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「こちら、メインディッシュのソルケ茸のステーキになります」
そうウェイターによって給仕されたのは、アルカが先日ソルケ村で供されたものではなく、正真正銘世界中で人気食材とされている干したソルケ茸を使った料理だった。
取ったソルケ茸の傘と軸を切り分けてからそれぞれ干す。その傘の部分を特製ソースの中で煮込みながら戻すのだ。ソルケ茸に特製ソースが吸われ、その特有の香りがソースにも移っていく。十分にソースを吸い火が通ったソルケ茸の傘を鍋から取り出し、表面にバーナーで焼き目を付けたのがソルケ茸のステーキだ。
(でかいな)
メビアに住むナナセも同じ料理を食べた事がないでは無かったが、目の前の皿から良い香りをくゆらせているそれは、成人男性の手程の大きさで、これまで食べた事もない程のボリュームだった。
肉厚な身にみっちりとソースを含み、表面の焼き目から香ばしい香りを匂いだたせている身にナイフを入れるとスッと切り分けられ、その断面からはソースがにじみ出る。それを口の中に入れれば、まず感じられるのはソルケ茸特有の香りだ。口の中で嚙み締めればブツリという独特の歯ごたえと共に、肉汁ではないがソースがあふれ出てくる。小気味よい歯ごたえを楽しんで咀嚼するうちに、ソースの旨味と茸が本来持っていた旨味が口内で暴れまわり、同時に香りが充満する。飲み込めば確かなのど越しと、そして最後の残りがが鼻に抜けていく様子は官能的ですらある。
(うまっ。匂い良っ)
ナナセもこれまで数回食べた事はあるが、その中でもとびきり美味しいものだということは認めざるを得ない一品だった。
付け合わせには人参やブロッコリー等がならんでいたが、その中にはソルケ茸の軸を使ったソテーが混じっていた。干した軸を水で戻して一口サイズに切ったものを、フライパンで軽くソテーして塩コショウで味を調えたものだ。傘のステーキ程の鮮烈さはないものの、ギュムギュムとした歯ごたえは傘よりも強く、そして仄かに漂う香りは傘のステーキと同じものなのだから、相性は言うまでもない。
そこにワインを流し込めば、あまり食に興味がないナナセであっても、こんな贅沢をこんな時間からしてよいのか、と気になってしまう程だ。
そうしてしばらくは舌鼓を打ち、軽い雑談をする程度の時間が過ぎた。ラペルの顔がやや厳しくなり、重々しい口調で口を開いてきたのは、食後のコーヒーを飲んでいる時だった。
食後に飲むものとしてコーヒーを選んだナナセだったが、出されたものはすっきりとした香りであるどこか高級感を漂わせるものだった。もっと苦味と酸味が強い、ジャンクな味でも良いのになと思ったナナセはつくづく自分が貧乏舌なのだなとくだらない事を考えていたのだが、ラペルはそんなナナセに謝罪を告げてきた。
「その……あの時、君の事をかばえなくて申し訳ないと思っている」
「かばうって……」
「君が横領なんてする筈もないのにな。そんな事分かっていたのに、君の退職を止める事ができなくて本当にすまなかった」
そう頭を上げるラペルにナナセは頭を上げるように言いながらも、(そう言えば自分は横領ということで辞めさせられたんだった)と思い出していた。
まるで他人事のように思い出すのは、ナナセにとってはまさしく身に覚えの無い事だったからだ。
ナナセはディアニス・エンタープライズに入ってからも、好きなように研究をさせてもらっていた。割り振られた仕事もそれなりに楽しくこなせていたし、そこだけ見れば天職だったかもしれないとは今でも思う。
だがそんなナナセにとって想定外だったのは、ディアニス・エンタープライズには強固な社内政治の文化が色濃かったことだった。やれどこの大学の出身でどの教授の元にいたのかというのが重要視され、派閥が出来上がっていた。情報系の事業という意味では比較的新しい分野の仕事をやっている部分もあったが、そも大企業にまでのし上がったのはそれまで別の事業で成功を積み重ねてきたからである。それを引きずって今もなお社内派閥の力が大きく、それには比較的新しい事業である筈の情報系事業も飲み込まれていた。そしてナナセはそれに興味を持たな過ぎた。興味がないのならば無いでも良かったのだろう。だが、うまく話題をかわす、そらすという事がナナセにはできなさ過ぎた。
ナナセはアルメリアでも有名な大学を主席で卒業している。よって、同じ大学出身の派閥からは喜んで向かい入れられた。しかしナナセはそれについて興味をもたず、ただひたすら自分の仕事だけに向き合いすぎた。その結果、同じ派閥の人間の目には、可愛く無さ過ぎると映った。また、別の派閥の人間からすれば、当然のように敵視された。つまり、ナナセは社内政治という意味では孤立したのだ。
そう考えれば、ナナセは会社になど入らずに、大学で教授になるなどの研究職になっていた方が幸せだったのだろう。だが、セイワーズからの留学生プログラムの延長上として、特に主席で大学を卒業したナナセは、スポンサーたるディアニス・エンタープライズへの入社がほぼ強制されてしまった。いや、固辞する事は可能だったかもしれないが、それすら面倒だと当時のナナセは考えてしまったのだ。
それでも最初は良かった。世界最先端の環境の中で自分が好きな情報系の仕事をして行けるというのは、ナナセにとってもプラスではあったし、それ自体はとても楽しんでやれた。
だがそれにかまけすぎて社内を見ないでいすぎた結果、気が付いたらナナセは横領の罪に問われていた。
当然何の事を言われているか分からなかったし、抗弁もした。だが「お前がやったのは分かっている」などと捏造されているであろう証拠を見るうちに、次第にナナセは”どうでもよくなってしまった”のだった。
ナナセは元々、情報系という自分に向いた分野において才能を発揮し、その研究には全力であたっており楽しんでやれていた。しかし”開発したものを商品として売り出し、皆に使ってもらう”というような価値観を持たなさ過ぎた。つまり彼女にとっては、ディアニス・エンタープライズにしがみつく理由が希薄でありすぎたのだ。
もしそこで同じ大学出身の派閥を頼る事ができていたならば、まだ残留の目はあったのだろう。だがそうした努力をする事が面倒になったのだ。ナナセにとっては社内政治など仕事上のノイズでしかなかった。そんなノイズを受け入れて仕事を続けるには、ディアニス・エンタープライズという器に魅力を感じなさ過ぎたのだ。
結果としてナナセは、事件として罪に問われることは無かったが、懲戒解雇という形になった。
それに未練も感じずにメビアに流れてギルドで働くようになり、そして事務所を開いて今に至るというのがナナセの状況であった。
ラペルはその際にナナセの力になれなかった事を悔やんでいる、と言った。
「今なら私の力で、君をディアニス・エンタープライズに戻してあげられる」
過去を悔やんでいるが故に復帰の道を用意したいのだというラペルだったが、正直なところナナセは冷めているところがあった。理由は上述した通りだ。
(また社内政治に巻き込まれるのは……嫌だ)
ラペルが自分の力で、というからにはもしかしたら彼が入っている派閥で自分を守ってくれるのかもしれない。だがそれは同時に否応なく社内政治に巻き込まれてしまうという事を意味する事もである。それは仕事上受け入れたくないノイズを受け入れろという事に等しい。ナナセにとってはあまり魅力が無い事になってしまったのだ。
(まあ、でも”誤解で首になった人を戻す”というのは、善意ある人がやる行動としてありうるというのは理解できないでもないな……)
そんなナナセの内心を知らずに、ラペルは続けた。
「君は優秀だ。昔から知ってる。なのに研究開発ができない事務所で事務仕事ばかりをやらせておくのはもったいなさすぎる。今なら僕の力で君を戻せる。考えてくれないか?」
身を乗り出して言うラペルは本気なのだろうな、とナナセは思う。それが故に何と言って断るか、という事にナナセの考えはシフトしていた。戻る気はないが、さりとてそれをストレートに言いすぎるのも、食事を奢ってもらっている身としては、やや失礼に当たってしまうのではないか、くらいのことはナナセも考えたのだ。
(さてどうしたものかな……)
そんな事を考えながら、ふと窓の外を見た時だった。
(……ん?)
遠くに何か気になるものが見えた気がして、ナナセは目を細めた。そして、それが何なのかに気づいた時――ナナセは慌てて立ち上がっていた。
「ナ、ナナセ?」
「すまん、ちょっと用事ができた。この埋め合わせはまたする。今はすまない、失礼する!」
ナナセらしくない焦り方に呆然とするラペルを置いて、ナナセはレストランの入り口に向かって歩き出した。携帯端末を取り出してコールする。
「――あのバカ、電源切ってやがる」
ウェイターに謝りつつ店を出て別の番号にかけるナナセが目の端でとらえる窓の外の遠く。そこには、少し色の変わった狼煙があがっていた。
***
パチパチと音を立てる焚火の前にアルカは座っていた。メビアの町から少し離れた、少し小山になっているあたりである。都心ならいざ知らず、地方都市のメビアにはすぐ近くにもこんな場所があった。アルカは目を付けたそこに、器具を持ち込んで焚火をしたのだ。
その中からは、一緒に投げ込んだ薬剤が燃えた結果として、色のついた狼煙が立ち上っていた。オレンジがかった色の煙は、まだ青さが残る空に真っすぐと立ち上っていて映えているように見えた。どういう薬剤を使っているのかは知らないが、かつてハーディが「必ずかけつける」と告げたのもわかるくらいには、目立つ煙に見えた。
そう、これはかつてハーディから渡された狼煙だった。子供の頃に使った時には結局ハーディは来なかったが、それでもアルカが今になってこの狼煙を使っているのは、結局のところは期待が残っているからだ。何かもお守り代わりのつもりだったのか、ずっと子供の頃から持ち歩いていたものだった。
(ハーディ兄は……来てくれるかな……)
そうボンヤリと焚火の火を眺めるアルカの顔は、やけに幼い印象を与える。それは彼女が子供の頃の事を思い出しているからかもしれない。
アルカにとってハーディは、初めて会った時からずっと前を見て努力をしている人だった。
竜骸という特級骸装具を代々受け継いでいるセイワーズの名門の子供として生またハーディの事を思い出しても、アルカの思い出の中ではずっと骸装具の修行をしているイメージしかない。骸装士に憧れ始め、具体的にどうやったらなれるのかを考えた時に出会ったハーディは、アルカにとっては正しく目指すべき存在そのものだった。
(ハーディ兄と同じ事をしていればきっと骸装士になれる!)
子供心にそう思い込んだアルカは、近所のハーディの所に日参することになった。勿論、竜骸となる事を目指し適正も認められていたハーディと、まだ何者でもないアルカでは同じ努力などするものではない。すぐにそれは分かったが、ハーディはそれでもアルカを投げ出すことなく、アルカが骸装士になるに適した道を一緒に考えてくれた。
つまりアルカにとって、ハーディとは骸装士への道そのものだった。そして事実、ハーディの言う通りのトレーニングをした結果、幼年期のアルカは様々な骸装具を簡単に扱って見せ、才能があると見込まれた。
(ハーディ兄に言われた事をやっていれば、やっぱり骸装士になれるんだ!)
それは誤解というのも難しい、アルカにとっては親の教え以上に絶対的な芯となった。そんなハーディは自らの努力もし続け、その将来は立派な骸装士になるのだということは本人も、周りの人間も疑ってすらいなかった。なによりアルカが誰よりもそれを確信していたといっていい。
今になって思い返しても、あれは愛や恋といったものではなかった。幼い思慕ですらない、自分にとっての英雄へ向ける感情。あえて言うなればあれは、憧れだった。自らの目指す所を示し、体現してくれたその背中は、幼きアルカにとっては正しく憧憬だったのだ。
――だから、目の前から突如失われた時には、混乱する他なかった。
何故、どうして。そんな言葉が何度アルカの中を木霊しただろう。自分の骸装士の才能に壁を感じ、悩み、その答えを幼い頃のようにハーディの背中に見ようとした矢先だった。
目指そうとしていた、目指すべき背中を失ったアルカは、どうすればよいのか分からなくなった。
アルカも今考えればハーディの事情を考えたり、自分に何も言わずにいなくなってしまった事に憤りを覚えても良かったのかもしれないとは思う。だが当時のアルカは自らの抱える問題の事もあり、ただひたすらに混乱し迷うことしかできなかった。
結果としてハーディの事を詳しく調べるという事すらできず、今日まで来てしまった。
(ハーディ兄が、犯罪者になってる?)
両親が犯罪を犯したのは知っていた。ハーディ自身はそれに関わっていない事も知っていた。だから、ハーディ自身は何も悪くないのだ、ただいなくなっただけなのだ、というのがアルカの認識だった。かつて自分の中のヒーローだった存在を、無意識に犯罪とは結び付けられなかったのかもしれない。
しかし先刻ナナセからハッキリと言われてしまった。かつて憧れた人が、犯罪を犯していると。
(もう、何がなんだか分からない……)
考えもまとまらない。どうすればよいか分からない。かつて、骸装士としての壁に突き当たった時の自分と同じように、今のアルカもまた混乱に飲まれるだけとなっていた。
どれほどそうしていた事だろう。ガサリ、という音をアルカの耳が拾った。ボンヤリとしていた自分を自覚し、耳をそばだてると、自分に近づいてくる足音に気づく。
ゆっくりと、ゆっくりと近づいてくる足音にアルカも合わせてゆっくりと立ち上がる。
足音が止まる。アルカはそちらの方に、体を向けた。
そこにいたのは一人の男だった。黒いコートの男。アルカに知る術はないが、かつてアルカがソルケ村にいる頃にそれを眺めていた男だ。
アルカが最後に見た頃から10年ほどの時間が経っている。コートに隠れて、顔も良く見えない。しかしアルカには分かった。その体型、佇まい、歩き方のクセからもわかっていた。誰よりも、誰よりも見てきた記憶に焼き付いていた人だから。
「ハーディ……兄……」
「……まだ、そんなの持ってたのか」
言われた男が顔を上げ、おもむろにアルカに顔をはっきりと向ける。それは、まぎれもなく、アルカがかつて憧れた男、ハーディ・ドミニクに間違いなかった。




