失望の先に
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―――フロンテ大陸北部ノルド
その中で一際発展する国家ヴァーミリオン皇国―――
その国の首都レッドに聳え立つ真紅の城壁に覆われた城が、荘厳な雰囲気に包まれて静かに佇んでいる。
『紅神龍』クリムゾン・ドラゴンの住まう『紅龍城』―――
―――その巨大で堅固な城の奥深くには、地下深くに向かって続く道がある。
長く深く、そして暗闇の底へと続いていく螺旋階段を降りていくと、その地の底には長い廊下が縦横に広がっている。
それぞれの廊下の左右の壁には、鋼鉄の格子が張り巡らされた牢獄が幾つも並んでいて、今その牢獄の一つを目指して歩みを進める人影があった―――
「……ゴンドゥル」
小さな呟きのような呼掛けが、格子の隙間を通り抜けて牢獄の中へと吸い込まれていく。
格子の外で牢獄の中を覗き込むその金髪の美女は―――
―――紅神龍の使徒『紅の戦乙女』第二位ブリュンヒルデだった。
そして彼女が向かい合う牢獄に囚われた者は―――
―――エメラルドグリーンの長い髪に深緑の瞳を持つ美女、
「やあ……ブリュンヒルデ……あれから、どのくらい経った?」
『紅の戦乙女第五位―――
―――魔術師ゴンドゥルが椅子に座りながら力なくその顔を上げると、光のない瞳でブリュンヒルデを見つめて問い掛けた。
「……あれから……もう六年だ」
「なぁんだ……その程度か……」
二人の言うあれからとは、ゴルゴダ村の焼け落ちた姿を見て人族に対して力を暴走しかけたゴンドゥルをアルヴィトとブリュンヒルデによって彼女を拘束したあの日からの時の流れのことを指していた。
「ゴンドゥル……あの日、お前を止めたことを私は後悔していない」
「……分かってるよぉ……アンタは『紅の戦乙女』第二位……私等の副官の立場なんだ……人族の国へ深く足を踏み入れようとした私を拘束するのは当然だと思っているよ」
「……ハリタス海洋自治領が、カウスラー王国に滅ぼされた」
「へぇ……そうかい……ざまぁ無いね」
―――ゴルゴダ村の襲撃以降、カウスラー王国は守護戦士団団長ブラッセンが戦死したことで、その発言力を強めた『魔術師』ゴルテスト=ペイウッドスベンの強硬な意見から本格的な侵攻を開始した。
それによりハリタス海洋自治領は数年と経たずに全域をカウスラー王国へと併合されたのだ―――
「もう既にお前が反省しているというのなら、私から紅神龍様に口添えして―――」
ブリュンヒルデがゴンドゥルの減刑を申し出ると伝えようとしたその時―――
―――鋭い視線のゴンドゥルが言葉を遮る。
「―――やめておきな……紅神龍様は私の心を見抜いておられるよ。きっと此処を出たら、私はあの御方が守護するこの北部ノルドで、あの御方の望まない行動を起こすよ……そのことが分かっているから、フレイアに命じてこの『結界牢獄』に私を閉じ込めているんだから。信じられるかい?私が魔術で幽体になっても抜けられない結界なのよ……『紅い魔術師』の面目丸潰れよね……」
「だが!―――まさか八十年の投獄を言い渡されるなんて……」
予想の斜め上を行く紅神龍の長い刑罰に、ブリュンヒルデも思わず玉座の間で刑に反対の声を上げたほどだ。
「フフッ……私達、紅神龍様の牙から生み出された龍牙人にとって、太古から悠久の時を生きてきた私達に今更八十年なんてものは、うたた寝程度の時間だよ。だけどね、ブリュンヒルデ……人の寿命はそれほど長くはないのさ」
「……どういう意味だ?」
「太古の昔から紅神龍様と共に生きてきた私達であっても、人と関わってこなかった訳じゃないだろう?……イェンリン達もそうだよ……だけど、その人族達はいずれ寿命を迎えて逝ってしまう。八十年後になれば……イェンリンが今生きていたとしても、いずれ同じようにこの世を去って冥聖神様の『冥府』へ旅立っている……」
「……」
―――ブリュンヒルデはそこで初めて紅神龍の意図を察した。
イェンリン達に固執するゴンドゥルは決して自分の考えを変えることはないと、生みの親だからこそ紅神龍は見抜いていたのだ―――
―――だが、エルフやドワーフ、魔族のような長命種でなければ、人族の寿命は彼女達にとって瞬きの間に流れ消えていくほど儚いものである。
イェンリン達が生きていたとして、寿命を終えた後の世であればゴンドゥルも諦めるしかないとの考えから『八十年』という刑期を言い渡したのだ―――
「あれから六年……残りたったの七十四年さ。それまでは此処で魔術の研究でもさせてもらうとするよ」
そう言って『収納』から分厚い魔導書を取り出して、徐に頁を捲り読み出したゴンドゥルを哀しげな瞳で見つめていたブリュンヒルデだったが、
「……」
やがてその牢獄の前から踵を返すと、ゆっくり離れて地上へと戻るのだった―――
―――カウスラー王国
且つてはハリタス海洋自治領だった領土は、この数年のうちにカウスラー王国へと併合された。
それによりカウスラー王国の領土は北部ノルドでも指折りの大国となり、ヴァーミリオン皇国にとっては隣接する脅威となっていた。
そして、そのカウスラー王国でも首都に次ぐ大きさである街にて黙々と下水溝の掃除に勤しむ者がいた。
「おい!―――こっちの方がまだ汚ねぇぞ!!どこ見て掃除してやがる!!!」
「す、すみません……」
大柄な男に怒鳴りつけられたボロで汚いローブを纏い、人々が使った後の下水が集まる溝を箒で掻きながら掃除するその女は、髪も肌も茶色く薄汚れていて直視することも憚られる姿をしている。
「チッ!……まったく、お前等みたいな浮浪者は俺達の役に立つためにいるんだからな!!お前もそれで食い物を恵んでもらっている身分だろう。もっと心を込めて丁寧に―――綺麗にしていかねぇか!!!」
そう言い放つと同時に女を蹴り飛ばす―――
「―――アガアァ!」
―――蹴られた勢いで下水溝に手を突き、汚れた水を跳ね上げて倒れ込んだ女を見下しながら、
「いいかぁ?夜までには綺麗にしておけよ!!」
倒れた女を嘲笑いながら、男はその場から離れていった。
倒れ込んだ女は深く被ったフードから薄汚れた金髪に、紅の髪が混ざった長い髪が垂れ落ちる。
「フゥ……急がないと……このままだと、タダ働きにされる……」
そう呟きながら立ち上がった女は―――
―――六年前にゴルゴダ村の惨劇から生き残って一人孤独に旅立ち、連れ去られた妹エリシラと幼馴染のマルクを探して彷徨ってきたイェンリン=ロッソだった。
あれからのイェンリンは―――
―――あの時に持ち出した食糧は直に底をついて、自分の知識で集められる食物で生き延びていた。
父や母に教えてもらった木の実や野草、簡単な罠を仕掛けて捕らえた小動物を食べて生きていたのだ―――
―――しかし、
そんな生活にも限界はやってくるもの―――
―――廃村を出てからイェンリンはまだ生きているかも知れない妹と幼馴染、それと同じ村の者を探し彷徨い続ける。
そうして何年も隣国を孤独に彷徨い続けて、いつしかこのカウスラー王国で二番目の大きさを持つ街―――
―――『デイナット』の街に流れ着いたのだった。
「ハァハァ……くっ……ゲホッ」
しかし生まれながらに魔力が少なく、これといった才能も特技もなく武術の心得もない少女が生きていく術と言えば、こうして街の者の誰もがやりたがらない汚水や廃棄物の清掃や処理といった仕事しか出来ることがない。
人々の排泄物が押し流される下水溝の詰まりを、強烈な臭いに咽ながら取り除いていく―――
―――そうして夜までに雇い主の区画を掃除し終えても、
「まったく……トロいんだよ!お前は!!それで飯を貰おうなんて、烏滸がましいんだよ」
昼間にイェンリンを蹴り飛ばした男がそこへ戻ってくると、手に持っていた少し変色しているパンを地面に投げつける。
「……あっ」
その様子を黙って見ていることしか出来ないイェンリンは、幼い時のような活発さを失っていて死んだ魚のような眼で地面に落ちたパンを見つめ続ける。
「お前みたいな浮浪者には、そんなパンでもご馳走だろう?とっとと拾って食えばいいだろう」
ニヤニヤと見下した眼でイェンリンを見下ろす男の前に落ちたパンに、ゆっくりと屈んで手を伸ばそうとしたその時―――
―――グシャ!という音がして男の靴がパンを踏みにじっていく。
「……」
その様子に固まってしまうイェンリンだが、そんな彼女に男は口汚い言葉を投げ掛ける。
「浮浪者が簡単にパンを恵んで貰えると思うなよ?このパンだってなぁ……俺が稼いできた金で買った物なんだからよぉ」
「……はい……ありがとう……ございます……」
「フンッ……面白くねぇヤツだ」
何の感情も見せないイェンリンに嫌気が差した男は、足を退けるとそのまま家の中へと姿を消していった。
後に残された潰れたパンをゆっくりと拾い上げて、それを口に運ぶイェンリンには最早この過酷な日々を生き延びることだけに長く卑屈になった心に支配されて汚染されていた……
大人でもおかしくなるような惨状を見せられて、十歳で独り村を出てからずっと孤独に生きてきたイェンリンにとって、こうして今も人に憚られる仕事をしながらでも生きる理由は一つしかない。
その命尽きる時に炎の中で母カリオラが言い残した言葉―――
『……イェンリン……エリシラを……お願い……ね』
―――その時の父と母の姿は今でもイェンリンの脳裏に焼き付いて、忘れたことなど一時もなかった。
「……母さん……エリシラ……父さん……マルク……」
まるで呪文のようにブツブツと呟くイェンリンの異様な姿は、通りを歩く者達の軽蔑の視線を集める。
そして―――
「―――痛つぅ?!」
―――そんなイェンリンに不気味さを感じた者は、心無い投石をして自分達から遠ざけようとする。
イェンリンのような浮浪者には、これまでにも何度となくこうした投石行為は行われてきた。
かといって身寄りのない浮浪者達を庇護する既得な者などこの世にはなく、我も我もと石を投げつける者がいるばかりの世界だ。
今も額に石をぶつけられて、一筋の赤い血を流していくイェンリンの姿を見ても誰一人として救いの手も声を掛ける者もその場にはいない。
だがそれでもイェンリンは心が壊れ掛けながら、大切な家族を探す旅を終わらせる真似は出来ないのだ。
(エリシラ……どこにいるのよ……お姉ちゃん……もう……)
―――この六年間、
イェンリンは攫われていったエリシラとマルクのことを探し続けていた。
しかし二人の行方どころか名前すら耳にすることがなく、探し始めて三年を過ぎた頃にはイェンリンの中で二人がもう生きてはいないのではないか、という疑問に心が奪われだしていた。
だが、それでも二人のことを諦めきれないでいるイェンリンは、こうして恥も外聞もない仕事であろうと生きるために続けてきたのだ。
しかし、その生活に心は削られ、今や薄氷の上を彷徨っている人形のように感情まで希薄に変わっていった。
―――夜の街をフラフラと歩み続けたイェンリンが辿り着いたのは、
街の中央を流れる大きな川に架けられた石造りの橋の下だった―――
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