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『黒神龍の御子外伝』紅神龍の御子になった少女の帝王学 ~剣聖イェンリン様のお気に召すまま~  作者: KAZ
第2章 真紅の誕生編

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恐怖の果てに

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―――橋の下に入ったイェンリンはそこにある鉄の扉をゆっくりと開くと、


「ハァハァ……ただいま……」


そこは物置小屋になっていて、藁や木の棚が置かれていた―――


このデイナットの街に辿り着いて、金の掛からない寝る場所を彼方此方と彷徨って見つけたのがこの物置小屋だった。


橋の建設時に物置として用意された部屋のようで、今では誰も利用することがなく扉も中から錠前がついており、施錠出来ることから此処に来るまでの野宿と比べれば安心して眠ることが出来た。


地面に落とされて踏み潰されたパン一つしか口にしていないイェンリンは、常に空腹に襲われている。


「お腹……減ったなぁ……」


そう呟きながら倒れ込んだ藁の山の上でイェンリンはゴルゴダ村で過ごした日々をいつも思い出していた―――


―――自警団の団長として強く逞しい父


厳しい中にも愛情を沢山注いでくれた母―――


―――大人しいが笑顔が可愛い妹


背伸びしたがるが、仲良く育ってきた幼馴染―――


―――職人の腕が確かだった幼馴染の父


弟か妹がお腹にいた幼馴染の母―――


―――そうして楽しい思い出が次々と浮かび、母の手料理を思い出していくと益々空腹が酷くなっていく。


しかし最後には―――


―――その優しく明るかった人達が、凄惨な死を迎えた時の姿が必ず脳裏を過ぎった。


「ハアァ?!―――ハァ……ハァ……ハァ……」


いつの間にか藁の上で眠ってしまったイェンリンは、その地獄のような光景が過ぎった瞬間に目を覚まして激しく起き上がって荒い息を吐く。


もうこんな夜を何度も過ごしてきたイェンリンは、精神的にも肉体的にも限界が近づいてきた。


「ハァ……明日は農場の仕事……農場はまだ真面な食事が出るから……」


街の郊外で畑を営む農家は人手をよく求めてくるため、イェンリンも手伝いをして代わりに食事を恵んでもらうことで生き永らえてきた。


若い娘にとって決して楽な仕事ではないが、それでも街中の下水溝掃除に比べれば随分マシな仕事だった。


「……村を出てもうすぐ七回目の年越し……此処はまだ寒さがマシだけど……」


フロンテ大陸の北部を占めるノルドは、大陸の中でも冬が厳しい地域でもある。


育ったゴルゴダ村はこのデイナットの街から見れば北にあったので、毎年冬の寒さは厳しい場所だった。


イェンリンがこの街に辿り着いたのは二年前のことであり、この仮住まいも見つけて二度冬を越えてきたが、寒さは厳しいものの生き残ることは出来る寒さだったことに救われた。


「……スゥ……スゥ……」


空腹よりも眠気が勝ったところでイェンリンは意識を手放して、いつの間にか深い眠りに落ちていった―――






―――農家の朝は早い。


翌朝イェンリンは朝靄の残っているうちに目が覚めて、働き手を募っていた馴染みの農家へ向かい早朝から作業に加わっていた。


「ハァハァ……」


空腹によって足元がフラフラとする感覚に囚われながらも、必死に収穫した野菜を荷車に運び込んでいく。


「―――今日で収穫は終わらせるからな!しっかり運べよ!!」


雇い主である男が畑の中で大声を張り上げ、下働きのイェンリン達へ命じる。


その畑にはイェンリンと同じ様な浮浪児が集っており、誰もが作業の合間に出される食事を目当てにしていることは薄汚れた姿を見れば一目瞭然だった。


此処の農家は厳しいが食事はしっかりと付けてくれるので浮浪者達にも人気の職場で、誰もが次も雇ってもらえるように真面目に働いていた。


昼食時になって―――


「はぁ~♪―――頂きます!」


―――イェンリン達にパンと干し肉、それと収穫した野菜を使った料理が振る舞われる。


浮浪児や浮浪者は整列してそれを受け取ると喜びながら食事にありつく。


此処では食べ物の奪い合いは御法度とされており、他人の食事を奪ったりしたものは二度と雇ってもらえないことになっていた。


そのため争う者はなく、規律を守った行動をとる者ばかりでイェンリンも安心して働くことが出来た。


―――昼食を終えてから夕方になるまでには収穫作業は予定通り終わりを迎えることになった。


しかし、そうなると明日からの食事に再び困ることになる未来が待ち受けている―――


「……明日はどうしようかしら……森にでも行こうかな」


デイナットの街の傍には深い森があり、そこには木の実といった食べ物もある。


昨日は街で散々な扱いを受けたことで、暫くは街での仕事を控えたいと心の傷が疼くのを感じて、イェンリンは森へ行こうと決めた。


農家の男から皆に土産のパンも貰えて、これで今夜の食事に困ることはない。


そう思って橋の下に戻ろうと街道を歩く。


夜の街に入り、寝床にしている橋の傍へとやってきた時、


「おい、あそこに浮浪者がいるぞ♪」


道を行く街の住民の一人が仲間にそう伝えると、


「今日は親方にキレられて、ムシャクシャしていたところなんだ……丁度いい!」


すると数名の男達がイェンリンに向けて次々と石を拾っては投石を始める―――


―――突然のことにイェンリンも油断していて、その投石が額や頭にぶつかる。


「痛っ!―――やめてぇ!!」


そう叫び、やっと手に入れたパンだけはしっかりと抱えながら逃げ出すイェンリンを、石を投げて憂さ晴らしをする者達が追いかけてくる―――


―――人から石を投げられ、何もしていないのに人から殴られ、人扱いされず馬車馬のように働かされ、そして泥のような食事しか与えて貰えない。




―――ああ、どうして私が私だけが、こんな思いをしなければいけないのだろう。




―――どうして皆、自分を見る目がこれほどまで憎しみに染まっているのだろう。




―――どうして誰も助けてくれないのだろう。




……どうして?……どうして?……どうして?……




どうして?……どうして?……どうして?……どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?ドウシテ?ドウシテ?ドウシテ?ドウシテ?ドウシテ?ドウシテ?―――




どうして!どうして!!―――どうして私が!!!




―――いつまでも答えの出ないイェンリンに更なる不幸が訪れる。


「―――ッ!?」


逃げた街道の先から夜にも関わらず激しい馬の蹄の音が街中に響いてくる……


その音に気がついたイェンリンは正面から砂埃を上げて迫ってくる大勢の気配に思わず道を逸れて脇道に入ると、建物の影からその正体を伺っていく。


するとそこへ現れたのは、あの日の時のような装備に身を固める大勢の兵士達の姿だった。


「なっ!?―――なんだ!!あの兵隊達は!?」


暗闇の中でイェンリンを見失った街の男達が、突如現れたその兵隊達に驚きの声を上げた時―――


「―――へぶぅ!?」


「―――あぎゃあ?!」


―――突撃してきた軍隊の中から放たれた弓で、頭を打ち抜かれて眉間から後頭部へ貫通した矢を生やしたまま地面に倒れ込んでいく。


(ッ!……まさか、これって戦争!?)


あの日―――


―――ゴルゴダ村を襲った集団はこのカウスラー王国の兵士達だった。


そして此処はカウスラー王国なのだから、今此処で住民を襲っているのは別の国の兵士達だということくらいはイェンリンにも理解出来る―――


(そういえば……隣の国のヴァーミリオン皇国がこの国へ攻めてきているって、街の人が話しているのを聞いたことがあったけど……もうこんなところまで攻めてきたの?)


―――この国で首都の次に大きな街であるデイナットは、その首都の近くにある街だ。


そんな内陸まで敵の軍が攻め込んできたということは、この国が滅ぼされる時が迫っているのだと、学のないイェンリンであっても想像出来る結末だ―――


―――しかしそんなことを考えている間にも、ヴァーミリオン皇国軍は街を蹂躙していく。




―――火をかけられる家屋




―――略奪を始める敵兵達




―――捕らえられ襲われていく街の女達




イェンリンの目の前に広がる二度目の地獄絵図―――


―――皇国軍などと呼ばれても、所詮は荒くれた兵士達の集団である。


ましてや自分で奪った物を戦利品として認める命令が出ているのであれば、我先にと奪いあう光景がイェンリンの目の前で広がっていった―――


―――だが、何もかもが蹂躙されるその地獄でイェンリンは生きることへの執着が込み上げてくる。


街の人々から受ける扱いで理性の擦り減っていたイェンリンには、自分の中に残った本能だけがこの窮地で表に突出し、その戦火の中で兵士の眼を逃れて転がり回る様に逃げ回りながら、まだ生きることを諦めなかった―――


「ハアハア!ハアハアッ!!―――い、生きなきゃ!生き残らないと!!」


―――彼方此方から響く住民達の悲鳴の中を、イェンリンは自分が生き残ることだけを心に刻んで街の外へ向かって駆け抜ける。


「―――ハァハァ!」


街の外はもう夜の暗闇が広がっている―――


「ハァハァ―――アウウッ?!」


―――そんな暗闇の中を全力疾走しているイェンリンは、何度も何度も転びながらも必死に街から離れようと立ち上がって再び駆け出す。


(痛い、痛い……生きるんだ……父さんと母さんの分も!エリシラ達を見つけるまで死ねない!!)


身体中に痛みを感じて、膝からは何度も転んだことで傷だらけになり血が流れ落ちていく―――


痛い……痛い……痛い!痛い!痛い痛い痛い痛い!!!


怖い!怖い!怖い!怖いわ!暗い世界も!あの悲鳴も!!何もかもが怖い!!!


―――それでも足を止めることは出来ないのは、背後に明るく燃え盛るデイナットの光が見えているからだ。


その炎の輝きは人が燃やされる輝き―――


―――そうとしか思えないほど追いつめられたイェンリンは、息を切らして喉が渇き続けても荒い息を吐いて走り続けていた。


脳裏にはあの時のゴルゴダ村が、点滅するように浮かび過ぎっては消えていくのだった―――






―――戦火を逃れ再び生き残ったイェンリンは、月明りだけの草原を汚れた姿で長い間どこかを彷徨っていた。


もうそこが何処なのか、何処に向かっているのかも分からないイェンリン。


その状況でいつの間にか夜の静かな湖に辿り着いていた。


散々逃げ惑ってきたイェンリンは喉が渇き切っていて思わずその湖に駆け寄り、その水を口にしていく。


蒼白い月明りが反射して湖面を輝かせているその湖が、イェンリンにとってはどこか現実離れしていて、そしてまた自分の生い立ちに対して、あの疑問がまた繰り返される―――


「どうして?……どう……して?……」


―――口から洩れた嗚咽と共に、その真紅の瞳からは次々と涙が溢れては湖面に落ちていった。


だが、その時―――


「そこに―――誰かいるの?」


―――女の声が夜闇に響く。


「ッ!?」


突然聞こえた声に驚き、再び恐怖がイェンリンを支配しようとしているその時、声の主は月明りに照らされてその姿をゆっくりと現してくる―――


―――真紅の美しい髪を腰まで垂らしている見慣れないアンゴロ大陸の服に似たような着物を纏う美しい女にイェンリンは声が出ない。


その美女は真紅の瞳を一瞬だけ細めて、湖の畔で跪いたイェンリンを見つめる―――


その美しさに見惚れたイェンリンは、ハッと正気に戻ると自らの身体を覆い隠すようにして汚れた身体を隠して恥じる―――


―――何故このような場所にこんな女性が?


まるで幼い日に母から聞いた御伽話に出てくる、お姫様のような美しさだとイェンリンは思った―――


―――もしやこの人は……人ではないのでは?


様々な疑問と己のみすぼらしい姿に混乱するイェンリンを、その女はジッと見つめている―――


「……貴女、どうして夜に一人でこんなところへ来たの?」


―――静かではあるがイェンリンの耳に通る彼女の声は、どこか否定も逃亡も出来ないような何かを感じさせる。


「……せ、戦争で……街が……」


「ああ、そうなのね……もう、始まってしまったのね」


片言のイェンリンの言葉ですべてを悟ったかのように女が呟いた。


「それで此処まで逃げてきたって訳ね。それは大変だったわね……それで……貴女はこれから、どうするの?」


赤い髪の美女にそう訊ねられても、イェンリンには答えられない……


「貴女……行く宛てはあるの?」


そう訊ねられたイェンリンは、ポツリポツリと今までの自分のこれまでの経緯を話し始めた……


どうして会ったばかりの女にそんな身の上話をしたのかは分からない。


だが、すべてを正直に話さなければならない―――


―――彼女を見て、その衝動だけが自分の中から湧き出てくる。


そうして、すべて話し終わったところで―――


「そう……それは、とても辛いことだったでしょう。貴女のことをすべて分かってあげることは出来ないけれど……辛い経験をしたことだけは分かってあげられるわ」


―――そう告げられた時、イェンリンの中でこれまで燻っていた何かが激しく爆ぜた。


「あ、貴女の、貴女のような!貴女のような美しい人には分からない!!!だ、だって、わた、私は、わたしは―――醜いからっ!!!」


街の者達に何度も言われて、そして石を投げられ罵られてきた記憶が甦ってきたイェンリンは、鬱屈としていた感情が思わず彼女の同情を示す言葉で爆発してしまったのだ。


―――これまでの憎しみも悲しみも苦しみも嫉妬も欲望も憎悪も、


何もかもが入り混じった色をした瞳を美女に向けるイェンリン―――


―――しかし女はその瞳を黙って受け止めて、見つめ返しながら地面に座り込んでいるイェンリンに視線を合わせるように身体を屈ませる。






『―――貴女は美しいわ』






「……えっ?」






何を言われたのか分からなかったイェンリンだったが、その美女は続ける―――


「生きることを渇望し、心の声に従い、今この時まで生き延びてきたこと……それは生物として清く正しいこと……貴女の生きてきた人生は輝かしいくらいに美しい。私がそれを認めましょう」


―――そう言って泥に塗れたイェンリンの頬にそっと手を差し伸べる女。


「―――貴女、お名前は?」


優しい口調でそう問い掛けてくる美女にイェンリンは―――


「……炎零イェンリン=ロッソ」


―――そう静かに答えた。


「そう……では炎零イェンリン=ロッソ……貴女……私の御子にならないかしら?」


真紅の瞳で真っ直ぐに見つめながら、美女の唇が動くと御子という言葉が紡がれる―――


―――その艶のある唇を見つめながら、


「……御子?」


思わず訊ねるイェンリンの目の前に美女が静かに立ち上がる―――


「―――我が名は『紅神龍』クリムゾン・ドラゴンなり……フロンテ大陸北部ノルドを縄張りとする神龍の一柱。炎零イェンリン=ロッソ……汝を我が御子に迎えたい。返事を聴かせてもらえるかしら?」


―――立ち上がったその美女の姿をした存在。


『紅神龍』クリムゾン・ドラゴンの髪が燃え上がる様な光を放ちながら、風に靡いてその場に広がり座り込んだイェンリンを見下ろしている―――


―――その神々しい姿にイェンリンは思わず全身が震えるのを感じていた。


「……な、何故……私を……御子に?」


それは当然の疑問だった―――


―――この大陸に生きる者で、四柱の神龍と神龍の御子を知らない者などいないのだ。


幼い時に親を失い、殆ど学のないイェンリンですら知っている程に『神龍の御子』は神聖視される存在だ―――


―――そんな神に近い存在から、自分が御子にならないかと言われ、


イェンリンはその場で困惑することしか出来ない……


―――何故なら、


自分はこの世では醜い存在だとイェンリンは考えていたからだ―――


―――だが、


そんなイェンリンの疑問に紅神龍は答えた―――






「生きることを決して諦めない強さを持つ貴女は、とても美しくて―――愛おしいから」






―――殺された両親にすら生前そこまで言われたことのない言葉だった。


しかしその一言でイェンリンの瞳から溢れる涙は、今まで感じたことのない感情が心を埋め尽くして溢れていることだけは理解出来たのだった―――



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