことは理解していたが、それでも緊張感はぬぐえない。
「じゃあ、俺はさっさと宿に向かうよ。ずっと歩き続けて足が鉛みたいになっちまった。黄泉雲に祈りを捧げるために、こんだけ災禍教の信者が集まってるんだ。もしかしたら、部屋に空きが無いかもしれないしなぁ」
大きな棺を抱え直し、ジョセフが挨拶するように片手を上げる。
「助かりました。もし機会があれば、あとで食事でもおごらせて下さい」
「おお。そいつは助かるね。期待して待ってるよ」
笑みを見せ去っていくジョセフ。彼のひょこひょこと揺れる棺が完全に遠ざかったのち、アベルがふっと息を吐いた。
「かなりの実力者だな。あれだけ大きな棺を背負っているのに、体感が全くぶれず、隙もなかった。移動中も常に俺たちの動きに対応できる構えをしていた」
「やっぱり退魔師なのかな。呪術師や祈祷師には見えなかったけど」
「世の中には色々な職業があるからな。一概には言えないが、装備や荷物から見てその可能性は高いだろう」
アベルがあえて言及したのは、偽祈祷師のことがあるからか。油断しないように緊張感を高めさせたかったのかもしれない。
ニンジンを差し出すと、ティアゴは嬉しそうにそれをもりもり噛み砕いた。馬は食事の量が多いのに、あまり食べさせてあげられなかったのを申し訳なく思う。一本を食べきると、催促するように上下の唇をパカパカ開き、こちらを見つめてくる。
「ゆっくり休んでくれティアゴ。数日は、この村にいることになると思うから」
カウルが頭をなでると、ティアゴは短く鼻息を吐きそれに答えた。
宿の部屋は思いのほか空いていた。
宿の店主によれば、災禍教黄泉雲派の者たちは普段、西の山中にある寺院で静かに生活をしているらしい。しかしここ数年は黄泉雲の移動経路がこの村の近辺を通ることが多くなったため、わざわざ村まで下りて祈りを捧げるようになったそうだ。
村長との交渉により、彼らはこの時期だけ村外れの土地を貸し与えてもらっており、大半の信徒はそこで寝泊まりをしているから、宿を使う者の多くは、時期を逃して帰れなくなった旅人や商人ばかりとのことだった。
ティアゴの背から外し持ってきた荷袋を下す。服や食料、日常雑貨品のこすれ合う濁った音が鳴った。
「少し村の中を歩いてみようと思うけど。アベルはどうする?」
「俺は先に地下を確認する。安全かどうか確かめておきたい」
ジョセフの話によれば、この村の地下には黄泉雲襲来時に避難できるように、道や部屋が小さなアリの巣のように張り巡らされているらしい。地下道は村の中の他の家にも繋がっており、お互いに移動することも可能だそうだ。
確かにいざ黄泉雲が来て地下施設に不備があれば、なす術もない。カウルは納得し、自分も後で見ておこうと思いながら、部屋から出た。
村の規模としてはロファーエル村より少し小さい程度だろうか。店などはかなり少なく、目につくものは農具や木造の住居ばかりだ。唯一目立つ場所と言えば、宿に隣接している酒場くらいなものだろう。
――武器屋に寄ってみたかったけど、見当たらないな。鍛冶屋はあるようだけど、どちらかというと家具や日常品が中心みたいだ。
災禍教の駐在所にも寄ってみたが、ルシード街に残っていた死門派よりも排他的なようで、あまり歓迎されている雰囲気はない。すぐに村の中を回り終わったカウルは、とりあえず情報収集のために酒場へ向かうことにした。
周りを見渡しながら角を曲がったところで、小石のようなものが眉間に当たる。痛みに思わず顔をしかめると、七~八歳くらいの少年が慌てたよう駆けてきた。
「ごめん。石投げをしてて。兄ちゃん大丈夫?」
横を見ると、縄で作った輪のようなものが家の屋根からぶら下がっていた。どうやらそれで、的当てのような遊びをしていたようだ。
「ああ。大丈夫。……でも、出来ればもう少し道から離れた場所でやって欲しいな」
苦笑いしながらそう返したカウルを見て、少年ははっと気が付いたように顔を輝かせた。
「その恰好、兄ちゃん傭兵? 聴聞師? それとも退魔師?」
きらきらとした純粋な目。黒陽の国アザレアでは灰夜の国グレムリアほど退魔師が多くないと聞くから物珍しかったのだろう。
「退魔師だよ。グレムリアから来たんだ」
「へえぇ。すっげぇ。初めて見た!」
少年は興奮したように顔を輝かせた。
「グレムリアって一面灰色の世界って本当なの? でっかい砂漠とか荒野とか谷があるんでしょ」
「荒野と谷はあるけど、砂漠は正確にはグレムリアじゃないよ。グレムリアの南部から緑の国マグノリアの南部にまで広がってる別の土地なんだ」
「へえ! 騎士が巡回しないで、退魔師が村を守ってるって本当なの? 兄ちゃんもいっぱい村守ってた?」
次から次に質問が止まらない。どうしようか困ったが、興味津々な彼の顔を見ていると、ロファーエル村に居たころの自分のことを思い出した。あの頃の自分はずっと村の中にいることが嫌で、外の世界に強い憧れを抱いていた。行商人や退魔師が来るたびに気になって、よく酔っぱらった彼らの武勇伝を聞いていたものだ。
これといって、今は急ぎの用事もない。石垣の上に腰を下ろし、カウルは少しだけ彼に付き合ってあげることにした。
質問に答えるたびに少年は表情豊かに反応する。初めて赤剥と対峙したときのことを話すと、本当に怖そうに目を見開いていた。
気が付けば、日が沈み夕日が差していた。いつの間にかかなりの時間が経ってしまっていたらしい。
「ああ。やべ、そろそろ行かないと怒られる」
暗くなってきた周囲を見て、慌てたように石垣から飛び降りる。
「俺、ダニーっていうんだ。兄ちゃん名前は?」
「カウルだよ」
「そっか。また話せる?」
寂しそうにこちらを見上げるダニー。随分と感情が表に出やすい子だ。カウルは少し嬉しくなった。
「黄泉雲が離れるまではこの村に居るつもりだから。大丈夫だよ。また話そう」
「わかった。ありがとね」
カウルの返答を聞いたダニーは笑みを浮かべ、そのまま駆け出していく。動きが全て全力なのは子供所以だからだろうか。なんだか微笑ましい気持ちになり、カウルは自然と笑みを浮かべた。
酒場の中は予想していたよりも閑散としていた。
災禍教徒の姿は無く、数人の旅人や村人が静かに夕食を取っているだけだ。既に夕食を終えたのか、それともまだなのか、アベルの姿は見当たらない。ジョセフが居たため声をかけたが、既に食事を終えたところのようで、「ああ。食うの早すぎたな。明日は一緒に食おうぜ」と冗談っぽく言われた。
簡素な食事を終えたカウルは、勘定を済ませるついでに、代金を受け取りに来た店主へ話しかけた。
最近の噂や出来事などを聞いてみるも、特に気になるようなことはなかった。賞金首の男が近くで目撃されたとか、禍獣の出没情報だとか、どこの村でも聞くありふれた話ばかりだ。そもそもが大きな村ではないから、聴聞師などもあまり寄り付かず、情報が入ってこないだけなのかもしれない。
「ここは宿と隣接しているけど、向こうもあなたの店なんですか」
「ああ。そうね。あっちは主に女房に任せてるけどね」
カウルの問いに対し、店主は気さくに返した。
「黄泉雲が近づいていると聞きました。あれが離れるまでこの村にいるつもりなんですが、何か気を付けた方がいいこととかはありますか?」
「基本的には地下に籠っていれば問題はないさ。ただ食料は確保しとかないと駄目だね。宿に備蓄はあるけれど、金が掛かるし、黄泉雲の巡回が長引けばそれだけ食料も減るからね。在庫が減って来れば、提供できる量もおのずと少なくなるよ」
少しこの周辺で狩りや山菜取りでもしておくべきだろうか。幸いにも近くに山は多いから、頑張れば困ることは無いはずだ。
店主が話を続ける。
「あとはそうだね。当たり前だけど、絶対に建物の外に出ないこと。黄泉雲が来ている間に建物の外に知り合いを見つけても、絶対に宿の中に入れないこと。外に出ないこと。あれは死者を疑似的に生き返らせる呪いだからね。外にいるやつは、全て死人だと思わないと、あんたも巻き込まれるよ」
「なるほど……。一つ確認したいんですが、呪術大国であるアザレアでも、禍獣化防止のために、死者は火葬で弔っているはずです。蘇る死者はそれほど多くないような気がするんですが、どれくらいの数が居るんですか」
「基本的には火葬だけどね。旅の道中で盗賊や禍獣に殺されたり、崖から落ちたり、気が付かない間に死ぬ者は一定数いるだろ? 黄泉雲は太古より世界を巡回しているからね。五百年以上前は戦争も絶えなかったって言うし、そういった連中がつもりに積もってずるずると引き連れられてるのさ。しかも不思議なことに、その数は一定数を維持しているらしくてね。増えも減りもしないんだ。どういう基準で解放されるかはよくわかっていなくて、災禍教の中にはそれを研究題目にしている人間もいるって話だよ」
店主はぴんとはねた口髭を手で遊びながら、
「見えている雲の速度からいって、恐らく明後日の昼過ぎくらいにはここに到達しそうだね。あんたらにも地下の部屋に移ってもらうから、準備をするなら明日のうちに済ませておいた方がいいね」
黄泉雲が頻繁に接近する地区だけあって、その知識は深い。こういった話は下手に都市でうんちくを垂れている学者よりも、地元の人間の経験の方がずっとためになる。
明後日か。あのままジョセフに会わないで進んでいれば、間違いなく何も知らずに黄泉雲に飲まれていただろう。本当に危ういところだった。
「ご丁寧にありがとうございます。とても参考になりました」
「なら、お礼に後で高い料理を注文してね。待ってるから」
冗談交じりに微笑む店主。
「わかりました。うんとおいしいものを用意しておいて下さい」
軽口を返しながら席を立つ。宿屋は隣接しているから、いちいち外を出なくても扉を潜るだけで部屋に行ける。これも黄泉雲対策の一つなのだろう。
階段を上がって木窓の外を眺めると、黒紫の雲が昼間よりもぐっと近づいて見えた。これほど九大災禍に近づくのは、死門以外では初めてのことだ。
何も起こらなければいいが。
カウルは密かに、そう願った。
何やらごそごそと物音が聞こえ、目を覚ました。
ベッドから顔だけを覗かせ横を見ると、アベルが自分の荷袋をあさり、なにやらごちゃごちゃと手を動かしている。
「起きたか」
カウルの視線に気が付いたのか、ちらりとこちらを見上げた。
「何をしてるんだ?」
「少し、荷物整理をな。落ち着いて荷袋の中身を広げられる機会が無かったから、今のうちにしておこうと思ったんだ」
床の上に薬草や着替え、武器の整備道具、魔女からもらった薬品筒などが乱雑に並べられている。
カウルはあくびをし、ベッドから起き上がった。
「明日の昼ぐらいには、ここも黄泉雲の影響下に入るらしい。何か買ったり売ったりするなら、今日の内に済ませておいたほうがいいってさ」
「ああ聞いたよ。俺は食事をする必要もないし、特に大丈夫だ。必要なら手伝うが」
薬品筒を持ち上げ臭いを嗅ぎながら、アベルが答えた。
どうでもいいが、あの薬品の中身は何なのだろうか。酷く気味の悪い香りが漂っている。
「なら、狩りと山菜取りを手伝ってくれないか。村で購入するのもいいけど、黄泉雲が近づいている状況で村人の食料を減らすのは、なるべく避けたい」
「そうか。いい心がけだ。手伝おう」
何だか今日はいつもよりご機嫌が良さそうだ。目を這わせると広げている荷物の中に真新しい服が置かれていた。昨日村で買ったのだろうか。
不死身ゆえに自分の体を犠牲にすることが多いアベルは、よく服を破壊して裸になりやすい。それなのに彼自身は服に興味とこだわりがあるらしく、皮肉が効いていた。
元々貴族や家柄のいい商人だったのだろうか。どうせまた破けるのにと、カウルは静かに彼の未来を残念がった。
山に入って数刻で、カウルたちは運が良く一頭のヘラジカを発見した。
ヘラジカは鹿の中でも最大級の大きさを誇り、その巨体を活かした蹴りや突進はとても凄まじく、場合によっては熊よりも危険だと言われている。
ヘラジカは本来は臆病な生物だが、繁殖期になると縄張り意識が強くなるため、ふいに視界や接近した生物がいると攻撃的になる傾向がある。そのため近づいたカウルたちを目にしても逃げることは無く、むしろ怒ったように襲い掛かってきた。
ヘラジカは禍獣では無いが、正面から相対することが命がけであることには変わらない。二人はアベルを囮にすることで、ヘラジカの勢いを殺し、動きが止まった瞬間を狙って、カウルが首を斬り落とした。
禍獣を狩るのとは違う命を奪う感覚。もう何度も経験しているというのに、どうしても嫌な気持ちは拭えない。だが生きるためには仕方が無いのだ。どうしてか、この世界は奪い合うことでしか自分の存在を維持することが出来ないように、構築されているのだから。
体がとても大きいヘラジカは、背負って運ぶには重すぎるため、枝や蔓を組んで作ったソリに乗せることで、何とか村まで引きずっていった。
肉屋へ渡し解体を待っていたところで、カウルはつい昨日、話をしたダニーの姿を見つけた。家の手伝いをしているのか、木材の入った籠を背負い忙しそうに歩いている。こちらの視線に気が付いたダニーは笑顔で手を振ると、そのまま村の奥へと消えていった。
「何だ。ダニエルを知っているのか」
カウルの様子を見ていた肉屋の主人が、不思議そうに言った。
「ええ。昨日ちょっと知り合いまして。明るくていい子ですね」
「明るいか。まだ辛いはずなのに、あの年で立派なもんだよ」
「……どういうことです?」
肉屋の言い方に妙な含みを感じたため、カウルは聞き返した。
「あの子は、つい三日前に母親を亡くしたばかりなんだ。生まれつき体が弱かったみたいでね。病気だった」
まったくそんな素振りは見えなかった。
「それは……知りませんでした。元気そうに見えたのに」
「元々強い子だからな。病弱な母のために、幼いころから率先して家の仕事を手伝い、ああやって他の村人の手伝いをして生活費を稼いでいる。弱みを見せない癖がついちまってるんだろうよ」
「お父さんはいないんですか」
「とっくの昔の出て行ったよ。大工だったんだがな。あまりに儲けが無くて、借金を作って逃亡しちまった。まあようするに、ロクでもないやつだったってことだ」
分厚い包丁がヘラジカの肉を叩く。
「あいつの母は、村の外れにある三神教の祭儀場に置かれていてな。本来はみんなの都合を合わせて明日葬式をする手筈だったんだが、黄泉雲が接近してきちまったからな、今日中には火葬されちまうだろう」
あの年の子に対して、随分と残酷な仕打ちだ。ダニーのことを思うと、カウルは何ともいえない気持ちになった。
「だからもしあんたがあいつを気に入ってくれたのなら、話し相手になってやってくれ。小さな村だ。同年代の子供も少ねえし、きっと嬉しいはずだ」
「……そうですね。なるべく、気に掛けるようにします」
家族を失う気持ちはよくわかる。十四歳の自分でも辛かったのに、まだ小さいダニーにとっては世界が崩壊したようなものだろう。村に居る間は極力話し相手になって、気を紛らわせてあげたいと思った。
とくに用事の無かったカウルたちは、そのまま肉屋の主人とたわいのない会話を続けていたのだが、そこへ黒い外套を纏った男がやってきた。よじれた骸骨の印。災禍教黄泉雲派の信者だ。
「肉を買いたいんだけど」
「ああ。葬使さん。今日もごひいきに。ちょうどいい肉を提供してもらってね。少し待ててくれ。切り分けるから」
肉屋の言葉を聞いたカウルは、反射的に彼を見上げた。
三十代後半ほどの特に特徴の無い顔立ち。目の下に深いくまのある男だった。死霊術を扱っているからだろうか、ほんのりと腐敗臭のようなものが漂っている。
「なにか?」
怪訝そうに見返す男。彼の目を見た瞬間、カウルは言いようのない違和感を抱いた。
場を取り繕うように、アベルが口をはさむ。
「ほう。葬使とは、君が黄泉雲派の代表なのか」
「ああ。そうだよ。やむを得なくね。本当は嫌だったんだけど、前任者が禍獣にやられて死んじまってさ。仕方が無く後を引き継いだの」
年に合わず若い話し方をする男だ。何故ここまで妙な違和感が拭えないのだろうか。カウルは自分でも不思議だった。
「明日はいよいよ黄泉雲が来るそうだな。君たちにとっては、信仰上、最も重要となる日だろう」
「ああ……そうだね。楽しみにしてるよ」
葬使は随分と適当に返事をした。
「葬使さん。どうぞ。肉だ」
肉屋の主人がヘラジカの肉を渡す。葬使はそれを受け取ると、懐からいくらかの金を取り出し、肉屋へ返した。
「前から言ってるけどさぁ。葬使って呼び方やめてくれないかな。変に目立つじゃん。面倒くさいし、ウルマって名前で呼んでよ」
「ああ。悪いね。ほらウルマさん。おつり」
ウルマはお釣りの額を確認すると、何も言わずその場を後にした。
「今のが黄泉雲派の葬使か。随分と変わった男だな」
アベルがいつものように冷静な態度で言う。
「まあ不愛想だけど、特に問題がある人じゃないよ。俺個人としては、前の葬使の方が威厳があって好きだったけどな。黄泉雲派ってのは、元々生きた人間に興味が無い奴ばかりだし」
桶にくんでいた水をお杓ですくい、肉屋は両手を洗い直した。
アベルはカウルに口を近づけると、
「カウル。災禍教の葬使たちは、何年かに一度顔を突き合わせて議論を行う会があると聞く。もしかしたら、死門派葬使の情報を知っているかもしれない。後で探ってみよう」
「そうだな。わかった」
その提案はもっともだ。カウルは静かに頷いた。
そんなことを話していると、村の入口付近から数人の男が慌てたようにかけてきた。何かを伝えるように、大声を上げている。
「見張り台担当の連中だな。どうしたんだ?」
肉屋の主人が怪訝そうに目を細めた。
こちらまでかけてきた一人が、肉屋に向かって早口でしゃべりかける。
「肉屋さん。黄泉雲の進行が予定よりも速くなってる。多分、今日の夕方にはもうこの村も飲み込まれる。早く店じまいして、備えた方がいい」
「なんだと? そりゃ大変だ。急がねえと」
話を聞いた肉屋の主人は、慌ててヘラジカの遺体を袋に詰め始めた。
「黄泉雲の動きが早くなることはよくあるのか」
アベルが聞く。
「まあ、結局は雲だからな。風やなんやらの影響で進行方向や速度が変わるのは、日常茶飯事だよ。あんたらも早く宿に戻って荷物を地下に下ろした方がいいぜ」
そういって、切り分けてくれていた肉を袋に詰め、ぐいっと差し出す。
長年村に住んでいる人間がここまで慌てているのだ。急いだほうがいいのは事実なのだろう。
「肉の解体、ありがとうございました。また後で」
「おう。こちらこそ大量の肉をありがとうな。地下でたんまりと儲けさせてもらうぜ」
そういえばこの村の地下は各家が繋がるようになっているのだったか。カウルは肉屋の言葉に納得し、その場から切り上げることにした。
心なしか、風の勢いが増している。空気が変わってきたと、肌で感じ取れた。いよいよ本当に、九大災禍――黄泉雲が来るのだ。
宿に向かっていると、遠目に見覚えのある後姿を発見した。家に向かっている人たちとは正反対に、黄泉雲の方に向かって棺を担いだジョセフがゆっくりと歩いている。
「カウル。どうした?」
彼の姿を見ていなかったアベルが、呼びかけてくる。
「今ジョセフが――……」
既に彼の姿はどこにもない。気のせいだったのだろうか。
アベルの話を信じるなら、彼は実力のある退魔師だ。他人の事情に、変に口を出すべきではない。
「いや、……何でもない」
カウルは視線を前へと戻し、宿へと急ぎ走り出した。
いつの間にか村の空は、うっすらと紫色に染まり始めていた。




