第71話 魔女と奈落街(7)
裏呪術師連盟の屋敷に入ると、ネメアは中庭に通された。
中庭といっても植物は一切なく、木箱やら樽、机や椅子が無造作に置かれた、まるで路地裏の中にある広い空地のような場所だった。
そこには裏呪術師連盟の者たちが数人たむろしていたが、ネメアの姿を見てみなぴたりと会話をやめた。
「少しここでお待ちください」
そう言った後、細目の男が近寄ってきた若い女性に耳打ちし、何かを伝える。彼女はネメアをいちべつすると、小さく頷き、正面にある短い階段の先にある扉の奥へと消えていった。
部屋の中に案内されると思っていたが、こんな場所で尋問を行う気なのか。
左右の壁際には裏呪術師連盟の者たち。背後には細目の男。ネメアの逃亡を防ぐためか、それとも呪術対策か。こうも囲まれてしまっては下手な真似は出来ない。細目の男に関しては塔の学師と同等か、それに近い実力者のようにも見える。どうやら腹をくくるしかなさそうだ。ネメアはぐっと足裏に力を込めた。
金属のすれる音が鳴り、再び正面の扉が開いた。暗がりの中から三人の男たちが姿を見せる。二人は軽装鎧を着こんでおり、階段を下りるなり左右に陣取った。彼らに護衛されるような形で階段の中腹に座った大柄の男は、ネメアの顔を見ると、観察するように自身の顎に手を置いた。
歳は六十代半ばほどだろうか。整えられた顎鬚に、短い白髪を後ろへ撫でつけるような髪型。目を怪我しているのか左目に眼帯をつけており、上下に向かって伸びている火傷の痕が見られた。服装は金持ちの商人が着ていそうな茶色のチュニックの上に、何らかの動物の毛皮で出来た荒々しい外套を纏っている。呪術師と言うよりはまるで歴戦の戦士のようだ。一目見て、只者ではないことが見てとれた。
裏呪術師連盟の幹部? それとも尋問の専門師?
怯える気持ちを隠しながらネメアが見返していると、彼は静かな息と共に口を開いた。
「この街を仕切っているラグナルだ。裏呪術師連盟の代表を務めている。お前さんは?」
重々しく低い声。まさか代表自らが姿を見せるとは。想定外の人物の登場にネメアは動揺を隠しきれなかった。
「ネメア、です」
「そうかネメア。ここへ呼ばれた理由はわかっているか」
「街中で……あなたの部下を攻撃したからですか?」
自ら造影呪術のことを口に出す必要はない。あのチンピラたちがどこの誰かは知らないが、万が一造影呪術のことを隠せる可能性にかけてそう言った。
「違う」
ラグナルがネメアの背後に視線を向ける。すぐに、細目の男が説明を始めた。
「この奈落街は我々の庭のようなものです。おかしな行動をしている者が居ればすぐに目につく。あなたは闇市で買物をするわけでもなく、商談や伝手を得に来たわけでもなく、ただ観察する様に奈落街の中を歩き回っていました。明らかに不自然な行動です。
そこで情報を得るために、あなたに盗賊をけしかけて様子をうかがってみました。あなたはそれを呪術で撃退した。そこまではまだ想定内です。だが、使った呪術には問題があった。
造影呪術は造影の魔女が最も得意とする技法。世界中見渡しても、現存する使い手はほとんどおりません。であれば、貴方が彼女の関係者であると考えざるを得ない状況にあります。
泳がせて行先を確認しようかとも思いましたが、造影の魔女の関係者とあれば、黒陽の国アザレアにとってその情報価値はとても高い。万が一気が付かれて警戒されるよりも、奈落街にいる間に拘束を優先すべきと判断し、ここへお連れ致しました」
淡々と朗読するような口調。どうやらあのチンピラたちは最初からネメアの素性を探るための当て馬だったらしい。緊急時だったとはいえ、敵陣の中で安易に造影呪術を使うべきではなかった。ネメアは激しく後悔した。
「俺は無駄なやり取りは嫌いだ。聞くことには正直に答えろ。真実を隠すのは自由だが、おすすめはしない。ここは拷問好きの変態や頭のいかれた呪術師がわんさかいる街だからな」
ラグナルの刃のような視線を受け、思わずネメアは背筋が寒くなった。今の言葉は決して嘘ではないはずだ。
「お前は造影の魔女の仲間か?」
声に呪いでも込めているのかと疑いたくなるほどの威圧感。
ネメアはすぐにでもマヌリスのことを口に出したかった。彼女に支配されていると、彼女が街に害をもたらそうとしていると。だがそれは叶わない。隷属呪術のせいでネメアは彼女の害になる発言や行動をすることが出来ないからだ。自分と彼女だけの間で完結する尾行までならともかく、ここでマヌリスの名前を出すことは明らかに契約違反。間違いなく彼女の害となる。
一生懸命に喉を動かそうとしても声は出ない。ただ小さな息だけが口から漏れた。
「話す気は無いということか」
ラグナルがそう言うと同時に、背後に立っていた細目の男がネメアの肩に手を乗せる。その瞬間、全身に大量の虫が這いずり回るような不快感と共に、強烈な痛みが駆け抜けた。
我慢することが出来ない。思わず絶叫し体を前後に激しく揺らす。逃げようとしてもなぜか体は動かない。ただ想像を絶する苦しみだけがそこにあった。
片手をあげるラグナル。それを見て、細目の男が手を離した。途端、何事も無かったように痛みと不快感が無くなり、体の感覚が戻ってくる。ネメアは全身から汗を流しながら、正面の階段に座っているラグナルを見返した。
「もう一度だけ言う。――話せ」
有無を言わせぬ声音で、短くそれだけを言い放つ。
どれだけ拷問されても答えることが出来ない自分にとって、この状況は地獄以外の何物でもない。こんなことを続けられれば、記憶を取り戻すよりも前に精神が崩壊してしまうだろう。
造影の魔女が行ったのはアザレア城の襲撃だ。裏呪術師連盟とは関係はないはず。何故ここまで気にするのだろうか。黎明の塔や王家との交渉材料に使う気なのか。それともマヌリスと手を組みたいのか。既に組んでいるから敵対者として疑っているのか。ネメアにはラグナルの心理が読み取れなかった。
何も答えないネメアを見て、面倒くさそうにラグナルが顎で合図を送る。それを見て、細目の男が再びネメアの肩に手を置こうとした。
「待って」
直前で叫ぶ。ネメアの声を聞いた細目の男はそこで動きを止めた。
「私は、何も言えない。言う事が出来ない」
ネメアは痛みと恐怖の中、必死に考えを巡らせた。手の甲をラグナルへ向け、呪印を見せる。
「何をしてんだ? 自分は裏呪術師連盟の一員だって言いてぇのか?」
周りの構成員たちが馬鹿にするように野次を飛ばしてきたが、気にしない。ネメアはそっとその手を自分の喉に当てる仕草を作った。
これが今出来る最大の意思表示。これ以上の行動は隷属呪術の制約に引っかかって阻害されてしまう。勘のいい呪術師なら察することは出来るはずだ。どうにか気づいてくれと願った。
顎に手を置いたまま、黙ってこちらを見つめるラグナル。しばらくして、彼は階段から立ち上がりネメアの眼前にまで歩み寄った。
「そ――……代表?」
細目の男が不思議そうに彼を見るも、構わずネメアの手を取る。彼が軽く指で何回か術式を描いた瞬間、ネメアの全身から黒い靄が吹きあがり、その体を包み込んだ。
頭の中に見覚えのない景色がぼやけた状態でぐちゃぐちゃに駆け巡る。気持ち悪さから、ネメアは自分の頭を押さえてその場にうずくまった。
指を離したラグナルは納得がいったように小さな息を吐いた。
「ふむ。契約呪術だな。それも一つだけじゃない。複数の高度な術式が絡み合うように付与されている」
「では造影の魔女が彼女に? 行動を強制されていたということでしょうか」
納得がいったように細目の男が言った。
「いやこれは普通の術式じゃない。呪術師や、ただ呪いを受肉しただけの魔女には出来ないやり方だ。間違いない。“あいつ”が関与している」
「まさか……術者は彼だと?」細目の男が聞く。
「奴とあの魔女が一時期行動を共にしていたことは聞き及んでいる。ありえない話ではない」
さっきから何の話をしているのだろう。ネメアには二人の会話が理解できなかった。
呪いを無理やり表出させられたせいでとても気分が悪い。ネメアが項垂れていると、
「どうやらようやく当たりを引き当てたようだ。ついていたなお嬢ちゃん。準備と時間はかかるが、俺ならばこの契約呪術を一時的に緩和させることくらいはできる。知っていることを全て話してもらうぞ」
一時的に緩和? つまり呪いを短時間解除することができるということ?
それが本当であれば、マヌリスの事を全て伝えられる。彼女が造影の魔女であることも。王都ノアブレイズで何かをやろうとしているということも。
問題はそれが黎明の塔ではなく裏呪術師連盟に対してという事だが、情報は拡散するものだ。塔だって密偵の一人や二人くらい裏呪術師連盟に潜ませているはず。遅い早いはあるとして、いつかは事実が伝わる。
ラグナルがマヌリスをどうする気なのかは知らないが、この様子では彼女と協力関係にあるようには思えない。そして裏呪術師連盟ほどの組織力があれば、流石のマヌリスだって王都の中で身を隠し続けることは難しいだろう。少なくともマヌリスにとって状況が有利に働くようなことはないはずだ。
――こんないきなり……あっさり終わる? マヌリスの支配が……本当に?
あまりにも突然な出来事であるため、頭の整理が追い付かない。座り込んだままネメアが困惑していると、ラグナルは護衛を務めていた二人の部下に命令した。
「牢へ連れていけ。契約呪術の解析を行う。最低でも一週間はかかるはずだ」
細目の男が後ろに下がり、二人の男がネメアの両肩を掴む。
自分が帰宅しなければきっとマヌリスはすぐに異変に気が付く。恐らくもう二度と、あの家には寄り付かないはずだ。
――だ、だめ。そんなに家を空けたら……。
ネメアは口を開こうとしたが、やはり隷属呪術のせいで声が出ない。そのまま何も出来ずにラグナルの横を通り過ぎようとしたところで、ぐいっと、服の裾を彼に捕まれた。
「お前、ナハトという名前に覚えはあるか?」
「……ナハト?」
誰のことだ? まったく聞き覚えはない。
ただ頭の痛みだけは強く増していた。
「わ、わからない」
ネメアの答えを聞いたラグナルはじっと彼女の顔を見つめた後、
「……そうか」
短く答え、手を離した。
どうしてだろうか。それはどこか寂し気で、けれどどうしようもない怒りを抱いているような、そんな不思議な表情だった。




