第68話 魔女と奈落街(4)
黎明の塔は主塔とそれを囲う円形の庭園を中心に、大きく分けて四つの区画によって構成されている。
塔の東側には正門と使用人居住区、学徒寮。
塔の西側には土や台地を必要とする、屋外実習室、獣魔研究設備、死霊術研究設備、薬草学研究設備など。
塔の北側には旧教育棟や倉庫。
塔の南側には黒煙騎士の詰所。
そして中心となる塔自体も、塔中央上位区画、塔中央下位区画、塔西区画、塔東区画の四つに分かれていた。
塔の西区画と東区画は各四階建てで、主に学徒が呪術を学ぶための教室や実験施設、一部の研究室などが設けられている。
塔中央下位区画では、一階に食堂を兼ねた講堂、応接室、三階まで続く大書庫が併設され、四階から五階には屋内向けの学師の研究室が設置されている。
六階から最上階にかけての塔中央上位区画は、塔関係者や王城の高官、塔専属呪術師の区画であり、学徒が立ち入ることは基本的に許されない。
なお、塔の西区画と東区画は後年に増設された設備であり、塔建設初期には中央部の主塔のみが存在していた。
異常な建築難易度と、円形の庭に囲まれた箱の上から太い黒い柱が槍のように上へ伸びているように見えるその異質さから、初期の建設にはかつてこの世界に存在したとされる、魔法使いが関与したのではと噂する者もいた。
主塔の十階から一階までの移動は階段のほか、三つの昇降機を使うことも可能だが、昼食時には多くの学徒や学師がこぞって移動を試みるため、平民出身の者や上階に研究室を置く学徒の中には、講堂へは向かわず持参した弁当で昼食を済ませる者も多かった。
ネメアも別に昼食は弁当で済ませても良かったのだが、所属する類感・感染研究室が塔中央の四階という、講堂までは比較的近い位置にあることと、フィォーネやマープルの希望もあって、彼女たちと昼食を共にするために徒歩で講堂まで下りることが日課となっていた。
「それでね。師匠ったらすんごいんだから。呪術師の癖に剣術まで巧みでさぁ。前に大きなトカゲみたいな禍獣に襲われた時も、踊るように攻撃を避けて倒しちゃったんだから」
パンを頬張りながら、自慢気に話すマープル。自分の師である呪術師の話をするとき、彼女の目はいつも子供のように輝いていた。
「呪術も剣術も出来るって、黒煙騎士みたいね。あなたのお師匠様って、元黒煙騎士だったりするのかな」
マープルとは正反対に、上品にマナーに気を付けながらニンジンをフォークで口に運ぶフィオーネ。
「違うよ。師匠は生まれも育ちも田舎って言ってたもん。昔付き合ってた相手が傭兵で、そいつに教わったらしいよ」
「ふう~ん傭兵か。呪術師と傭兵なんて珍しい組み合わせね。でも呪術も剣術も使えてそれほど腕があるのなら、黒煙騎士になればよかったのに」
黎明の塔やアザレア王家に尽くすことこそ、呪術界で最上位の生き方と考えているフィオーネにとって、マープルの師の立場は理解できないようだ。続けざまに問いを投げかける。
「マープルは目指さないの? 黒煙騎士。せっかく塔に入学したのに、勿体ないんじゃない? お師匠様もそのために塔に推薦したんじゃなくて?」
「え、ヤダよ。面倒くさそうだし。あの人たちって王家の命令で動かないといけないし、逆らえないんでしょ。私は師匠みたいに村々を巡って、人々を助けて回りたいんだから」
きっとマープルの師は、昔ながらの地域に根差した呪術師なのだろう。選択肢を増やすためにマープルを黎明の塔に入学させたみたいだが、マープル本人は師に対する憧れが強いようだった。
「それよりネメアったらどうしたの? 今日妙に静かじゃん」
「ああ。ごめん。ちょっと考え事をしてて」
ネメアは愛想笑いを浮かべ、シチューをすくっていたスプーンをテーブルの上に乗せた。フィォーネもちらりとこちらを見る。
「体調が悪いの? ネメアは成績には問題ないのだし、たまには早く帰ってもいいんじゃない?」
「大丈夫。本当に何でもないから。気にしないで」
「そう。ならいいのだけれど」
あまりしつこく聞いても迷惑だと判断したのだろう。フィオーネはそれ以上、深くは追及してこなかった。
話好きのマープルは、すぐに違う話題を口に出し楽しそうに笑う。それを淡々と受け流すようにフィオーネは聞き続けた。
二人の話に適当な相槌を打ちつつ、ネメアは昨日のことについて思いを巡らせた。
結局ネメアはあの後、隠し通路へ侵入する術を見つけることは叶わなかった。
出入りする人間たちを観察したり、何か方法は無いかと模索してみたものの、打開策は浮かばずマヌリスの帰宅時間になってしまったのだ。
わかったことと言えば、奈落街に入るにはどうあっても柵の向こう側の許可が必要であるということだけだった。
――どうしたらいいのだろう。
奈落街に入れなければマヌリスの行動を把握することが出来ない。こうなるともう、奈落街に伝手のある人間を探すしかないのだが、手間と危険さを考えるとあまり気は進まなかった。
頭を悩ませていると、ちょうど食事を終え皿を戻しに行っている学徒の姿が目に入った。崩して着た学服に整えられた短髪。つい先日、ネメアが墜魔から命を救ってあげたあの男だ。
そういえば、あの男は奈落街と付き合いがあったはず。
前に耳にした彼の台詞から考えるに、彼は奈落街を頻繁に訪れているようだった。もしかしたら利用できるかもしれないと思い立つ。
「……ごめん二人とも。ちょっと用事を思い出して。先に行くね」
きょとんとする二人をよそに、そくさくと席を立ち食器を棚に片付ける。短髪の男は既に講堂の外に出て階段に足をかけていたが、ネメアは走って追いつき、逃がさないようにその腕を掴んだ。
不機嫌そうにこちらを振り返った男の顔が、ネメアを目にした途端にひきつる。
「ちょっと話があるんだけど」
「はあ? 何だよ」
短髪の男は怯えたようにネメアを見返したが、構わず腕を引き人通りの少ない廊下へと移動した。
「おい離せよ。なんなんだよ」
強引にネメアの腕を振りほどく短髪の男。どうやらこの前の墜魔事件のことをぶり返されると思っているようだった。
ネメアは安心させるようにすぐに本題に入った。
「あなた奈落街と付き合いがあるって言ってたよね」
「だったらなんだってんだよ。話はついてただろ。今更脅す気か?」
「そうじゃなくて、奈落街への入り方を教えて欲しいの」
「はあ? 入り方?」
こちらの言葉を理解できていないのか、睨みつけたまま微妙な表情を作る。ネメアが黙っていると、ようやく落ち着いてきたのか不思議そうに聞き返した。
「何だってんだよ一体……」
「ちょっと個人的な事情でね。この前のことは関係ないから。それで、知ってるの?」
「ま、まあ、何度か行ったことはあるけどよ」
短髪の男は周囲を警戒しながら小さな声を出した。
「どうしたら入れる? 何か通行証みたいなものが必要なの?」
「通行証……そういう言い方をすればそうだが、入るだけだったら、別に奈落街へ出入りしてる奴の紹介があれば十分だよ」
「どういうこと?」
意味が分からず聞き返すと、短髪の男は声を落として顔を近づけた。
「奈落街では許可を与えた来訪者に、通行の証として呪印を付与しているんだ。こいつを持っている奴の紹介があれば、中に入ることだけは出来る」
「呪印って、呪術を使った絵や式を体に刻む、あの呪印のこと?」
「ああ。普通呪印ってのは、呪いの証として相手を怖がらせたりするのに使うもんだがな。奈落街の呪印は身分証明って意味合いが強いんだ。
持ち運びできる紙の証明書や、聞けば誰でも真似出来る合言葉なんかとは違って、この呪印は契約者の体に直接刻まれる。入口でその呪印を提示することで、中へ入る許可が下りるって手筈なのさ」
短髪の男が袖をめくり呪言を唱えると、黒い円と文字が描かれた印がその腕に浮かび上がった。
「こいつは裏呪術師連盟に所属している呪術師の特別製でよ。譲渡や偽造が難しく、許可を得た者にしか付与されねえから、強力な身分証明になるんだ。俺も裏呪術師連盟に所属している兄貴の伝手がなけりゃあ、手に入れられなかった」
どこか誇らしげに、短髪の男は腕の呪印をこちらへ見せつけた。
なるほど。ただの通行証というだけではなく、身分証明や地位証明を兼ねたものということか。呪術師の総本山である王都ノアブレイズらしいと言えばらしい仕掛けだが。
つまり奈落街の中に入る方法は、信頼を勝ちとって呪印を付与されるか、呪印を持つ者に紹介してもらうかの二択ということになる。前者は一度奈落街に入る必要があるから、今とれる手段は後者しかない。ネメアは短髪の男の腕を見下ろしながら、確認するように聞いた。
「紹介があれば入れるって言ったよね。それってあなたの紹介でも入れるの?」
「大丈夫だと思うけどよ。え? 俺は案内しないぞ」
短髪の男は心底嫌そうに腕をひっこめた。
「私にはあなた以外に奈落街と繋がりのある知り合いは居ない。協力してくれない?」
何のために声をかけたと思っているのだ。ネメアは当然だと言わんばかりに短髪の男を見返した。
「はあ? 嫌だよ。お前が何かもめ事を起こしたら、紹介した俺の責任にもなるんだぞ。俺はそこまでお前と深い付き合いじゃねえだろ。他を当たってくれ」
「他の人じゃ、事情を説明するのが面倒なの。それに、あなたは私に借りがあるんだし、これくらい協力してよ」
墜魔事件の際に命を救ったことを暗に示し、語気をわずかに強める。そういうと、短髪の男は罰が悪そうに斜め下を向いた。
「……入るだけでいいのか?」
「うん。できれば呪印師の紹介もして欲しいところだけど」
「はあ……。わかったよ。いつだ? どこに行けばいい?」
「今日の午後、講義が終わったら中央通りのアルフェウス像の前までこれる?」
「今日? 急だな。まあ、行けないことも無くはねえが」
食事を終えた数人が講堂からこちらに向かって歩いてくる。二人でいるところを見られるのは、色々な意味であまり宜しくはない。
話はもう十分だろう。
「じゃあ。待っているから。あ、服装は着替えてきてね」
「待て。服って?」
軽く手を振りそのまま歩き去るネメア。
短髪の男は再度声をかけようとしたものの、通行人たちの視線がこちらを向いたため、仕方が無さそうに伸ばしかけた手を下ろした。
王都ノアブレイズにはいくつかの大通りがあるが、中でも女王通りと呼ばれる道は商業の中心地として賑わい、多くの店や露店が立ち並んでいた。
複数の道が交わる広場は、聴聞師や大道芸人たちが講演を行う場にもなっており、憩いのための椅子や花壇、銅像などが設けられている。そしてその景観の中心を占めるのが、アルフェウスと呼ばれる人物の像だった。
かつて世界の中心にあった大都市オルヴェルク。聖騎士と禁忌の魔女たちの争いによって九大災禍の一つ、無明が地に落ち消えてしまったその場所で、アルフェウスは初代三神教教主として君臨していた。
無明の落下時、アザレア王家や三神教の幹部たちを逃がすために、最後までオルヴェルクに残り、魔女たちを食い止め戦った英雄。各地を放浪し、民間技術であった祈祷術を集め、現在の神官と聖騎士の仕組みを生み出した、まさに三神教の生みの親。この世界の住民なら誰もが知っている伝説の男だ。
市民服に身を包んだネメアは、暇をつぶす様にその像を見上げた。
流れるような肩まである癖毛に、凛々しく精悍な顔立ち。聖騎士の鎧に意を包んだ彼は、剣を地面に突き刺し、立ち向かうように九大災禍、無明の方へ顔を向けている。
彼は無明が地に落ちた際に飲み込まれ、命を失ったとされているが、その数々の戦功や逸話から三神そのものに次ぐ人気を誇り、守り神や魔除けの象徴として信仰する者も多いらしい。王都ノアブレイズが呪術師の総本山であるにも関わらず、ここまで堂々と三神教の像が設置されている時点で、その人気の高さがうかがえた。
「わりい。待ったか」
ぼうっと像を見上げていると、背後から声が聞こえた。振り返ると、妙におしゃれをした短髪の男の姿が目に映る。
「その恰好、どうしたの。ちょっと目立つ気がするんだけど」
「お、お前が着替えて来いって言ったんだろうが」
自分の服の美的感覚を指摘されたことが恥ずかしかったのか、短髪の男は思わず怒気を含んだ声を漏らした。
まあいいか。時間も勿体ないし。どうせ今日はマヌリスを尾行するつもりもない。あくまで奈落街の下見と呪印の入手が目的だ。
「それじゃあ、行こう」
背を向け、そくさくと歩き始めるネメア。短髪の男はむっとした表情のまま、黙ってその後に続いた。
下水道を進む中、ネメアは短髪の男――名前はテオというらしいが、彼から奈落街に関する知識をいくつか聞いた。
奈落街がある空間は元々自然の大空洞で、五百年前に黒陽の国アザレアの王都がオルヴェルクから現在のノアブレイズに移動した際、大量の避難民たちの受け入れ先として使ったのが始まりらしい。
その後、呪いを受け付けにくい祝福地としての有効性から大空洞の上部に城や町が建設され、王都が形作られた。
地上の街が整備され形になってきた頃、王家や貴族たちは奈落街から人々を追い出そうとしたのだが、家を持てない貧困民などがそこに住み着き、抵抗をし続けるという事態が発生した。
大都市オルヴェルクの崩壊によって家を失った人たちへの負い目もあったことから、王家や貴族たちは強硬策は取らず、暗黙の了解として一部の住民たちが奈落街へ残ることを許していたのだが、王家の目が届かないのを良いことに反社会的な人間たちが集まり、その積み重ねが結果として今のような状況を招いてしまったそうだ。
「オルヴェルク崩壊のせいで、当時は聖騎士も兵士も数が激減していたみたいだからな。暴動を起こされた時の対処が難しかったから、どのみち奈落街に住み着いた人間たちを放置するしかなかったってのが裏の話みたいだぜ」
貴族の出らしいテオは、教育係から色々と学んでいるのだろう。なぜか楽しそうにそう言った。
かつて世界の中心として栄え、九大災禍無明によって消え去った大都市オルヴェルク。その崩壊から五百年経った今でも、しこりは各地に残り続けているようだ。
――マヌリスが狙う何かも、オルヴェルクに関係するものなのだろうか。
あのマヌリスがただの宝物や金銭に興味を持つとは考えられない。二度にわたって王城を襲撃し、宝物庫に手を出そうとしたのには、何か特別な理由があるはずだ。
今のアザレア王家は、東に逃げ延びたオルヴェルク貴族の生き残りが元とされている。彼らなら、オルヴェルクにしかない貴重品を持っていてもおかしくはない。マヌリスは呪術を通して今では失われた“魔法”に辿り着くことを悲願としている。となると、狙っているのはオルヴェルクで研究されていた貴重な呪術書や呪具になるのだろうか。
そんなことを考えていると、下水道の先に明かりが見えてきた。例の古びた小屋が近づいてきたのだ。
「いいか。黙って俺に従っていろよ」
呪術で灯していた明かりを消すと、テオは服の裾を正し、小屋の前へ移動した。少し緊張した面持ちで扉を叩き、反応を待つ。
少しして、のっそりと小屋の番人が顔を出した。
彼は二人を見下ろすと、いぶかしがるように目を細めた。




