紅神龍の御子生誕
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―――闇夜の中で蒼白い月の灯りを反射させる湖の畔
涙が溢れて止まらないイェンリンの前に立ち、紅の髪から神々しい輝きを放つ美女が『紅神龍』クリムゾン・ドラゴンだと知ったイェンリン―――
「生きることを決して諦めない強さを持つ貴女は、とても美しくて―――愛おしいから」
その一言が心に響いてイェンリンの瞳から溢れる涙は、今まで感じたことのない感情が心を埋め尽くして溢れていることだけは理解出来た。
優しい笑みを浮かべながら、紅神龍はそっと地面に座り込んだイェンリンの頬を撫でる。
「そんなに泣いて……まだ答えてもらっていないのだけど?」
その白く細い指でイェンリンの頬を撫で、溢れ出る涙を拭った紅神龍の問いにすぐさま答えることが出来ずにいると、
「……紅神龍様」
二人の傍に突如姿を現した者が暗闇から紅神龍に呼び掛ける。
「紅神龍様……皇国軍が此方にも向かってきております」
「あら、そうなの?でもこんな湖に向かってきて、何が目的なのかしら……」
「恐らく逃亡した者を捜索するための部隊かと……如何なさいますか?」
問い掛けながら月明りに姿を現した者は―――
―――真紅の鎧に手甲足甲を纏い、羽根飾りを取りつけた兜を被る女だった。
長い銀髪を風に靡かせ、真紅の瞳を鋭く細めてイェンリンを見つめるその女は、イェンリンがこれまでの人生で見たことがないほどの美女であり、目の前の紅神龍も同じく眩しいほどの絶世の美女であることから益々自分の姿がみすぼらしく思えた。
「フレイア―――この娘を私の御子にすることに決めたわ」
「―――えっ!?」
返事をまだしていないにも関わらず、紅神龍は既に自分のことを御子として決めていることを言葉にして聴かせる。
「言祝ぎ申し上げます」
その場で片膝をついて平伏するフレイアが祝いの言葉を口にすると、
「もうこの場所に用はないわ。私はこの娘を連れて城へ帰ります」
紅神龍は城に帰還すると宣言した。
「―――承知致しました。後のことは私が片づけておきますので」
紅神龍の言葉に何ら疑問を抱くこともなく、フレイアがその場に立ち上がるとイェンリンへ視線を向ける。
「……御子様。どうか紅神龍様をお願い申し上げます」
「えっ?……わた、私なんて……何も……何も……出来ないから」
フレイアの告げた言葉が酷く自分には似つかわしくないと考えたイェンリンは、それを否定するように視線を外してブツブツと途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
するとフレイアはその無表情な顔をそっとイェンリンに近づけると、
「今は……そうかも知れません。ですが、貴女はきっと変わります」
真っ直ぐな視線でイェンリンの瞳を射抜くようにしてそう囁く。
「……私が?」
その言葉に信憑性が持てないイェンリンは疑問符を頭に浮かべていたが、
「さあ!―――もたもたしていると兵士達に追われることになるわよ!」
そこで紅神龍が張りのある声を上げた。
「イェンリン……貴女を御子にするに当たり、私との契約を結んでもらう必要があるわ」
「あ、あの……私、まだ御子になるって―――」
―――勝手に進んでいく話に僅かながら抵抗を示そうとしたイェンリンだったが、紅神龍の言葉は止まることを知らない。
「―――貴女には私の名をつけてもらうわ」
「名前を?……あの、紅神龍様は……もうクリムゾン・ドラゴンという御名前があるのでは?」
既に名前を持つ紅神龍が告げた言葉の意味が分からないイェンリンだったが、
「―――それは私という神龍の名称なの。御子を迎える際には、その者から贈られる名を貰って契約とするのよ」
紅神龍はその名づけという儀式の真意を説く。
「御子が名前を贈って……」
まだ理解が追いつかないイェンリンに両手を拳にして腰の左右に当てた紅神龍は、
「仕方がないわね……でも、余り時間はないわ」
そう告げながら流し目で湖とは反対の方向を見つめると、そこから大勢の人が進みくる喧騒が聞こえてきた。
「皇国軍が此方に向かっているようね……さあ、どうするの?イェンリン」
「ど、どうするって……言われても……」
「このままこの機会を捨てたなら、貴女はきっと兵士達に掴まって慰み者にされるかも知れないわ。悪ければ逃亡者として此処で始末されてしまうかも」
「そ、そんな……」
そう話している間にも喧騒は更に近づいてくる―――
「―――貴女には生きるための目的はないの?」
「ッ―――生きる……目的……」
―――その言葉はイェンリンの脳裏に当時の幼い姿をしたエリシラとマルクの姿が駆け抜けていった。
「わ、私……妹を……連れ去られた妹と、幼馴染を探したいです!」
「……それが貴女の生きる目的なのね。だったら、貴女はこれからもっと強くならなければならないわ」
「強く……私が……」
すると紅神龍は全身に仄かな真紅の輝きが立ち昇っていく。
「何かを成し遂げるためには、自分が変わらなければ成し得ないことがあるわ。さあ、決めなさい―――炎零=ロッソ」
するとその時、遠くの茂みから大勢の人影が飛び出してくる―――
「オイッ!―――そこで何をしている!!」
―――茂みから次々に姿を現した集団は、同じ鎧を身につけた兵士達で湖に映った月の反射で影になっているイェンリン達を見て叫び声を上げてきた。
それに対してフレイアがイェンリン達を護るように身構える―――
「あっ……ああ……」
―――漸く此処まで逃げてきて、息を吐く間もなく次々に巻き起こる展開にイェンリンは混乱して言葉が出ない。
「契約を結びなさい……運命の子……貴女の未来が潰えるか、此処から始めるのか……己でその手に掴みなさい!―――炎零=ロッソ!!!」
天地を鳴動させる紅神龍の声が激しく周囲に伝わり、迫りくる兵士達は立ち止まり、湖の湖面は大きく波打ったその時―――
―――紅神龍を包み込み、夜空に立ち昇る真紅の輝きを見上げたイェンリンは、
目の前で紅神龍の力が輝き立ち昇る姿はまるで燃え盛る炎のように映る―――
―――それは今のイェンリンにはない激しく燃える情熱の炎にも見えていた。
そして紅神龍の真紅の輝きに見惚れながら、イェンリンはその名を呟く―――
「……紅蓮……だって、紅蓮の焔みたい……」
「ッ―――紅蓮……」
―――その名を口にした瞬間、
全身を覆った真紅の『龍気』が一層濃く染まり―――
―――それが更にその場で巨大な竜巻のように膨れ上がると、
そこから真紅の鱗に覆われた巨大な爪を持つ腕が飛び出してくる―――
―――そして巨大な翼が竜巻から突き出し、
丸太のような太い尾が飛び出してくると、激しく吹き荒れた真紅の竜巻が弾けるように消え失せる―――
―――巨大な翼を生やして真紅の鱗に覆われ、
額には二本の立派な角を生やした巨体の神龍―――
―――神々しいまでに美しい輝きを放つ力強い体躯をした真紅のドラゴン。
『紅神龍』がその湖を紅く照らし出して姿を現したのだった―――
―――巨大なドラゴンが現れた湖の畔で、
「なぁ!?―――あれは、ま、まさか!!こ、紅神龍!?」
接近していたヴァーミリオン皇国軍の兵士達は、フロンテ大陸の北部ノルドを縄張りとする『紅神龍』が目の前に顕現したことに混迷を極めていく。
それはヴァーミリオン皇国では建国の時代に、国母と敬われるアルタニア=ヴァン・ヴァーミリオンと盟約を交わした紅神龍は、何よりも尊い存在として崇められる神龍なのだ。
今でも空を飛翔する紅神龍を目にすることが出来るが故に、その存在は生きる伝説となっているのだ。
その伝説が目の前に現れたのだ―――
―――ヴァーミリオンに生まれ育った者達からすれば、それは何より神聖な儀式に等しい光景だった。
【……フレイア】
巨体の神龍と化した紅蓮がフレイアの名を呼ぶと、
「承知しました―――失礼します」
「―――ヒェ!?」
紅蓮の考えを察したフレイアが一瞬でイェンリンを横向きに抱え上げると、その行為に小さな悲鳴を上げる。
しかし意に介しない無表情のフレイアは、イェンリンを抱き抱えたままその場で跳躍すると紅神龍の背中に飛び乗ったのだ。
フレイアとイェンリンを背に乗せた紅蓮が長い首をヴァーミリオン皇国軍に向けると、
【―――我が名は『紅神龍』紅蓮=クリムゾン・ドラゴンなり!!我はこの地で新たな御子を迎えた!!!】
彼等に向けて轟音に等しい言葉を言い放つ。
「なぁ!?なんとぉ!!―――御子様を!?」
その言葉に驚愕してその場から動けない兵士達を見据えながら、紅蓮は言葉を続ける。
【この地は我が御子を迎えし神聖な地である!!これ以上、この地を汚すこと許さず!我が御子を迎えたこと―――汝等の王へと疾く伝えるがよい!!!】
空気が震えるほどの轟音でそう告げた紅蓮の言葉に、皇国軍の兵士達はその場に跪いて深々と頭を下げる。
【……】
その様子を沈黙して一頻り見渡した紅蓮は、やがて巨大な真紅の翼を大きく広げると―――
【ヴァーミリオンの民よ!確かに伝えたぞ!!】
―――兵士達に命じると巨大な翼を羽ばたかせて宙に舞い上がる。
「―――承知致しましたぁ!!!」
そうして兵士達の返事を聞いて一際大きくそこで羽ばたくと、一気に夜空へ向かって飛び立っていったのだった―――
―――夜空高くに飛び上がった紅蓮の背中で、その速度に目を瞑っていたイェンリン。
【もう目を開けてもいいわよ―――イェンリン】
角を生やした巨大な頭部を少しだけ振り返らせて、背中に乗るイェンリンに語り掛ける紅蓮。
その言葉にイェンリンは恐る恐るその目を開いていくと、
「……ふわぁ……空が……こんなに近いなんて……」
広がる夜空に瞬く星々を目の前にして、イェンリンは経験したことなどない空中飛行を初体験して徐々に現実味を覚えていく。
「あっ!―――あの光は……街?」
次に地上であろう暗闇の中で、幾つもの光が集い明るくなっている場所を指差して問い掛ける。
【ええ、そうよ。あれはカウスラー王国の街の一つよ】
「凄い……空を飛んで、街を見下ろす日が来るなんて……」
風や空気の冷たさで現実味を覚えていたイェンリンだが、この夜空を飛んでいる状況には現実味を感じられなかった。
【これから貴女は今まで体験したこともない経験を重ねていくことでしょう】
「あ、あの!本当に―――私が御子でよかったのですか?」
その今更な問い掛けにドラゴンと化した紅蓮の巨大な口角が少し上がった。
【今更辞めるなんてこと出来ないわよ?】
「―――うっ?!……やっぱり、そう、ですよね?」
困惑しながらも、今の状況に高揚したイェンリンは無意識に笑みを浮かべる。
【―――ところでイェンリン。貴女、歳は幾つなの?】
「えっ!?えっと……実は今日……私の十七の誕生日です……」
【まあ♪ そうなの!それは―――おめでとうイェンリン】
「―――おめでとうございます。御子様」
紅蓮とフレイアに祝いの言葉を伝えられて、イェンリンはゴルゴダ村を出てからこれまで誰にも祝われたことがなかった誕生日に喜びが込み上げてくる。
「……ありがとう/////」
照れながら笑みを浮かべて礼を伝えるイェンリンに、紅蓮もフレイアも優しい微笑みを贈るのだった―――
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