第2話 侵食される日常
解析には時間がかかる。その間、俺は部屋を見渡した。
高橋の部屋には、カレンダーが二つある。一つは壁掛けの一般的なものだが、もう一つはデスクの端に置かれた卓上カレンダーだ。
壁掛けの方は真っ白だが、卓上の方は、特定の日にだけ小さな×印がつけられている。その日付は、俺が今の会社に転職した日や、かつての恋人を失った日と一致していた。
偶然だと言い聞かせた。だが、背筋に冷たいものが走る。
解析ツールが完了のシグナルを鳴らした。
隠しパーティションの中身が、エクスプローラーに展開される。そこには、SNSのログが数テラバイト分、保存されていた。
『20代、フリーター』『30代、バリキャリ』『40代、主婦』。
高橋は、複数の人格を使い分け、インターネット上で数千人の人間と擬似的な関係を構築していた。
その中に、見覚えのあるハンドルネームがあった。
『蒼井』。
彼女が、俺と別れる直前に使っていたSNSのアカウント名だ。
俺は震える指で、そのフォルダを開いた。
そこには、彼女が俺だけに送ってくれたはずの風景写真が、高解像度で保存されていた。さらに、その下にはテキストファイルが並んでいる。
ファイル名を見て、俺は息を呑んだ。
『瀬戸・観察記録_001.txt』
中身を開く。そこには、俺のここ数年の行動が、分単位で記されていた。
『〇月〇日、瀬戸は新しい仕事に応募した。これで私の計画の駒が揃う』
『〇月〇日、瀬戸がデジタル遺品整理屋として独立。予想通りの選択だ』
高橋は俺を監視していたのではない。俺の人生を、デジタルというフィルターを通して、意図的に導いていたのだ。
俺が彼女を失ったのも、俺がこの仕事に就いたのも、すべては高橋が描いたシナリオの上での出来事だったのか。
部屋の空気が、急激に重くなる。
俺はPCから目を離し、部屋の隅に設置されたデジタルフォトフレームを見た。画面は真っ暗だが、その表面に、俺の顔が歪んで映っている。
フォトフレームの裏側に、小さなメモが貼り付けられている。
俺はそれを剥がした。
『瀬戸へ。君がこの部屋に来ることを、ずっと待っていた。私の死後、君がこのPCを開き、私の人生を整理する。それが、このゲームの最終章だ』
俺はモニターを見つめ直した。
ブラウザの画面が、勝手に更新される。
新しいメールが届いていた。送信者は、亡くなったはずの「高橋」のアカウントからだ。
件名:『君の番だ』
俺はキーボードに手を置いた。
ここで電源を切れば、すべては終わる。だが、俺は知りたいという衝動を抑えられなかった。
この「ゲーム」の先には、何があるのか。
そして、俺が今まで生きてきた人生は、本当に俺のものだったのか。
俺はログインボタンを押した。
モニターの光が、暗い部屋の中で俺の顔を青白く照らし出した。




