5-E
アルカ達がハーディやゴブリンロードと死闘を演じた翌日。ナナセは朝から大忙しだった。
ダヤンとセーリッシュは病院に連れ戻され、抜け出した上に戦闘などの無茶を行った事を怒られて、今度は監視付きで入院させられてしまった。アルカにしても疲労が溜まっていて自宅でグッスリ寝ている上、書類やら説明やらは下手と来ている。今回の事件の解決を頑張ったからそれくらい許そうと思ってしまえば、関係者への説明などは全部ナナセが一人で請け負わなければならなかった。
そんなあれやこれやが漸く一段落ついた夕方。すっかり暗くなってしまった空を見ながら、ナナセはあるビルの横で煙草を吸っていた。
「あー、寒くなってきたと思ったら」
煙草の煙の行く先を何とは無しに目で追っていたナナセは、空から小さい白い塊が降ってくるのに気が付いた。まだ少し早いと思ったが、初雪だ。
吸い切った煙草を地面に落とし、靴底でグリグリと消す。新しいものを取り出そうとして「そう言えば最近はうるさいんだった」と、地面に捨てた吸殻を拾って、携帯灰皿に入れる。
では新しいものを取り出すか、としたところでナナセに影がかかった。
「やあ。こんなところで何してるんだい?」
ナナセがディアニス・エンタープライズにいた頃の元同僚であり、今回の事件の最初の依頼を持ってきてくれた男、ラペルだった。ここはディアニス・エンタープライズのメビア支社が入っているビルの入り口である。そこで地面に蹲っているように見えるナナセに、ラペルは少し不思議そうに声をかけてきた。
「煙草いじめの激しさに、ちょっとね」
「吸わない方が良いよ?」
「分煙はしてるんだ。それ以上は言われる筋合いはないよ」
煙草については一歩も譲らないラペルはちょっと苦笑した後に、再度聞いてきた。
「で、何をしてるんだい? まさか僕に会いに来てくれたのかな? この間のランチの埋め合わせで」
「ランチの埋め合わせかはともかく、あんたに会いに来たのは、そうだよ」
まさか本当に自分に会いに来たのだと思っていなかったのか、ラペルは目をぱちくりとして見せた。
「そう? じゃあどこかカフェでも入ろうか」
「いや、そこまでの事じゃない。だけどここじゃ大通りに面してるから邪魔かな。こっちでいい?」
「まあいいけど、寒そうだよ?」
そう言いながらもラペルはナナセの誘導に従って、ビルの合間の路地裏にまでついてきてくれた。路地裏と言えどもちゃんと街頭がついており、そこは都市部なのだなと思わせてくれたが、それでも暗さと相まって物寂しい雰囲気を醸し出していた。降る雪の量はまだ少なく、地面は白くなるどころかぬかるみすら見えない。
そんな雰囲気を吹き飛ばそうとしたのか、やや明るい口調でラペルが話しかけてきた。
「そう言えば大変だったんだって? ゴブリンキングだったかを倒したの、アルカちゃん達だったんだろ?」
「まあそうだね。おかげで全員今日はベッドで休んでるよ。怪我というよりも疲れだけどね」
「怪我が無かったなら何より。――それで、話したいことって?」
再度問いかけてくるラペルにナナセは、やや珍しい事に口ごもった。そして何やら言い方を考えるようにうなった後、あきらめたようだった。
「うまい言い回しとか思いつかなかったから直接いうんだけどさ、苦言というか答え合わせかな。そういうのを言うために来たんだよ」
「苦言? 何のさ」
「今回の事件。ハーディに依頼を出し、ゴブリン達の暴走を目論んだ黒幕は君だろ――ラペル?」
***
「な……にを言ってるんだい? 黒幕?」
やや表情を強張らせて声を絞り出すハーディに、ナナセは(もう少しポーカーフェイスでもできればマシだったんだろうけどな)と思いつつ、彼の言葉には答えずに続けた。
「大体、全てをハーディがやったというのは無理があるんだよ。彼が骸装具を作る事ができたとしても、その材料を集めたり、そしてなによりそれを各地にばら撒いて”地域のゴブリンが強くなっている”だなんて状況を作るのは難しい。なにより、スタンピードが起きそうなゴブリンの巣を見つけたり、町中にキング級のゴブリンを押し込めておける施設を作るなんて、土台無理なんだよ。――それが可能な、組織的な力を振るえる協力者がいたと考えるのが自然となる」
「…………」
言葉を発さないのは絶句しているのか、言質を取られないにしているのか。いずれにしたところでラペルにとっては悪手なのにな、とナナセは思う。
「とは言え手がかりなんて全く無かったんだけど……怪しさ満点の君がアクセスしてきてくれたからね。そこで君を調べる為にランチにも付き合ってみたんだが――そこでなんとハーディと電話で話してくれていたからね。即座に犯人が特定できたという訳さ。拍子抜けなぐらいさ」
「ら、ランチの時? どういうことだい、君と会った時にはもう電話なんて」
「通話が終わるまで遠くで待ってただろ? あの時に情報系魔法で読唇をしてね」
情報系魔法とは、精神、霊体、理力、物質、生体と同じく魔法分類の六元の一つ。約半世紀前に定義されたが、進化と発展が進んだのはまだこの十数年という歴史としてはまだまだ新しい魔法分野だ。脳内に概念的な携帯端末を仮想的に持つ事で、脳の入出力に用いる情報を制御することができるのだ。情報系魔法とはその概念端末にインストールするアプリケーションである、という表現ができるかもしれない。
ナナセが使った魔法の一つは、情報操作系魔法の一つ<遠視>。視力の良し悪しと、眼に飛び込んでくる光情報の量は関係しない。ただその光情報を映像情報として受像することができるかどうかが違うというだけだ。<遠視>の魔法は、本来であれば正確な受像ができずぼやけた映像でしかない光情報を解析することで、遠方の情報を正しく受像したものとして脳で認識させてしまうものだ。
もう一つの魔法が情報変化系魔法の<読唇>。ラペルの唇の動きという視覚情報を、話し声という聴覚情報に変化させて脳認識させることができる魔法だ。個人の声に合わせるまでに至ってはいないが、唇の動きを正確に見る事さえできれば、それなりの精度で音声情報として聞くことができるものだ。
そう。他の人に聞かれないように小声だったかもしれないし、誰にも近づかれないように注意をしていたかもしれない。しかし遠くから見るだけで情報を聞き出す事ができる、ということをラペルは想定もしていなかったのだ。
「正直な事を言うと、その君の迂闊さには助けられたよ。何せハーディがまだ何かを狙っているとは分かっても、その目的地が分からなかったからね。下手したらメビア中、いやもっと広範囲すら探さなくてはならなくなったかもしれない。そうしたら都市の中心部でのゴブリンのキング級が現れるなんて事態、対処が間に合わなかっただろうさ」
正直そこは運が良かったにすぎないとはナナセも思う。もしラペルが事件に何の関係もなく、ただナナセを地方の愛人として囲おうとしたとか、恩を売って駒にしようとしたとかだけだったら、事件解決には結びつかなかっただろう。
ナナセももともと探偵ではない。できる事は情報系の技術を駆使しての検索くらいなものだ。今回はキーワードがたままた寄ってきてくれたから真相にたどり着いたという点は大きい。
「――いや、ラペルの失敗があったからこそか」
「失敗? 僕が、何を失敗したと?」
これまで沈黙を保っていたラペルが、ナナセの言葉にピクリと反応してきた。どうやらエリートである自認がある彼は、自分が失敗するという事を極端に嫌うらしい。どのように彼の中の言い訳が成立しているかは知らないが、言葉遊びをして自分を納得させているだけに過ぎないだろうに、とナナセは嘆息した。
「君はこの街で三つの大きな失敗をした。一つはさっき言った、あのレストランでの会話だ。会社でもコンプライアンス違反として怒られる案件だろうが――地方都市だから大丈夫だと油断したんだろ?」
「――っ」
「二つ目は、スタンピードにしろキング級ゴブリンにしろ、その扱いに対する隠蔽が甘かった事だ。だから君の事をキーにして色々洗ったら、偽装のペーパーカンパニーとその奥の事にも辿り着けてしまった」
ラペルの顔が歪む。”自分はちゃんと命令した”とでも考え心の中で部下を罵倒しているのだろうか。それでも、彼の指示の仕方の問題であり、責任が彼に降りかかる事であることは分かって無いのだろうか、とナナセは思った。
(いや、むしろそうやって責任を押し付けるのが彼のエリートとしての処世術だったのかもしれないな――)
そんな考えを頭の隅に押しやりつつ、ナナセは続けた。
「三つ目は……そもそも、あたしにアクセスしてきた事だ。それがアルカがスタンピードを止める事にもなったし、キング級の討伐にも繋がった。断言していいが、あれはアルカだからできた事だ。メビアにおいてあんなことができたのは、アルカだけだ。……まあ、そこは運が悪かったと言えるのかもしれないな。けど、あたしに依頼をしてこなければ、そもそもアルカが関わる事が無かったのも間違いないからな」
そう。ラペルの陰謀はほぼほぼ成功していた。ラペル自身が関わったこの3点だけを除けば、成功していたかもしれないのだ。
「……いつから、だ」
しばらく下を見て沈黙を保っていたラペルが、顔をゆっくりと上げてナナセの方を見てきた。その顔はいつもの二枚目然としたものではない。追いつめられた獣のような狂気を孕んでいるように見えた。
「いつから怪しんでいた、か? 言わなかったか? 最初からだよ」
「最初? 僕が君の事務所を訪ねた時からだっていうのか?」
「あ、違う違う。もっと前だ。そうか、最後からだ、と言った方が良いのかもしれないな」
「最後?」
「最後に会った時。つまり、君が自分のしでかした横領の罪をあたしにおっかぶせて、首にしたあの時からだよ」
何でも無い事のように平然と語るナナセの言葉に、ラペルは目を見開いて喉の奥で声を詰まらせた。
***
「君が自分のしでかした横領の罪をあたしにおっかぶせて、首にしたあの時からだよ」
何でもない事のように告げるナナセのその言葉に、ラペルは驚きの声が出るのを必死に押しとどめていた。
(知っていた、だと!?)
あれは、ラペルが最初に横領をして、それが発覚しかけた時だった。同期の中で一番邪魔な存在だったナナセに全ての罪を押し付ける事を画策し、実際にうまくいった。その成功体験がラペルの中で確かなものとして積みあがっていったものだ。
ナナセは全く反抗もできずに首になった。”同期の中では一番優秀”という肩書きを手に入れる事ができたことに、当時のラペルは一安心をしたものだ。仕事一筋過ぎる女ではあったが、間違いなく優秀ではあった。そんなナナセが、エリートとしての人生を歩んできた自分よりも高く評価される事などゆるせない――。
言ってしまえばナナセに罪をかぶせた理由などそんなものだ。それからも彼は、罪をかぶせるのに都合の良い駒を見つけては、私腹を肥やす際の危険は全て肩代わりをさせて来た。そうまでしてディアニス・エンタープライズという大会社の中で、次々に地位を高めてきたのだった。
そしてラペルは、そうして犠牲にしてきた人達に良い顔をして見せることも怠らなかった。「会社に残れるように頑張ったが、力足りず申し訳ない」そういって頭を下げてみせれば、犠牲になる事しかできなかった者達は、逆にラペルに感謝すらしてくることだってあったのだ。
そんな成功例の一つである筈のナナセの口から、その事実を知っていたと知らされてラペルはあまりの驚きに固まってしまった。知っていたのならば恨み言の一つでもぶつけてくるかと思いきや、ナナセの目にはラペルに対する憎悪などは見えない。あったのは、こちらへの興味の無さとすら言える熱の無さだった。
「ちょっと調べたら分かったけどさ。……正直、もう面倒くさくなって辞めたんだよね。だからどうでも良かったんだけど――さすがに今回目の前に現れた時には、どんな厚顔無恥だと思って驚いたけどね」
淡々と語るナナセの口調には、やはり熱など篭っていなかった。ただただ事実を語るだけの冷静さだけがあった。
「とは言えもうあたしはディアニス・エンタープライズから離れてたし、依頼自体は一応まっとうなゴブリン退治だし。まあいいかって邪魔はしなかったんだよね」
ラペルがナナセの事務所を利用しようとした理由の一つは、ナナセをもう一回利用してやろうという考えが浮かんだためだった。ラペルにとってナナセは、社内政治に疎すぎる技術馬鹿である。ディアニス・エンタープライズを首になって、最新技術に触れられなくなった苦痛をすくって見せれば自分に恩を感じるのではないか。駒としてその優秀な技術力を使ってやろうじゃないか。そんな思惑があった為だった。
そしてもう一つの理由は、ナナセの妹アルカがギルドのFランカーだったことだった。ソルケ村の近くの山で、ゴブリンのスタンピードが起きそうになっている事は分かっていた。ソルケ村に被害が及ぶようであればそちらの事業に影響が出てしまうため問題だが、ゴブリンは繫殖欲旺盛であるため、茸が生えている山ではなく村の方に行くだろうということは予想ができていた。だからラペルとしては”守ろうとした”というポーズを取りつつも”実力及ばずにスタンピードでやられてしまう”という類の冒険者に依頼するのが最適と思えたのだ。
が、そのアルカがFランカーの筈だったのにスタンピードを潰し、ゴブリンのキング級までをもつぶしてしまった――。ラペルにとってあまりにも想定外の出来事であった。
「……誰かに、言ったのか?」
ラペルは言質を取られないよう、あやふやな言葉を選んで問いかけた。証拠を見せられた訳ではないが、ナナセは確信しているのだろうし、そこに言い訳を並べた所で時間の無駄だ、と考えたのだ。むしろこんな事は誰も信じない与太話だとしてもいいし、会社の力でもみ消してしまえば良いとすら思えた。
「あたしが誰かに密告するって? ……多分、そんなの関係なくなると思うけど、そろそろ」
「どういう……意味かな?」
「ああ、これだよこれ」
言ってナナセは手元で弄っていた携帯端末の画面を見せてきた。それを見たラペルの思考が白く染まる。
「な、なんだこれはっ!?」
慌てて自分の携帯端末も取り出してニュースサイトにアクセスする。そこで見たものはナナセに見せられた映像ニュースと同じものであり――。
『――――横領の罪で起訴されたラペル容疑者は現在逃走中とのことです。またこの横領した資金の流用先についてですが、昨日メビアで発生した妖魔の発生事件にも関係しているとの見方もでており、捜査本部は調査をしているとのことです。この件についてディアニス・エンタープライズでは、社員が事件を引き起こした事について遺憾の意を表すると共に、事件解決に向けて全面協力を――』
キャラスターがニュースを語るその画面には、ラペルの顔写真と名前とがどうどうと晒されていた。もはやナナセがどうということではない。全国にラペルの顔と名前が、犯罪者として知れ渡ってしまった――。
「な、これは、え、何、な」
混乱する心で言葉をうまく紡げないラペルに向かって、ナナセがやはり熱の籠らない声で告げてくる。
「社内政治に興味が無くて切られたあたしが言うのもなんだけど……逆にあなたは、社内政治が仕事だと思いすぎたんだよ。実力を育てる方向を間違えすぎた。だから――切られる事になった」
「きら、れた……?」
「トカゲのしっぽ切りだよ。君は会社に捨てられたんだ」
「ば、馬鹿な、そんな馬鹿なっ!」
今回の大仕事、妖魔を利用してやろうというビッグビジネスに繋がる可能性がある実験だ。それをラペルに任せるのは、これから先を見据えた大事な実績作りにもなるから期待しているからだと、頑張れと、上司に笑顔で言われたのだ。自分は期待されていた筈なのだ。会社に、ディアニス・エンタープライズに切られる訳がない。
そうラペルは心の中で絶叫するが、ナナセは冷徹なまでにラペルが聞きたくなかった事を言語化する。
「ちょっと調べたらあたしに罪を被せたのが君だって分かったって言ったろ? 天下のディアニス・エンタープライズがそれに気づかない訳がないじゃないか。当然、幹部連中だって知っていたさ。知って、便利に使い潰せる駒として君を飼ったんだよ。君が私をそうしようとしたように、ね」
「でも、僕は、期待されてて、同期で一番で……」
「君程度の実力と要領の良さを簡単に超える人間がゴロゴロしているんじゃないのかな? なんといっても天下の世界企業、ディアニス・エンタープライズだよ? 君は思った程優秀では無かっただけだよ。もっと小さい会社に入ってればお山の大将で幸せになれたと思うけどね。それに君は、ゴブリンのスタンピードとかキング級とかは、場所を教えられただけでしょ?」
「え? は?」
「こんなに都合よくスタンピードが起きたり、キング級を都市部に持ってこれたり。ゴブリンの生態だって詳細にはまだ分かって無いのに、そんな事をどうやったのか。今回の一番の謎な部分はそこだったんだけど……どうせ知らないのでしょ?」
確かにラペルは聞いていなかった。事前情報としてそれらは場所などを知らされただけだ。何故、どうやって。そんな事には疑問すら抱かずにただラペルは仕事に邁進していた。ただ、それだけしかできていなかった。
それはあまりにも明確な”会社がラペルに、本当に機密の情報を渡していない”という事に他ならない証拠でありすぎた。
「あなたがどれだけ会社に食い込んでいると思ってたかどうかは知らないけれど……調べる際にはあなたの事は比較的容易に調べられたけど、それ以上はガードがきつくて今回は諦めたの。つまり会社にとってあなたの情報は、そこまでして守るものでもなかったって事になる」
「そんな――馬鹿な。僕はディアニスで……」
「君がこの先どんな人生プランを考えていたかどうかは知らないけど……多分、それはもう無理じゃないかな? こんなにも報道されちゃぁね」
「あ? あ、ああああああああっ!?」
そのナナセの指摘の正しさに、ラペルは絶叫した。これだけ犯罪者として報道されてしまえば、ディアニス・エンタープライズにはもういられないどころか、普通の就職だってどうなることか。それどころか、これまで良い子で通してきた親にどうみられるか。頼れる友人、かっこいい恋人でいた筈の自分がこれからさ先どう見られていくのか。
これまで自分が見下していた職に就き、自分を信じ慕っていてくれていた人達の失望と軽蔑の眼差しを想像してしまい、ラペルはそのあまりの恐ろしさに目がくらんだ。ふと膝から力が抜けて地面に倒れるのを、手を地面について耐える。いつの間にか白く化粧をしたアスファルトは、ひどく冷たかった。
「もう時間、かな」
「……?」
「君に今回会いに来るにあたって、一番怖かったのは腹いせに殴りかかってくる事だったんだけどね。もうそれも大丈夫になったようだ」
ナナセのその言葉とどちらが早かっただろうか。ナナセの後ろから警察の警察をした男が現れた。
(け、警察? 逮捕される?)
あまりの恐ろしさに逃げようと後ろを見ると、そちらの方からも警察の男が一人歩いて来るに気づいた。ことここに至って、漸くラペルは理解した。ナナセが会話の場所に路地裏を選んだのも、ラペル逃亡を防ぐためだったのだ、と。
「う、うわぁぁぁぁぁ!」
捕まってたまるか、と横を走り去ろうとしたものの警察の手をすり抜ける事すらできなかった。すぐにがっしりとした手で拘束されると、手を後ろに回されて、ガチャンという音と手首に冷たい感触。
(て、手錠!?)
これまでの人生でも、そしてこれからも続いていくであろう人生の中で、自分にかけられることなど想像もしていなかったもの。それがエリートである自分の手にかけられてた事が、かけられてしまった事が、自分にとって大切だった最後の何かを壊してしまった気がした。
強制的に立たされたラペルの目の焦点は合わず、どこか遠くを見てしまっていた。
「こんなの……こんなの嘘だ。だって僕はエリートで、うまくやって、幸せな人生を――」
「あのさ、ラペル」
いつの間にか煙草を取り出して火をつけていたナナセが、やはり無機質な目をラペルに向けてきて、言った。
「あなたのそのエリートごっこに付き合ってあげられる程、私も他の皆も暇じゃないんだよね」
「エリート……ごっこ……」
その言葉を最後にラペルは全身に力が入らなくなった。警察に無理矢理引きずられるように連れていかれていく。
まだまだ雪が降るその夜は、どこまでも冷たかった。




