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アナテマの獣  作者: 灰原アシカ
第三章 シヴァラの書
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第65話 魔女と奈落街(1)

 まだ日が上ったばかりだというのに、大通りには多くの人が集まっていた。

 祭事や旅芸人の講演、聴聞師の演説が行われているわけではない。そこに死体があったからだ。

 決して高貴な身なりとは言えないものの、それなりに清潔感の溢れた布地。恐らくは商人かそれに類する身分の者なのだろう。腹を刺されたらしく、血溜まりの中に体を押しつけ、ピクリとも動かない。

 野次馬の一人がうんざりしたように呟いた。

「まただ。これで何人目だよ。最近多すぎやしないか」

「俺、遠くから見ていたんだけど、痴情のもつれみたいだったぜ。走って逃げてく女の姿がみえたもの」

 誰かの答える声が聞こえる。

 騒ぎを聞きつけたのか、ようやく、街の警備を行っている兵士たちが姿を見せた。民衆をかき分け死体の前まで来ると、一瞬息を止めた後、素早く行動に入る。

 人々の輪を押しのけ死体の状況を確認する。倒れている男が完全に事切れていることを理解したのか、彼らはすぐに鋭く目を光らせながら、何が起こったのか野次馬たちに声を掛け始めた。

 このままここに居て、下手に妙な疑いを掛けられても面倒だ。ネメアは黒いドレスの裾をひるがえし、そっと人々の輪から外へと抜け出た。


 ここ最近のアザレアでは、このような突発的な殺人事件が多発していた。

 何か大きなきっかけがあったわけではない。女王の統治は問題なく行われていたし、民衆からの信頼も厚かった。国に不安がある者などほとんどいないはずだ。それなのに、どうしてか最近になって人々の間でいざこざが増えるようになった。最初は肩がぶつかっただけの話が、気が付けば殺し合いに発展している。そんな事例が山ほど起きていたのだ。

 ネメアにはこの状況に見覚えがあった。

 四年前。記憶を失い森の中を彷徨っていたネメアは、偶然出会ったマヌリスという呪術師に助けられた。

 行くあての無かったネメアは彼女の世話になり、小間使いとして生活を共にしていたのだが、ある日から、マヌリスが自作の人形を売り捌いている村々で妙な事件が多発するようになったのだ。

 喧嘩をしていた隣人の片方が、突然の事故死。人々から嫌われていた土地の地主が、持病の急な悪化による病死。とにかく不自然な死と不幸が連続して発生するようになった。

 彼らの死によって得をした者たちは、みなが一様にマヌリスの人形を重宝し、必死に買い求めていた。どうやら呪術を組み込まれたマヌリスの人形が、その事態を引き起こしていたようだった。

 マヌリスの目的は人々の恨みの収集だった。村人たちに呪いの人形を渡し、彼らの私怨を増長、取り込むことで、自身の武器である人形を強化、多様化させる実験をしていたのだ。

 最終的にはその地区の守護を司る黒煙騎士たちの耳に入り、連行される寸前まで追いつめられたものの、マヌリスは彼らをあっさりと虐殺し、逃亡した。

 マヌリスが人形を使って実験を繰り返していたのは、アザレア王家にある何かを手に入れるための下準備が目的だったらしい。彼女はこれまでにも二度、王家を襲撃した過去があり、“造影の魔女”という名で恐れられている存在だった。

 マヌリスの本当の顔を知ったネメアは、彼女から逃げ出そうとしたのだが、マヌリスは決してそれを許してはくれなかった。どういうわけか、彼女はネメアを自分の手元に置くことに、強いこだわりを持っているようだった。呪術行使者に害を与えることも敵意のある行動を行うことも叶わない、指示への絶対服従を強いる隷属呪術。それをマヌリスに掛けられたネメアは、もはや彼女の言う通りに行動を共にすることしか出来なかった。

 理由はさっぱりわからないが、完成した人形呪術とネメアを手に入れたマヌリスは、その足で黒陽の国アザレアの王都、ノアブレイズへと向かった。どうやら王家に対して、三度目の挑戦を考えているらしかった。

 ネメアは王都に入ってすぐにマヌリスが動き始めると思っていた。けれど予想に反して、一年経っても、二年経っても、マヌリスが何かを行動に移すことは無かった。しまいには、偽の身分を使ってネメアが黎明の塔の学徒として通うことすら許可してしまった。呪術師としてネメアの実力が上がることは、マヌリスにとっては面倒でしかないはずなのに。

 王家に対する諜報員として活用する気なのか、それとも自分の手伝いをさせるためにある程度の技能があったほうがいいからか。

 疑問点はいくつもあったが、ここでの生活を続けるにつれ、いつしかネメアもその日常に慣れてしまい、ノアブレイズの生活を楽しむようになっていた。

 鮮やかな街並み。様々な商品。活気のある大通り。多種多様な人種による人込み。最先端の呪術と、歴史ある呪術の学び。記憶を失っているネメアにとって、王都での四年間の生活は全てが新鮮だった。これは勝手な想像だが、恐らくは記憶を失う前ですら、こういった経験はしてこなかったのだと思う。

 活気を楽しんでいた。呪術を学べることに喜びを感じていた。人々の喧騒を心地よく思っていた。

 だからこそ――、ここ最近の異変はネメアにははっきりと感じ取れた。

 よく目にするようになった些細ないざこざに、じんわりと数を増していく喧嘩や死傷事件。明らかに四年前のあの時と同じだ。マヌリスの人形によって崩壊していったあの村々の惨状と今の王都の状況は、不自然なほどに似すぎている。

 

 目立たないようにドレスの上に羽織った黒いフードを深く被り直しながら、緩やかな階段を上っていく。ここを上り切れば黎明の塔は目の前だった。

 王都ノアブレイズに来てから、ネメアは一度たりともマヌリスのあの人形たちを目にしたことは無かった。一体どこにしまっているのか、それとも全て破棄したのか。真偽はわからないが、少なくとも王都の中で売られ、広まっているという事態にはなっていない。

 思い過ごしだと思いたい。けれど、そうではないという予感を、ネメアはどうしても拭い去ることが出来なかった。

「あ、ネメア。おはよう」

 通路を曲がろうとしたところで、ふいに明るい声が自分の名前を呼んだ。十字路の向かい側から二人の少女がこちらへ歩み寄ってくる。ネメアと同じ黒に赤色の茨のような刺繍が入ったドレス。黎明のれいめいのとうの同級生として親しくしているマープルとフィオーネだ。

「どうしたの? 朝からつんけんな顔をして」

 長い綿の塊を茶色く染め頭に被っているような、野性味溢れる少女――マープルが、愛嬌に満ちたとびっきりの笑顔をこちらへ向けた。

「――……ううん。別に何でもないよ。おはよう」

 目に入っていた力を緩め、表情を変えるネメア。

「なんかあっちの方騒がしいね。なんかあったの?」

 先ほどの死体騒ぎのことを指しているのだろう。マープルの視線を追ったネメアは端的に答えた。

「死体騒ぎ。喧嘩か何かみたい」

「また? ここのところ物騒だねぇ」

  他人事のように遠くを眺めるマープル。言葉ほど危機感は抱いてはいないようだった。

「あ、そうだ。ねえネメア。今日って応用呪詛学の課題提出日だけど、ちゃんとやった?」

「もちろん。マープルはやってないの?」

「どうしてもわからないところがあってさ。ちょっとだけ報告書見せてくれない? フィオーネには断られちゃって」

「自分で解かなければ、何の意味もないでしょうに」

 マープルの隣に立っていた黒髪長髪の少女が、呆れるようにため息を吐いた。

 地方の呪術師の娘として生まれ、推薦によって入学したマープルとは違い、フィオーネは王都ノアブレイズの名家の出だ。代々に渡って呪術師を輩出している一族の娘であり、幼いころより呪術師としての研鑽けんさんを積んできた彼女にとって、マープルのような不真面目さは許せるものではないのだろう。単純に何の努力もせず実践試験になるとなぜか好成績を叩き出すマープルに嫉妬しているだけかもしれないが。

 ぐちぐちと続くフィオーネの説教を面倒くさそうに流しつつ、逃げるように足を速めるマープル。正反対の性格の二人だが、どうしてか変なところで馬が合うようで、こうしていつも一緒にいることが多かった。

 しばらく繁華街の中を進んでいくと、大きな長い影が見えてきた。天まで届くような漆黒の塔。穴の開いた螺旋階段のような構造をしたそれは、最高峰の呪術師機関である黎明の塔だ。

 今の九大災禍の元となった人物たちが彫られた深緑色の門。その前に漆黒の鎧をまとった二人の黒煙騎士が立っている。

 自身の出生が不明でネメアには、マープルのような高名な呪術師の保証も、フィオーネのような家門の保証も何もない。こうして学徒として黎明の塔に通うことが出来ているのは、マヌリスが何らかの伝手で仮の身分を用意していたからだ。もう四年も通って何もないことはわかっているのに、黒煙騎士を目にするとどうしても萎縮してしまう。通行証の代わりであるドレスにつけた胸証を見せると、黒煙騎士は無言のまま視線を通りの方へと戻した。

「相変わらずむすってしてるねぇ。あの人たち。街中の兵士さんたちはもっと気さくなのに」

 少し離れてから、マープルが残念そうに言った。

「黒煙騎士はこの国の精鋭だから。立場が違う。普通は警備なんてしない。それだけ黎明の塔がこの国にとって大事な場所っていうことでしょう」

 何を今更と言わんばかりにフィオーネが返す。

 王都ノアブレイズの中心には縦長の広場があり、その広場を挟んで向かい合うように王城と黎明の塔が立っている。

 アザレア国は呪術大国という特性上、王家と黎明の塔が密接に連携することが多い。その利便性を考慮し、塔は百年以上前に現在の場所へ移設されたと伝えられている。

その背景には塔側が王家に反して暴走する危険を抑えるためという理由もあるらしい。事実この移設以降から、黎明の塔の警護は黒煙騎士団が担うようになったそうだ。

 だがこれは塔にとって悪い話ばかりでは無かった。黎明の塔の学徒は、将来的に国内外を問わず重要な要職に就く者が多い。黒煙騎士が塔の警備を担うという事実は、学徒たちにとっては在学中の安全が保障されているのと同じことだったからだ。

 王城と塔の敷地の間には厳重な門が設けられているため、学徒が王城側へ入ることは不可能ではあるが、黒煙騎士たちの庇護やその他王城からの支援の影響で、いつしか学徒たちは塔の所属というだけで貴族に比肩するほどの待遇を受けるようになっていった。 ネメアやマープルが貴族であるフィーネと対等に会話できるのも、この好待遇によるところが大きな理由だ。

 広場の向かいにある王城を眺めつつ、アーチ状になっている回廊を進んでいくと、中庭の隅で何やらひっそりと集まっている学徒たちの姿が目に留まった。積み上げられた木箱の裏。注意してみなければかなり気がつきにくい場所だ。雰囲気からして、何学年か上の学徒だろうか。

 一体何をしているのだろう。

 気づけば、ネメアの視線は彼らに引き寄せられていた。

「ネメア。目を合わせない方がいい。あの人たち、悪い噂のある連中だから」

 フィオーネがそっとネメアの腕を掴んだ。

「奈落街の連中と関わり合いがあるって話を聞いたことがある」

 奈落街。それはアザレアの地下にあるとされている、ならず者やごろつき、貧困民、違法呪術師のたまり場の事だ。

 呪術を学ぶためにアザレア国を訪れた呪術師たちは、通常黎明の塔に入ることで研鑽を積むが、黎明の塔で学ぶことが出来るのは、体系化されたある種綺麗な呪術ばかり。魔女化の技術を始めとした倫理的に問題のある、他者へ悪影響を及ぼしやすい呪術は研究を禁止されており、そういった呪術に興味を持つ者たちが集まって地下に潜むようになったのが、始まりとされている。

 彼らは“裏呪術師連盟”と呼ばれ、長年アザレア国と衝突を繰り返してきたが、壊滅させるまでには至らず、今では暗黙の存在として一定の均衡状態を維持しているような状況にあった。 

 ネメアは非常に不本意ながら、何かを手に入れるためにアザレア王家を二度も襲撃した大罪人、造影の魔女――マヌリス・マヌマリリスの弟子にさせられている。裏呪術師連盟や黒煙騎士に目をつけられて良いことなど何一つない。

 彼らがこちらを振り返ったため、そっと視線を解き、フィオーネの腕に引かれるままその場を後にした。


 黎明の塔では入学から卒業まで六年の期間を要する。

 基本知識の習得に二年を要し、三年目からの授業は選択式となり、受講とは別に任意で専門の研究室に在籍し、師となる呪術師の元で自身の望んだ研究を行う流れとなっている。

 どこに所属するか、所属しないかの選択は各自の自由となり、条件次第では独自の研究室を立ち上げることも、一年目から研究室に所属することも可能となっている。

 卒業者はアザレア国の宮廷呪術師や各国の研究機関、災禍教や独立した呪術師としての活動を始めるなど実に様々な道筋を辿るが、塔の高い研究設備や資料、人脈を利用したい者たちはそのまま黎明の塔所属呪術師として位を築き、研究を行いつつも塔の依頼によって仕事を行うこともある。

 ネメアは四年前から黎明の塔に入学しているため、既に基本学習は終えており、現在は類感・感染呪術研究室に所属している。ここで研究されている類感呪術とは人形のような対象に似たものを媒介にして害を与える呪術のことで、感染呪術とは対象の髪の毛や血などを入手し、それを媒介にすることで対象へ害を与える呪術のことだ。ネメアがこの研究室を選んだ理由は、マヌリスを警戒させないようにするためだった。

 造影呪術は、マヌリスが最も得意とする類感呪術と感染呪術、放射呪術を組み合わせた高度な複合技であり、呪術界でも使い手がほとんどいない希少な技法である。ネメアは基礎的な手ほどきをマヌリスから受けてはいたものの、近頃は直接指導を受ける機会が減っていた。そのため、より自分の実力と弱点を把握するため、この研究室を選んだというのが建前だ。

 ネメアは何者かによって記憶を奪われ、マヌリスからも隷属の呪いを受けている。この二つの呪いは契約呪術と呼ばれる分野のものであり、本音を言えば呪いを解くために契約呪術に関する研究室へ所属したかった。だが、契約呪術研究室を選択するということは、あからさまにマヌリスへ反意を示すことと同じ。自分が隷属の呪いを破る手段を探していると露見するのは、可能であれば極力避けたい。

 幸いなことに、ネメアは昔から何故か呪術との親和性が異常に高かった。課題も人の三倍以上の速度で解くことが出来たため、実際は自身の研究室へはたまに顔を出す程度で、放課後は塔の書庫へ籠り、隷属呪術や記憶に関する呪いを破棄する方法について調べることが日課だった。

 教室の中に講師である老齢の女性呪術師の声が響く。

「――つまり呪術とは、皆さんも既に承知の通り、悪意を対象へ伝える技法のことです。悪意には必ず相手が必要です。周囲に悪意を振りまく対象を絞らない呪術もありますが、基本的には悪意を向ける相手がいなければ成立しません。これを逆手に取り、悪意の対象を相手に返す応用技法が“呪い返し”であり――……」

 長々と続く教師の説明を聞いている間に、眠気に逆らえなくなったようだ。何か揺れているなと思い横を向くと、マープルが口元によだれを垂らしながら目をつむっていた。

「マープル。起きないと。指されたら面倒だよ」

 ネメアが軽く肩を揺らしても頑なに目を開けようとしない。むしろ逆らうように嫌そうに顔をしぼめた。

 そうこうしているうちに、塔の中に場を割るような自己主張の激しい音が響く。朝一に溜めた水の減り具合に連動して鐘を鳴らす水時計が、授業の終わりを告げたのだ。

「今日はここまでにしましょう。何か質問があれば受け付けます。それではまた次回にお会いしましょう」

 学徒たちがまばらに立ち上がり、席から離れていく。その騒がしさを聞き、ようやくマープルが満たされたような表情で目を開けた。

「あなた。いつもいつもそんなに寝てて大丈夫なの? せっかくお金を払って講義を受けているのに、全て無駄になっていると思わないの?」

 マープルのぼさぼさ頭を挟んで向かいに座っていたフィオーネが、呆れた目で彼女を鋭く捉えた。

「昼ごはん食べるとどうしても眠くなっちゃって。ごめんごめん。後で内容を教えて」

 舌を見せながら全く悪びれることなくマープルは明るい笑みを見せた。

 そのまま何事も無かったように話を切り替える。

「次の講義は薬草学だっけ?」

「うんそう」

 応用呪詛学の本を荷袋へしまいながら答えるネメア。

「あたしは獣魔学だから、違う教室だね。また後で」

 何となく馬が合って行動を共にしている三人だが、所属している研究室はそれぞれ分かれている。宮廷呪術師を目指しているフィオーネは、結界呪術の研究室に席を置いて呪術に対する防御術について研究を行っており、田舎出身天才肌のマープルは、直接的な対人、対禍獣に重きを置いた放射呪術の研究室に所属していた。

 講義は選択式のため、各研究室の推奨講義が被った場合のみ、こうして席を共にすることが出来たのだ。

 そのいくつかの講義を受けた後、今日の教育課程が修了した。マープルとフィオーネは研究室へ行く前にお茶でも行こうと誘ってくれたが、ネメアにとって大事なのはこれからだった。二人に申し訳ないと思いつつも、いつものように用事があると断り大書庫へと向かう。

 黎明の塔の大書庫は凄まじい量の書籍があり、それだけで塔の三階分の空間を占領している。塔が建てられた当時から現在まで全ての呪術書や研究成果が収められているのだから仕方が無いことなのだが、多すぎる分、目的の資料を探すのは大変だった。

 必死に本に目を這わせているのと、いつのまにか外が暗くなってきた。塔の中には呪術で常に蝋燭の火が灯っているとは言え、流石に目に悪い。

 ――今日はここまでにするか。

 あとどれくらいここに通えば呪いを解く方法は見つかるのだろうか。

 ネメアはそっとため息を吐き、本を棚へとしまった。


 夕食の準備を終え皿をテーブルの上に並べていると、小さな鈴の音が鳴り、マヌリスが帰ってきた。

 いつもと同じ長い黒いドレスに、波打つような曲線を持った顔よりも幅の広い大きな帽子。二百歳を超えているとの話だが、どこからどう見ても三~四十代の貴族の女性にしか見えない。

 彼女は四年前にこの王都ノアブレイズに来てしばらくしてから、昼間の間はいつもどこかへ出かけるようになった。行先を聞いても教えてくれず、決まって夕方を過ぎた時間には帰ってくる。

 彼女の目的はアザレア王家の宝物庫にある何かだと聞いている。昼間の行動も当然それに関係している事なのだろうが、城の方で騒ぎが起きたことなど一度も無いから、他の場所に出入りしているということになる。

 一体どこで何をしているのだろうか。最近街で起きている複数の乱闘、死傷事件を顧みて、それに彼女が絡んでいるのは間違いないはずなのに、どうしても明確な証拠は得られなかった。

「ほう。今日は魚のスープか。珍しいね」

 帽子を木製の帽子掛けに掛けると、相変わらず優しい声で呼びかける。

 自分に隷属の呪いをかけた人間とは思えない温和な態度だ。この四年間の間に彼女がしたことと言えば、一緒に生活を共にすることと、造影呪術の基礎を教えてくれただけ。お前には役目があると、そう言われてはいるものの、それが何かは一向に教えてはくれない。

 王都で暮らしてきたからこそわかる。造影の魔女は黒陽の国アザレアにとって、国賊とも言われるほどの大罪人だ。多くの黒煙騎士を殺し、二度も王家の宝物庫まで迫った魔女。けれど記憶を失ったネメアにとって、頼れる相手は彼女しかいなかった。彼女が生活を支え、今の暮らしを作ってくれた。

 四年前の事件でその恐ろしさはよく理解している。自分に親切にしてくれるのも、目的のために利用価値があるからというだけだろう。

 だがそれでも、ネメアは今王都で起きている問題に彼女が関わっていないと、この学徒生活がもう少しだけ続いて欲しいと、心のどこかでそう願いたかった。





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