第69話 魔女と奈落街(5)
じろじろと二人を観察しながら、小屋の番人は口を開いた。
「何か、用か」
テオは黙って腕をめくり呪言を唱える。浮かび上がった呪印を見て、番人の目つきが多少緩やかになった。
「何だそれ? 何かのまじないか?」
「冗談はやめてくれ。俺の顔には見覚えがあるだろう」
「さあな。俺はただここに住み着いているだけの貧困民だ。お前なんか知らない」
そう言いながら、片手をテオの呪印に当てる。黙って見ていると、一瞬呪印の輪郭が漆黒に輝き、そして消えた。
「……悪いな。呪印を確認するまで知らんぷりするのが手順になってんだ。最近は姿や言動だけじゃ信用ならねえことが多いからなぁ」
ごつい顔に似合わず、愛嬌のある笑みを浮かべる。
彼は小屋の中に戻ると、棚の上に置いてある籠の入口を開け、中にいる蛙の頭を軽く三度叩いた。
恐らく呪術で隠し通路の向こう側の人間と繋がっているのだろう。水音がしたので横を見ると、瞬く間に下水道を流れていた水が減っていく。
「そっちのお嬢ちゃんは初めてか」
門番の男が確認するようにネメアを見返した。
「ええ。そう」
「ならしっかりとそこの王子様に守ってもらえ。この先はお行儀の悪い連中ばかりだからな」
水が完全に引き、壁の下にあった柵が露わになる。
紹介してもらえば入れるという話だったが、身分確認も理由も何も聞かないのか。大層な仕掛けを使用しているわりには随分と敷居が甘い。ネメアは拍子抜けしつつも、黙ってテオの後に続いた。
軽装鎧を着こんだ男が柵を開け、中へ入るように促す。彼に従って壁の下を潜り抜けると、反対側には先ほどまでと同じような下水道と小屋があり、数人の傭兵たちが屋外に置かれた机の上で賭博に勤しんでいた。
「奈落街は色んな場所と道が繋がってるからな。各入口付近にそれぞれ門番を置いてるんだ。奈落街自体はもっと下にある。しばらく歩くぜ」
ぼそっとテオが耳打ちする。
下水道を進むにつれ段々と周囲の景色が古びたものへと変わっていった。地下通路と言うよりは、まるで天然の鍾乳洞のようだった。
何度か曲がったり下りたりを繰り返した後に、大きな壁の前に出る。傭兵の男が壁の一部に手を触れると、仕掛けが作動し壁が上へと上がっていった。その奥にはさらに大きな金属製の両扉がある。
「ようこそ。奈落街へ」
一言だけ述べた傭兵の男は、ネメアたちの扉の前まで行かせた後、後ろの通路に残り何かを触る。すると先ほど上がった壁が下り始め、男の姿はすぐに見えなくなった。
「ここが正門だ。入るぞ」
扉のノブに手を置き、めいっぱい引くテオ。
まず視界に飛びこんできたのは、長い下り坂だった。両側を複数の石作りの街灯で挟まれ、そのすべてに火が灯っている。そしてその道の先に、地底湖に浮かぶ大きな街があった。
地下にあるからてっきり暗い世界だと思っていたのだが、街を挟んで反対方向の岩盤が吹き抜けとなっており、そこから複数の太陽光が差し込んでいた。さながらその姿は、木陰に咲く巨大な花のようにも見える。
「驚いたか? 王都ノアブレイズ周りの土地は比較的高度の高い位置にあるからな。王都の後ろにある崖側なら、こうして光が届くんだ。傾斜が急すぎてあそこから侵入するのは不可能だけどよ」
確かにこれだけ十分な光があれば、植物や家畜を育てるのにも困らなそうだ。地下にあることから禍獣による被害もほとんどないだろうし、住み着いた者たちが離れたくないという気持ちもよくわかる。
「なんだか綺麗だね」
建物や街並みが整っているわけではない。 ただ、大空洞の湖に浮かぶ街を光の柱が照らす、その光景そのものが、ネメアの胸に強い感動を呼び起こした。
石作りの通路を進み街の中に足を踏み入れると、そこには木造式の建屋が立ち並んでいた。貧困街というだけあって、作りは荒くぼろぼろの恰好をした者たちが多くうろついている。中にはじろじろとこちらを眺めてくる者もちらほら居た。
「入口付近は特に貧しい連中が多いんだ。身なりの綺麗な部外者が入ってきたら、スリや恐喝の対象として狙われやすい。まあ、今回は俺が居るから心配すんな」
同年代に比べて少しだけやんちゃな外見をしているテオは、威嚇するように周囲に目を効かせた。
「呪印を使った厳しい確認をしているのに、どうしてああいう人たちも入ってこれるの?」
「たいていは呪印持ちが労働力や呪術の実験用として連れてきた人間だな。真っ当な仕事じゃ飯を食えないから汚い仕事でもなんでも構わないって野郎だったり、いざこざに巻き込まれて隠れるために、金を払ってわざわざやってくる奴もいる。
実際のところ、奈落街の存在は別に秘匿されてるわけでもねえんだ。呪印での管理はどちらかっていうと、一般人が誤って入ってこれねえようにするための意味合いが強い。表向きには敵対しているが、黎明の塔や貴族の中にも、定期的に利用してる奴がいるって話だぜ」
思っていたより公式に組織や市場として認められている場所なのだろうか。ネメアは意外に思った。
「それで、どこに向かえばいいんだ?」
テオが聞く。
「とりあえず、呪印師のところに連れていってくれる?」
マヌリスを尾行するたびにテオを呼ぶのは面倒だ。万が一マヌリスの目に留まれば、彼が害を受ける可能性もある。
「いいけど。入るだけならともかく、呪印は簡単にはもらえねえぜ。俺みたいに裏呪術師連盟に所属している兄貴の紹介だったり、何度か裏の仕事を受けて信頼を勝ち取ったりしねえとな。大金を払えば呪印師次第では何とかなったりもするが」
「……そう思って、お金は用意してきた。これで足りる?」
ネメアは腰につけていた荷袋の中から金属のこすれる音のする、ずっしりとした袋を取り出した。
「おい、こんな大金、どうしたんだ? お前別に貴族ってわけでも無いだろ」
「師匠が金持ちでね。お金には困っていないの」
ネメアは家計のために生活資金の管理をマヌリスから任されている。彼女は人形売買や何やらで相当儲けていたようで、これはそこから勝手に抜いてきたお金だった。
テオは銭袋を手に取り中身や重さを確かめると、
「これなら大丈夫かもな。奈落街の連中は金にはがめついし。太客だと思えば、向こうも逃がしたくはねえだろう」
今更仕事を受けてちまちま信頼を勝ち取っている時間は無い。最悪テオの恋人でも名乗って何とか押し切ろうかと考えていたが、そこまでしなくてもすみそうだ。ネメアはほっとした。
入口付近から離れてまっすぐ進んでいくと闇市に出た。
呪具店、薬草店、調合店、武器店、呪術書店、人体や禍獣の体の一部を売る店など、その種類は実に豊富だ。
地上の呪術点では絶対にお目にかかれない品ばかりだったため、ネメアは興味を惹かれ、少しだけ中を見て回ることにした。
明らかな偽物や粗悪品の呪具から、表の市場には決して出回らない禁術書や危険物なんかも販売されている。中にはどうしてか黒煙騎士の剣や盾なんかも、高額で取引されていた。
「あの天幕は?」
道を横にそれた先に、警備付きの大天幕がいくつかあった。客が出入りしている様子を見るに、何らかの店のようだ。
「ああ……見てみるか。入ってみればわかる」
なぜかあまり気が乗らなそうにテオが答えた。
天幕の中には複数の檻と棺が並んでいた。柵の隙間からは、獣や禍獣のような生き物が閉じ込められている様子が見える。
各棺や牢の前には値札がかかっており、どうやらあれが商品そのもののようだった。
棺を見ると、蓋が少し開いて中が覗けるようになっていた。中には人間の死体が目を瞑って横たわっている。
「死霊術用の死体だよ。それも、美しい貴族の娘や有名な剣士だったりな。襲撃とかで死んだ奴らを盗賊から買い取って、ここで売買してるんだ。上の街じゃ死体なんて売ったらすぐに市民から批判がくるからな。塔以外の死霊術師たちはもっぱらこの店を愛用しているって話だぜ」
気持ち悪そうに口をへの字に曲げるテオ。
「あっちの牢は?」
「ああ、あれは獣や獣魔だな。どれも本来は捕獲が禁止されてる希少種や危険度の高い種類のものばかりみてえだ」
獣魔。獣に少量の呪いを受肉させて使い魔や武器として操る技。緑の国マグノリアで盛んに使用され、塔の中でも研究が行われているれっきとした呪術だ。どうやらこの天幕はそういった生物に関わる商品を売る場らしい。
訪れている客たちは目を輝かせて商品を眺めていたが、ネメアには専門外だったため、その良さはよくわからなかった。
テオの気分が悪そうだったため、見学は程々にして天幕を出た。いくつかの店の横を通り抜け坂を下りていくと、開けた場所に出た。
上の街であれば公園や英雄の像やらが並ぶような場所だったが、ここで中心に置かれていたのは大きな焚き火台と、複数の絞首台だった。つい最近刑に処されたのか、二体の死体が縄にぶら下がり、風に揺らされている。絞首台の前には立札のようなものが設置され、そこに罪状が書かれているようだった。
興味本位から見てみると、罪状には横領と記載があった。商品の売り上げに虚偽を混ぜ、裏呪術師連盟への上納額をごまかしていたらしい。
「お前も気をつけろよ。街を仕切っている裏呪術師連盟の機嫌を逆らえば、俺たちだっていつああなってもおかしくはねえ」
あれほどにらみを利かせて歩いていたにも関わらず、この広場に入った途端、怯えた表情を見せるテオ。よく見ると、広場のところどころに武装した呪術師らしき者たちの姿があった。闇市の方でもちらほら見た格好だが、彼らが裏呪術師連盟の構成員ということだろうか。
「お兄さんが彼らのお仲間じゃなかったの」
皮肉交じりに聞くネメア。
「そ、そうだけど。兄貴はまだ下っ端なんだよ。今のところは大した影響力はねえんだ」
小さい声で怒りの表情を浮かべる。
あまりいじめてもかわいそうだ。ネメアはそれ以上追求しないことにし、テオから目をそらした。
広場の左右には天然の岩がいくつか残っており、間にある階段の先に、奈落街には似つかわしくない、立派な屋敷が立っていた。恐らくだが、あそこが裏呪術師連盟の本部なのだろう。
「いくぞ。こっちだ」
広場と繋がっている別の道へと移動するテオ。死体を見て萎縮してしまったのだろうか。彼の足の速さに、ネメアは思わず苦笑いを浮かべた。
手の甲に漆黒に輝く光の模様が浮かぶ。呪印師の老婆が満足そうに筆を離したのを確認し、ネメアは呪印の授与が終わったのだと悟った。
「これで完了だよ。な、そんなに時間はかからなかっただろう?」
にんまりと大きな口を左右に広げる老婆。ところどころ欠けた歯が露わになり強調される。
ネメアは自分の手を確かめてみた。施術はずっと見ていたが、特におかしな仕掛けや術式は何も確認できなかった。本当に素直に身分証明の呪印のみ、付与してくれたらしい。
「本当にこんな簡単に入手できるなんて」
「こんなに金を積んでくれたのなら、そりゃあ喜んでやるさ。それはあくまで初級の呪印だしね。大層なもんじゃない」
「初級?」
言葉の意味が気になり、ネメアは聞き返した。老婆はぼろぼろの机にひじを乗せながら、
「いいかい。奈落街の呪印ってのは、位で分かれているんだよ。信頼度に応じて授かる呪印の種類が変わり、上位の呪印になればなるほど入れる場所や権限が増える。あんたに与えたのは、あくまで奈落街への通行証程度の呪印なのよ。大したもんじゃない。権限を上げたかったら、街の酒屋か広場の掲示板に張り出されている依頼をこなして信頼を築き、依頼者に推薦してもらうしかないね」
地位証明として使われていることは知っていたが、呪印そのものでそれが区別されるということか。
ネメアにとっては奈落街に入ることさえ出来れば今は問題ない。もしマヌリスが上位の権限でしか入れない場所に立ち入ることがあれば、また話は変わるが。
「わかりました。ありがとう」
呪術師の老婆にお礼を言って店から出る。
「私の用事は済んだけど、あなたはどうする? どこか寄りたいところとかある?」
「いや。ねえよ。今は……あまり長く奈落街に居たい気分じゃねえんだ」
墜魔となった友人のことがこたえているのだろうか。それとも保身のためだろうか。テオはそっけなくそう答えた。
一応土地勘だけはつけておくか。マヌリスを尾行する上でも、道は知っておいたほうがいい。
「じゃあ私はもう少しだけ見て回るから。先に帰ってもいいよ」
「いや、俺が連れてきたんだ。出るまでは付き合う。ここはごろつきばかりだからな。なんかあって後で責められても面倒だ」
変なところで妙な責任感を発揮する。素行は悪いけれど、思ったよりも悪人ではないのかもしれない。ネメアは若干、テオの事を評価し直した。
その後、目立つ店や家の位置、道の組み方などを覚えながら歩き回っていると、ひと気の少ない場所で、長い階段が岩に沿って上に伸びている場所に出た。ここだけ雰囲気が妙に違う。
「この先は変な壁画や像があるだけだぜ。苦労して登るだけ無駄だ」
「壁画って?」
「五百年前に災禍教の連中が持ち込んだものだとさ。なんでもどこぞの遺跡から拾ってきたとか。噂じゃあ禁忌の魔女たちの遺物って説もあるが」
それは相当貴重なものなのではないだろうか。テオの話を聞いて、ネメアは逆に強い興味を持った。
「見たい。寄っていこう」
「はあ? マジかよ」
心底嫌そうに口を開けるテオ。さんざん歩かされた後だったため、この階段を見て絶望したようだ。
太ももの辛さに耐えながら階段を登り切ると、岩をくりぬいて作ったような小さな神殿が現れた。扉や天井は何もなく、ただ石柱と広い間取りだけが中に広がっている。
ネメアは恐る恐る中へ踏み込み、立ち並ぶ石像や壁画を見渡した。
長い時間が経った所為か、多くの石像が欠け原型を留めてはいなかったが、辛うじて形を見て取れるものもいくつかあった。
長い棒のようなものを構えた女性の像。呪術師は杖を武器として使う事など無いから、これはかつて存在したとされる魔法使いを模したものだろうか。石像の数が九体だから、九大災禍の元となった九人の賢者を表現しているのかもしれない。
奥まで進むとひと際大きな壁画があった。割れた岩を無理やり持ち運び組み合わせたようで、ところどころに大きな亀裂が目立たったが、不思議と色落ちは少ない。
黒い渦に飲み込まれる、川のように折り重なった無数の人々。彼らの表情はみな絶望に満ち、まるで地獄の苦痛に苛まれているかのようだ。そしてその渦の外に位置する場所に五匹の異形な獣が走り回り、人々の上に足を乗せる形で六匹目の獣が立っていた。
一体何を描いたものなのだろうか。それはあまりに異様で、恐ろしい絵だった。
なぜだろう。この絵を見た瞬間、ネメアは強い動悸を覚えた。絵の人々と同調するように胸が苦しくなり、頭痛がする。今にも胃の中身を吐き出してしまいそうだ。
頭の隅に誰かの姿が浮かぶ。灰色の外套を纏った赤毛の男。怒りに満ちた顔。自分を見つける悲し気な目。これは……――。
「お、おい大丈夫か!」
異変を察知したテオが駆け寄る。その声で、ネメアは我に返った。
地面につく手。いつの間にか屈んでしまっていたらしい。
――まただ。……また……。
以前にも目にした男の幻影。
あれは一体誰だ。なぜこの壁画を見て思い出した? 私は何を忘れている?
脳が混乱し思考が整理出来ない。ただ激しい心臓の音だけがじっくりと感じられる。
黒い靄のようなものがうっすらと全身を取り巻く。次第にそれは半透明になり、かき消えていった。
「何だ今の靄? 誰かの攻撃か?」
ネメアの記憶を縛っている呪いを見て、周囲を警戒するように見渡すテオ。呼吸を整えると、ネメアはそっと立ち上がった。
「大丈夫。今のは――」
喉から声が出ない。この感覚には覚えがある。どうやらマヌリスとの隷属契約と同様に、記憶の呪いにも秘密保持の縛りが掛かっているらしい。
「持病みたいなものだから。気にしないで」
辛うじてそれだけを吐き出す。
テオは何か言いたげだったが、ネメアの表情を見て口を留めた。何か事情があるのだと、察してくれたようだ。
恐る恐る壁画を見直すも、先ほどのような異常はもう起きない。ただよくわからない悲しさと、気持ち悪さだけが残っていた。
記憶を失った自分を見つけたのは、マヌリスだった。彼女の家の近くで自分は倒れ、そこには誰かが争ったような跡が残っていた。マヌリスが全てに関わっているのなら、この壁画の答えもきっと知っているはずだ。
深いため息を吐く。
大体の場所は見回った。後は本番として、マヌリスの行先を突き止めるだけだ。彼女を捕まえることが出来ればそれで、全てが明らかになる。
確証なんてない。ただ、そう思い込まなければ、ネメアは胸の奥に巣くう得体の知れない恐怖に、押しつぶされてしまいそうだった。




