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初めてヤマトに出会ったのは、2歳の頃だ。
保育園が同じだった。誕生月も一月違いで、成長速度も大体同じ。
まぁ、気が合うのも当然だ。よく一緒に走り回ったり、競い合ってたっけ。
小学校に上がっても、付き合いは変わらなかった。けれど、その頃からだろうか。
それまで自衛隊しか入ることはなかった(ちゃんと守られていたかは知らないが)ダンジョンに、一般人が入れるようになったのだ。
有名なパーティなんかはテレビにも出ていたし、それはとてもカッコよく映った。
それまでも自衛隊の精鋭チームがダンジョンに挑んでいるなんて話はあったが、メディアは娯楽としてでなく、あくまで公共事業の一種として取り上げられていたから、楽し気にテレビに映る一般のダンジョン探索者たちが子供たちの憧れの存在になるのも、当然だった。
ある日、ヤマトが言ったのだ。
「高校生になったら、絶対探索者になるぞ!」、と。
探索者ライセンスの取得は、15歳から。15歳でも中学生はライセンスを取れなかったから、必然的に中学を卒業してからしかダンジョンには入れない。
もっとも、最初はバリケードや検問まで敷かれていた地元のダンジョンの管理がどんどん杜撰になっていくのを見ていたので、中学生でも、なんなら小学生だって入れそうだとは思ったが、どうしてだろう。ルールを破ってまでダンジョンに入ろうとは、当時の俺たちは思わなかった。
高校まで、ずっとダンジョンのことを調べていた。探索者になる日を、夢見て。
ヤマトと一緒に工業高校に入ったのも、「男子多そうじゃん?」なんて思いつきからだ。実際、男女比は97:3くらいだったので、普通高校より工業高校を選んだのは、正解ではあったと思う。
すぐに部活を作った。メンバー集めはほとんどヤマトがやった。俺が誘ったのは寺内くらいだ。
その頃には、迷宮学――ダンジョンを研究する学部が有名大学とかに作られるくらいにはダンジョンは日本中に浸透しており、偶然図書館で見かけた同じクラスの寺内が、有名なダンジョン学者の本を読んでいたから、俺から声を掛けたのだ。
探索者に興味はあったようで、寺内は二つ返事で受けてくれた。あいつ、はじめは弓道部との兼任だったっけ。
入学から1週間もしないうちに6人集まり、それから俺たちは、寝る間も惜しんでダンジョンに潜った。
赤野なんかはひどく打算的で、楽しさより『儲かるか』ばかりを考えていたからちょっと空気感は違ったけれど、まぁそこは男女差だと割り切った。
ヤマトが勇者になったのは、高1の冬だ。
その頃俺たちが潜っていたダンジョンには、『幸運のウサギ』という噂があった。
絶対にウサギ型モンスターが居ないようなところに突然ウサギが現れたら、そいつは超高レアカードをドロップするから絶対に倒せ――、そんな噂だ。
ダンジョンにいくつもある、根も葉もない噂だと思っていた。
――実際にそいつを倒して、確認されている限りの最高レア――等級9、『勇者』のスキルカードを入手する、その時まで。
誰が使うかは、少しだけ揉めた。
赤野が「使ってみるまで効果も分かんないんだから、売ってそのお金で確実に強くなれる装備更新をすべきでしょ」と主張して、久米が「一番勇者っぽいのは俺だろ!」と主張した。久米は髪をガンガンに逆立てて脱色していたから、確かに外見だけなら一番勇者っぽかったと思う。ヤマトは「誰が使っても勇者パーティになるじゃん!」とテンション上げていた。
俺と神林と寺内の3人が辞退したので、3人がじゃんけんをして、勝ったヤマトが使うことになった。
――それから、怒涛の快進撃が始まった。
『勇者』は、最高等級に恥じない、無法のようなスキルだったから。
内包する機能――モジュールスキルが大量にあり、ステータスには極大の補正がかかった。一緒に戦う仲間――パーティメンバーまで強化が及んだことで、俺たち全員は、あっという間にファーストランクをカンストした。
その頃にはもう、はじめは勇者になりがっていた久米もヤマトのことを認めていたので、ドロップした『上限解放』をヤマト一人に集中させる案にも、反対者は出なかった。
そして、しょせんただの高校生に過ぎない俺たちは、無謀にも迷宮災禍に挑み――
勝利した。
勝利してしまった。
一番、大事なものを、
決して失ってはいけなかったものを、犠牲にして。




