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アナテマの獣  作者: 灰原アシカ
第三章 シヴァラの書
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第66話 魔女と奈落街(2)

 今日は受講する講義の数が少ない。

 四学年目も半ばに近づくと、自然と研究に費やす時間が増えていった。

 呪いとの相性が異様に良いネメアは、肩の力を抜いていても成果が出てしまう。卒業研究も、マヌリスから授かった応用呪術を題材にするつもりでいたため、研究室で新たに手を動かす必要はほとんどなかった。

 今日はどうやら皆それぞれ予定があるらしく、研究室には他の学徒の姿はない。この状況であれば、形だけの研究を続ける理由もないだろう。せっかくなら自身の目的達成のために有効活用したほうがいい。

 適当に開いていた呪術書を机の上に置き、椅子から立ち上がる。いつものように大書庫へ向かおうとしたところで、扉を開けて中に入ってきた学師と目が合った。

「おおネメアくん。いいところに。ちょっと手伝ってくれないかな」

やせ細った体に、短い白髪。どこか神経質めいた眼差し。マヌリスの寛容さに慣れていたせいで、わずかな過ちにも容赦なく叱責が飛ぶこの学師のことが、ネメアは若干苦手だった。

「これから講義があるんだが、どうやら生徒の数を勘違いしていてね。類感呪術の実習に使う木偶人形が三つほど足りないんだ。申し訳無いが、戻っている時間が無くてね。座学をやっている間に、教室まで持ってきてくれないかな」

 黎明の塔は縦に長い印象が強いが、学徒が自由に行き来できるのは五階までで、六階から最上階の十階までは塔所属の呪術師や王家関係者だけが立ち入れる専用区域となっている。高い塔ばかりが目を引くものの、実際には横にも広大な敷地が広がっており、移動するだけでも相応の体力と時間を奪われる。そのため、この手の学師からの依頼は珍しいことではなかった。

「わかりました。どこの教室に持っていけば宜しいですか」

 塔に所属している間は、学徒は学師の弟子のようなものだ。どうせ逆らってもろくな事は無い。面倒だと思いつつも、仕方が無く答える。

「この本塔四階の三号室だよ。悪いね。それじゃあ」

 いそいそと次の講義の資料を鞄にまとめ、せわしなく研究室から出ていく学師。あんなに慌てていたら、他にも何か忘れ物があるのではないかと疑いたくなった。

 どうせここにいてもやることは無い。面倒な仕事はさっさと終わらせてしまおう。

 ネメアはため息をつきながら、研究室から廊下に出た。

 予材室は中庭を挟んで反対側の建物の裏手にある。敷地内のあちこちに研究室が点在していることを考えると、まだ比較的近い距離だと言えるだろう。

 中庭では暇な学徒たちが談笑したり、呪術の見せ合いなどをしていた。まだ明るい時間だからか、人の数も多い。

 ネメアは彼らの間を通り抜け回廊を渡り、ひっそりと建っている比較的古めかしい建物の中へと入った。昔は教育塔として利用されていたらしいが、今では資材や研究材料、講義のための予備品などが置くための倉庫と化している場所だ。

 学師が類感呪術の講義に使う木偶人形は、一~二年の頃に何度も見たことがある。予備室に入ると特に探すこともなく、すぐに発見出来た。

 何度も使用されているから、ところどころ欠けて汚れている。顔の無い、つるりとした木材を関節で繋げているだけのようなそれは、妙に味があり、嫌いでは無かった。

「埃っぽいなぁ」

 手で軽く払いながら人形を持ち上げる。大きさは大体ひじから手の指先くらいだろうか。大きいわけではないが、三体もあるとそれなりにかさばる。ネメアは研究室から持ってきた荷袋にそれをしまい込み、すぐに予材室から出ようとしたのだが、扉に手を触れようとしたところで、動きを止めた。慌てたような話し声。誰かが廊下を移動しているようだった。

「急げ。こっちだ。旧教育塔なら、人はあまり居ない」

 粗い呼吸音。何やら様子がおかしい。

 そっと扉を開けて覗いてみると、廊下を進む二人の男の姿が見えた。一人には見覚えがある。あの短い茶髪に歪んだ口。確か先日、中庭の端で何やらたむろしていた集団の一人だ。

 旧教育塔など、普段あまり生徒が訪れる場所ではない。素行の悪い人間とフィオーネが言っていた覚えがあるから、何か良からぬことでも考えているのだろうか。普段であれば無視をするところだが、もう一人の顔を見て考えを変えた。真っ青な顔色に、震える手足。まるで引きずられるように連れていかれている彼の姿は、どう見ても尋常な様子ではない。

 構うべきではないとわかっている。干渉したところでろくなことにはならないだろう。だがあれほど怯えた男の顔を目にして、ネメアは何となく放っておくことが出来なかった。

 廊下の奥へ行くと、男たちは研究室として使われていた部屋へ入ったようだった。床の木材がきしむ音に気を付けながら、そっと近づく。扉は完全に閉まっていたわけではなく、慌てていたのかわずかに隙間が空いている。ネメアはこっそりとそこから中を覗いてみた。

「だから細心の注意を払って実験しろって言ったじゃねえか。奈落街の怪しい呪術書なんて信じやがって」

 短い茶髪の男が顔色の悪い男に向かって怒鳴りつけた。

「悪い。呪術院に行ったばっかりで調子が良くて。つい思い切ってやっちゃったんだ」

 茶髪の男が顔色の悪い男を椅子の上に座らせる。よく見るとその口元からは泡のようなものが垂れていた。

「くそ、どうしたらいいんだ。魔女化実験の失敗なんて塔の学師に知らせるわけにもいかねえし。お前、奈落街まで我慢出来るか?」

「わ、わからない。たぶん、無理だと思う」

 会話を聞いているうちに、ネメアは何となく状況を理解した。

 この二人は呪術師としての力を得るために、魔女化の実験を行ったようだ。しかし参考にした呪術書が粗悪品だったため、うまくいかず体調を崩したという流れらしい。

 魔女化は呪術を極める上で最も効率が良い道の一つ。自身が呪いそのものと同化するため、呪術を発動する時間を大幅に省略し、より強力な力を得やすくなる。しかし代償として常に呪いによって精神と肉体を蝕まれ続けるという欠点があり、よほど精神力が高い呪術師でもない限り、気が狂うか禍獣化してしまう危険性を孕んでいた。

 魔女化自体は違法では無い。魔法を目指し呪術を探求する上で一つの手段として認められてはいるが、その不安定さと暴走した際の他者への危険度から、三神教や黎明の塔では忌むべき手法として嫌悪し、禁止されていた。

 ――なんだ……ただの自業自得か。

 最初はてっきり、あの短髪の男にもう一人の男が脅されたり、害を受けているのかと思ったが、そういう話ではないようだ。

 このまま木偶人形を届けるついでに、学師へ報告しよう。そうすれば本人たちは罰を受けるだろうが、命は助かるはず。

 そう思って、扉から目を離そうとした直後だった。

 苦しんでいた男が突如悲鳴を上げた。震えが一層激しくなり、口からは大量の泡を吐き出す。

「お、おいどうした? 大丈夫かよ」

 短髪の男が苦しむ男に触れようとするも、彼はそれを振りほどき、床に倒れた。びくびくと痙攣しながら激しく暴れまわる。次第にその皮膚は紫に染まり、徐々に、徐々に筋肉が肥大化していった。

 目の前の光景に、ネメアはすぐに不吉な予感を抱いた。

 ――墜魔。

 通常、禍獣は死体に呪いが蓄積し、受肉することで発生する。しかしそれとは別に生きたまま呪いを受肉することで、禍獣へと変異する場合があった。それは墜魔と呼ばれ、禍獣と人の中間、もしくは禍獣のなりかけ状態であり、この状態になった者が助かることは、ほとんど無い。

 普通ならいくら体が呪いに蝕まれようと、墜魔化する確率はかなり低い。長期間呪われた地に閉じ込められたり、人狼のように感染属性を持つ強烈な呪いを一気に注入されたりなど、特殊状況下でのみ起きうる事態だ。

 苦しんでいた男――いや、墜魔が短髪の男に掴みかかる。黒く充血した瞳に体のあちらこちらから生えてきた棘のような物体。どこからどう見ても、もはや人ではなかった。

 短髪の男は恐怖で混乱しているのか、ただ叫び声をあげて抵抗することしか出来ない。

 このままではまずい。ネメアは素早く扉をあけ放ち、部屋の中へ侵入した。

 指で宙に術式を描き、空気の塊をぶつける“圧迫”の呪術を放つ。しかし墜魔は難なくそれを払いのけ、逆に圧迫の呪術をこちらに放ち返した。

 空気の塊が胸に当たり、壁に背を打ち付け悶絶するネメア。墜魔はこちらが立て直す間もなく、すかさず追撃の姿勢を取る。

 墜魔は中途半端に人の意識が残っている分、場合によっては禍獣よりも厄介だ。剣士が墜魔となれば完全に禍獣化するまではその剣技の一部を使えるし、呪術師が墜魔化すれば、より呪いと親和性が高い状態で呪術を行使できる。

まだわずかに人の意識が残っているのか、苦悶の表情を作りながら跳躍する墜魔。

相手は同じ黎明の塔の学徒。中途半端な呪術では無駄に長引くだけだ。本当はこの短髪の男の前で使いたくは無かったが、仕方が無い。ネメアは覚悟を決め、手を床に当てた。

「――おいで。リア」

 指先で素早く呪術式を描き込む。

 その瞬間、はめられた銀の指輪を核として、青黒い影が膨れ上がった。影は一息のうちに大きな猫の姿へと形を成し、ネメアの前へ躍り出る。

 墜魔は棘まみれの腕を振り下したが、黒猫はそれを難なくかわし、逆に墜魔を押し飛ばした。

造影呪術。それは呪いそのものに形を与え、生物として具現化する技法。

 リアと呼ばれた黒猫は起き上がった墜魔を睨み返すと、満足げに自身の手をゆっくりと舐めた。

 敵対物だと判断したのだろう。墜魔が歯をむき出したまま術式を描き、リアに向かって青黒い炎の塊を飛ばす。しかしリアはそれよりも早く墜魔の懐へ飛び込み、全身から青白い稲妻の刃を走らせた。

 本来は、身に着けた者の体を重くし、麻痺させ、行動不能にさせる呪いの指輪だった。それを長い時間をかけて改良し、造影呪術専用の攻撃呪具として昇華させたもの。それがリアの呪いだ。

 閃光のように走る、質量を持った稲妻に対処することが出来ず、墜魔は全身を貫かれ悲鳴を上げた。肉の焼ける不快な香りが部屋に充満する。

 墜魔は痛みに悶えながらもなんとか反撃をしようと腕を振り上げたが、それよりも早くリアが彼の喉を嚙みちぎった。桶に溜めた水を振りまいた時のように、大量の血が木窓と壁にかかる。天井を見上げたまま膝から崩れ落ちる墜魔。既に命が無いことは、どう見ても明らかだった。

 ネメアは念のために触れていた耳飾りから手を放し、胸を撫で下した。リアが鳴き声を上げながら駆け寄ってきたので、顔の左右を両手で掴み、撫でてあげる。ただの呪いのはずなのだが、こういうところは妙に現実の猫っぽい。

 短髪の男は放心したように壁の血と息絶えた墜魔を見つめている。

 ――さて、この状況はどう片付ければいいのか。

 我に返ったネメアは男の表情を見て、大きくため息を吐いた。






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