第67話 魔女と奈落街(3)
傷をつけた掌と掌が離れ、間にあった黒橙色の光が消える。
「こ、これで、いいんだな」
短髪の男は罰が悪そうにこちらを見返した。
「うん。相互保持の契約呪術はお互いの秘密が成立している限り、相手の秘密は絶対に口に出来ない。逆に言えば、何らかの事情で私の使った呪術が露見すれば、私もあなたがこの事件に関与していることを話せるようになるってことだけど」
「……死体はどうするんだよ。ここまで派手に血が飛んでちゃ、黄泉雲系統の呪術を使ったところで、痕跡を隠すことは無理だぜ」
怯えた目で墜魔の亡骸を見下ろす短髪の男。
亡くなった友人のことより、自身の保身か。気持ちはわかるが、少しくらい彼のことを考えてもいいだろうに。まあこういう男だからこそ、今回は助かるのだが。
短髪の男は死体の男が魔女化の呪術に挑戦したことを、直前まで知らなかったようだった。今回の事件で彼が責任を問われることは無いだろうが、もし兵士の取り調べが進めば、奈落街へ出入りしていることが露見することは避けられない。その事実は当然、家族の立場にも影響する。黎明の塔は魔女化を禁忌として指定しているから、仮に彼が貴族の出だろうと罰則は大きなものになるはずだ。
「死体を隠すのは無理だね。でも、貴方はここに居なかったことにすればいい。たまたま廊下を通りかかった私が襲われて撃退した。それなら筋は通るでしょう」
「本当に大丈夫なんだろうな」
「契約呪術は構築の条件にお互いの契約内容が絡むから、もっとも解除が難しい呪術とされている。強引に解くことも不可能では無いけれど、時間がかかるし、そもそも契約呪術を結んでいることさえ知らなかったら解こうとも思えない。心配しないで」
「……わかった」
ようやく満足がいったのだろうか。男は少しだけ不安が抜けたように顔の緊張を解いた。
「でも、契約内容が呪術の公言禁止って、どういうことなんだ? そんなにやべえ呪術だったのかよ。あの猫」
「あれは黎明の塔では禁術にされている技法なの。塔にばれたら私も立場が悪くなる」
この短髪の男は知らないようだが、学師や黒煙騎士がネメアの使った呪術のことを聞けば、すぐに造影呪術であると気が付くだろう。そうなれば、ここでの学徒生活も終わりだ。下手をしたら造影の魔女の共謀者として捕まり、拷問を受けるかもしれない。
金銭のやり取りを契約内容にすれば、短髪の男にとっては一時的な安心感はあるだろう。しかし金などいくらでもごまかせるし、より継続的に脅しの材料として搾り取られ続ける可能性もある。いずれ不安感はつのり、限界が来るはずだ。
こちらとしてもこの短髪の男が造影呪術のことについてどこかで口を漏らせば終わりなのだ。ならばあえて注意を促し、それを契約の材料にした方がまだ露見する可能性は少ない。この男に弱点を握られるという危険を孕むことにはなるが、現状では止む無しだ。
「全く嫌になるぜ。いい奴だったのに」
落ち着いてきたためか、ようやく短髪の男の注意が墜魔へと向いたようだった。
「学徒で魔女化に手を出すなんて。失敗するのは当然でしょう」
冷たく言い切るネメア。
「優秀な奴だったからな。過信していたんだろう。でもいくら何でもあの程度の呪いとの同化の失敗で墜魔化は流石におかしい」
「どういうこと?」
「ここに来る道中に奴から聞いたんだが、取り込もうとした呪いは微々たるものだった。本当なら、失敗してもちょっと重い呪いを受ける程度で済んだはずだ。
……最近変なんだ。呪術の効果が異様に高くなったり、裏で流通している呪具の効果で死ぬやつが増えてきた。明らかに以前より多い。噂によると、裏呪術師連盟や塔の連中も調査に乗り出しているって話だぜ」
裏呪術師連盟や黎明の塔が調査を行っているのなら、その両者が原因ではないということか。噂程度の情報であれば、信頼に足るものではないけれど。
やはりどうしてもマヌリスのことを思い浮かべてしまう。
おかしな人形が出回っているという話は聞かない。だが四年前の村での事件はあくまで実験だったはずだ。もし媒体が人形ではなく他のものであれば、より陰湿に同じような事態を引き起こせるのではないだろうか。例えば呪具や日常道具に呪いを込めるなどして。
そう考えるとぞっとした。彼女がこの首都ノアブレイズに来てから既に四年も経っている。もし推測が当たっていれば、一体どれだけの細工が完了しているのか計り知れない。
妙な事件はここ最近多発し始めた。ということは、いよいよマヌリスの計画が最終段階に入ったと捉えることも出来る。
ネメアは廊下に人の気配が無いか確認し、
「……そろそろ行った方がいい。あまりここに長居されると、契約の意味がなくなる」
「ああ。そ、そうだな」
見た目よりもずっと小心者なのか、短髪の男はほっとしたように死体から離れる。何か言いたげにこちらを見たが、ネメアが目を合わせなかったため、そのままいそいそと扉を開け、部屋から出て行った。
彼の気配が遠ざかったのを確認すると、ネメアは改めて墜魔の死体を見下ろした。
充血し見開かれた目。せっかく黎明の塔に入学し、呪術師として約束された出世道を進んでいたというのに、こんなことで命を失うのは愚かとしか思えない。マヌリスの計画が進めば、きっとこういった被害者はますます多くなるのだろう。
フィオーネやマープルの顔を思い出し、唇を軽く噛む。どうやらそろそろ目を反らしてもいられないようだ。
このままではいつか彼女たちも被害に巻き込まれるかもしれない。楽しい学生生活だったが、所詮は偽物の立場。偽物の夢だ。
自分の実力ではマヌリスには勝てないが、どうにかして塔や王城に通報することが出来れば、有利はこちらにある。ここにいる兵士の数は四年前の村とは規模が違う。マヌリスがどれだけ優秀な呪術師だろうと、王都全体を相手取ることは流石に無理なはずだ。
隷属の呪いのせいで、ネメアはマヌリスに害が向く行動をとることは出来ないが、塔の契約呪術の専門学師なら呪いを解除することは可能かもしれない。しかしそうなれば当然、自身の背景もマヌリスとの関係も全て塔に暴露することになる。
まずは確証を得ないと……――。
現状、街の異変とマヌリスの関与はあくまで推測に過ぎない。たとえ隷属の呪いが解けたとしても、彼女が“造影の魔女”であると証明できなければ、塔がこちらの主張を受け入れることはない。ただマヌリスを無闇に警戒させてしまうだけだ。
彼女は昼間、いつもどこかへ出かけている。何かをしているのなら、その時以外にはありえない。もしマヌリスに見つかればただでは済まないだろうが、このまま手をこまねいていても状況は悪くなるだけ。彼女が何に自分を利用するつもりなのかは知らないが、絶対にろくな事であるはずがない。
四年前の黒煙騎士たちの死体を思い出し、恐怖が蘇る。だがそれに押し負けないように、ネメアはぎゅっと自身のスカートを握りしめた。
翌日。ネメアは黎明の塔へ通学するふりをして家を出ると、そのまま離れた位置で適当な市民服へ着替え、マヌリスが出かけるのを待った。
彼女はいつものように黒いドレスと幅の広い帽子を身に纏い、優雅な足取りで通りを進んでいく。
表向きには緑の国マグノリアの貴族使えの呪術師で、資産を貯めた後に引退し、弟子の育成の為にこの国へ来たという設定だが、昼間の放浪はどういう扱いになっているのだろうか。マヌリスのことだから、きっと上手い言い訳は考えてあるのだろうが。
実を言うと、彼女を尾行するのはこれが初めてでは無かった。
王都ノアブレイズに来てから一~二年の間は、時間が空いた時に興味本位から何度か彼女の後をつけたことがあった。しかしどういうわけか、毎回途中でその姿を見失ってしまい、完遂することが叶わなかったのだ。
――今度は失敗するわけにはいかない。
今の自分にはあの頃よりも深い呪術知識がある。そう簡単にごまかされるようなことは無いはずだ。
ネメアは荷袋の中から布に包んだネズミの死体を取り出した。
上位の呪術師であれば死霊術か獣魔術によってネズミを動かすのだが、ネメアにはそれらの知見があまり無いため、造影呪術で代用する。
死体の背に手を当て指で術式を描くと、元々仕込んでいた呪いが具象化しネズミと重なる。簡単に言えば、ネズミの死体の皮を被った造影呪術だった。
いくら捨てても戻ってくるという追尾の呪いを元にした影獣。感染呪術によりマヌリスの髪の毛を仕込んであるから、彼女に気が付かれない限りはどこまでもその後を追うことが出来る。
ネメアが地面に放つと、影ネズミは鼻を鳴らし、さっそくマヌリスの後を追い始めた。
商業が盛んな中央地区。服や食料など市民向けの店だけでなく、呪具や呪術本など呪術師に向けた店も多く並んでいる。ネメアはその中を、人込みをかき分けながら進んでいった。
人が多いため集中を欠くとすぐにでもマヌリスを見失ってしまいそうになるが、ネメアと感覚の繋がった造影呪術のネズミが彼女を探知し続けるおかげで、何とか追跡を維持出来ている。
しばらく大通りを進んだ後、マヌリスは路地を曲がり細い道へと入った。方向から見て、鍛冶場や倉庫などの多い西区に向かっているのだろうか。
曲がり角で身を隠しながら彼女の行先を追っていると、不思議なことが起こった。マヌリスの後姿はまっすぐ進んでいるはずなのに、造影ネズミが右へ曲がったのだ。
感知している気配と見えている光景が一致しない。すぐにそれが呪術によるものであると気が付く。
――なるほど。幻惑呪術か。だから数年前はいつもすぐに姿を見失ったんだ。
マヌリスは黒煙騎士や黎明の塔の呪術師に追われた場合に備えて、一定時間ごとに幻惑呪術を行使しているようだ。細かなマヌリスらしい念の入れようだった。
王都ノアブレイズには多くの呪術師が住み、日常のように呪術を使っている。そのためこのネズミ程度の小さな呪術であれば、感知される可能性はかなり低い。
視覚情報が無意味だと悟ったネメアは、よりマヌリスから距離を取り、造影ネズミを先行させることで彼女の足取りを追い続けた。
短く古い石造りの橋がかかった場所に差し掛かったところで、マヌリスはその横にある階段を降りた。下には川しかないはずなのだが、どういうつもりなのだろうか。
造影ネズミの目を通して様子をうかがっていると、マヌリスは橋の下にある地下通路へと入ったようだった。便や排尿の処理用として、川から街の地下全体に引かれている下水処理のための通路だ。
造影ネズミの視覚を共有して見ると、中は暗く冷たい風が吹いていた。遠ざかっていく明かりを見るに、あれはマヌリスの呪術だろう。
気は進まないが仕方が無い。ネメアは人目を気にしながら下水道の前まで下り、意を決して中に踏み込んだ。生ごみとカビの入り混じったような悪臭に吐きそうになりながらも、我慢して中を進む。
呪術で明かりを灯すとマヌリスにばれてしまうため、造影ネズミの五感との同期を強めることでなんとか対処した。
下水道など滅多に人が通る場所ではないはずなのに、足元に感じる埃や汚れは少なくとても歩きやすい。恐らくマヌリスだけではないだろう。不特定多数の人物がここを行き来しているようだ。
地下通路はかなり入り組んでおり、造影ネズミの感覚でマヌリスの居場所こそ掴めていても、道が続いていないためそこまでたどり着けない。道を彷徨っているうちに、とうとう造影ネズミはマヌリスの気配を見失ってしまった。
ここまで来て諦めるわけにもいかない。ネメアは落胆しつつも、何とかマヌリスの痕跡を掴もうと努力した。せめて次に来た場合に備え、地下通路の構造だけでも把握しておこうと探索を続ける。そのまま無作為に歩き回っていると、少し進んだところで明かりが灯っている場所を見つけた。妙だと思い慎重に近づくと、地下通路の奥に古びた小屋が立っているのが見えた。火をつけた松明がその扉の前で輝いている。
小屋の横には下水の流れ道があるものの、人の移動が出来ないように壁があり、壁の下にある四角い柵から大量の水がこちらへ流れ出ていた。
造影ネズミを小屋の木窓に登らせ中を覗いたところ、中では貧困民のような恰好をした男が椅子に座っていた。暇を持て余す様に安そうな本を読んでいる。
家を失った放浪人だろうか。だがそれにしては肉付きが良く、腰には刃物までぶら下げている。備品から見てここで生活をしているようにも見えない。明らかに不自然だ。
マヌリスが入った下水道でこんな意味ありげに場所を取っている男だ。きっと無関係ではないだろう。呪術で眠らせて調べてみるべきだろうか。もし自分以上の呪術師であれば返り討ちに遭う危険が無いとも言い切れないが。
どうするべきか通路の物陰でネメアが思案していると、小屋の中にあった棚の上から蛙の鳴き声が聞こえた。造影ネズミの視界で見て見ると、籠のようなものの中に一匹の蛙が閉じ込められている。
それを聞いた男は小屋の扉を開け外を見渡した後、中へ戻り蛙の頭を指で軽く三度叩いた。再び蛙が鳴き声を上げる。
するとどういうことだろう。下水道を流れていた水の量が減りほとんどなくなる。そして下水道の溝の中を跨いでいた柵が露わになった。
「それではまた起こし下さい」
柵が開き、中から三人の男が姿を見せる。一人は貴族のような恰好をした男で、もう一人はそのお付きの若者。そして三人目は全身を軽装鎧に包んだ傭兵のような男だった。
物陰からのため見え辛いが、柵の向こう側にはさらに数人の武装した男たちの姿が見える。
――隠し通路?
盗賊やどこかの組織の拠点なのだろうか。観察を続けていると、貴族の男が顔をしかめながら傭兵に文句を言った。
「しかし、毎度毎度この汚い下水道を通らないといけないのはどうにかならんのかね。道は他にもあるのだろう?」
「塔や王兵の目がありますからね。奈落街へ入る方法はいくつかありますが、露見した場合に備えて人によって入口を分けているのです。現在貴方に公開出来る道はここだけです」
「何度か訪れているというのに、冷たいものだな。……まあいいさ。今後付き合いを続けていけば君らも私への態度を変えることだろう。また来る」
貴族の男がそう言って歩き出し、お付きの若者がいそいそと松明を灯した。
彼らの姿が下水道の奥へ消えていくのを見送ると、傭兵はちらりと小屋を一瞥し、柵の向こう側へと戻った。わずかな時間の後に、再び下水が流れ始め柵と下水道の溝を満たしていく。
奈落街。ならず者や裏呪術師連盟と呼ばれる違法呪術師たちの巣窟。どうやら当たりを引いたらしい。ネメアは自身の動悸が高まるのを感じた。
マヌリスの行先の候補として、元々可能性は高いと考えていた。黒煙騎士や兵士に追われるマヌリスにとって、奈落街以上の隠れ場所は存在しないからだ。
――問題はどうやって中に入るか、か。
奈落街の門番であれば、呪術によるごまかしが効くとも思えない。かといってこっそり侵入しようにも、あの仕掛けでは難しい。
何か手を考えないと……。
水中の柵を睨みつけながら、ネメアは思案した。




