第5曲 約束のフルートとクラリネット
5時を過ぎた頃、ユラムのスマホが音を上げる。彼が見れば、それはメールの通知音だと分かった。
「………ああ、そろそろ戻れ、か」
ここの吹奏楽部は、今、人数に悩む故、合奏など、とてもできる状態ではない。
だというのに、毎年恒例の、2週間後の桜祭りや、2ヶ月後の海開きには、絶対に出るらしい。
えーーっと、つまりだよ?
僕が頑張って勧誘しなきゃ、あの少数で出なきゃいけない、ってことだよね?
それだけは嫌だ!
そう思っていたユラムは、必死に勧誘を続ける。もちろん、理由はそれだけではないのだが。
「そういえばね、今朝、久希が褒めてたよ!」
「えっ?琴城さんが?」
「そう!プロの方がいるって……」
「プロ………?」
「はいっ!もう、1年生の間じゃ、ユラムさんは噂の的ですよ」
「うれしい………」
噂の発生源は、琴城 久希という女の子だ。昨日、フルートを体験してくれた。
「琴城さん、吹部に入りそうかな?」
ユラムが訊ねると、美心羽が笑いながら頷く。
「あの子、まったくの初心者だけど、入りそうですよ!」
よしっ!!!!
それを聞いて安堵したぁ。
入ってくれれば、指導は僕や部長、先生もなんとか教えられるし。
すると、表情を読んだように、美心羽は笑いかける。
「………でも、初心者歓迎なんですか?」
「えっ?」
「ほら、看板には何も書いてませんし。まぁ、私のいた中学では、『初心者歓迎』とか言っておきながら、全国レベルの強豪校でしたし」
「ああぁ」
ユラムも、その校名には聞き覚えがあった。
御泉寺中学校。
吹奏楽の超強豪校で、独自の教育システムも存在している。故に、全くの初心者でも、3年後には、かなりの上級者になれる。
「………御泉寺の出身なんだ」
「ユラムさんは、どこ中ですか?」
「ずぅっと地元。この楽木中だよ」
ユラムが有りの儘を言うと、美心羽は口元を両手で抑えていた。
「えっ!?めちゃくちゃアンコン、強い所だ!」
「あははは。そうだっけね」
まぁ、その指導とか、選曲も僕がやってるんだよね。
まぁ、言わないでおこぉっと………。
「………そろそろ、戻らなきゃ!明日もまた、ここに来れる?」
ユラムが当たり前のように問うた。
いや、こうやって、平然と問うのが重要なんだよ。
少しソワソワしながら訊いたら、頼りないじゃないか?
すると美心羽が頷いた。
「あっ!そうだ!私と同じ中学出身の……クラリネットの子がいるんです!連れてきても……いい?」
そして、更に特大情報をくれた。
何!?
クラリネットの子がいるだって……!?
今、クラリネットの子は、3年生にいるけれど、殆どサボる子だし………。
きっと、彼女のいい刺激になるだろうから、是非とも、入部してほしいなぁ。
「それじゃあ、また明日!ここで!」
「は〜いっ!!」
そう言って、ふたりは別れた。
音楽室へ帰還すると、部長がなぜか、3年生から質問攻めに遭っていた。
「………えっ!?」
「嘘!?」
「ヤバすぎ!」
同級生たちは、みんな、部長へ質問のパンチを当てまくっている。
「男の子、来るって言ってたんですか!?」
おいおい……、3年生だけかと思ったら、アスもかよ。
もしかして部長、勧誘に成功したのかな?
まぁ、楽しんでやってくれてるなら、良かった。
これで、今サボる子が、僅かな可能性をかけて、頑張ってくれることを祈るよ。
「いーやー、結構イケメンだったぞ」
「部長〜!その子、何の楽器をやりたがってたんですか?」
クラリネットの3年生が問う。
「ああ、トロンボーンとか、サックスとか」
「うお!サックスにしましょ」
「そんな躍起にならなくても、静寂さんが、いるじゃん」
「あっ………」
すると、項垂れた3年生へ、アスが詰め寄る。
「えぇ〜っ!先輩?」
「あ、別に……忘れてたわけじゃないよ?」
「怪し〜い!!」
ふたりは問答を繰り返し始めた。くだらない内容なので、聞き取る気はない。
ちなみに、クラリネットの3年生の名前は、詩田 桜永。現在は、絶賛彼氏募集中だという。ユラムのことが、気になるっているせいか、彼によくダル絡みしてくる。
「…………まぁ、詩田先輩に教えたら、間違いなく、恋愛対象にされるな」
桜永は悪い人ではない。
だが、もし……まだ見ぬ彼を、好きになってしまった場合、少し面倒くさくなるな、と思うユラムであった。
翌日。
ユラムはホームルームが終わるなり、真っ先に音楽室へと急いだ。
今日は、掃除もせず、吸い付くように、クラリネットを握った。
(………今日は重要な日っ!!僕に、あの子たちが入部するか、どうか、掛かってる!)
それは、昨日の会話にあった。
取り敢えず、と彼は、クラリネットと、音を鳴らすのに必要なリードを手に、外へと飛び出した。
「ユラム〜。今日も外で勧誘だって……え?」
ちなみに、アスが来た時には、彼はもう消えていた。ユラムの行動力は、他者より群を抜いている。
「…………いないし え? いないし………」
ユラムは、運動部の準備運動中から、クラリネットを、吹き鳴らそうとしていた。
何かあってはまずいので、ユラムは厳選したリードのみを、持参してきた。
それを唇に含むと、静かにキイを押す。空気を緩やかに口内へ流し込むと同時に、綺麗な音を鳴らす。
まずは、基礎の音階練習だ。
曲を吹くためには、いかなる天才でも、基礎練習は外せない。別に、基礎をしなくても吹けるよ……と言いたい所だが、流石にお手本になれないので、彼は言わない。
ユラムはクラリネットの音色を、喧騒の始まったグラウンドへ響かせる。
砂ぼこりの舞うグラウンドに、透明な澄音が突き抜ける。それは、無意識にも、運動部の心にある角を取り除いた。
もちろん、彼の演奏はこれだけではない。
次は、速度のある曲を、きめ細やかに吹いてみせた。吹奏楽部の強豪校の演奏を、更にブラッシュアップしたような、音程と音量のバランスの取れた温かな歌声。
うん!木管らしい温かい音だ!
音も上々!! 少し春の風が邪魔だけど、そこまで影響はない!
えっ?
どうして、ここまで、うまく吹けるかって?
コツは、沢山あるけれど、僕が重要にしているのは、腹式呼吸かな。
下の歯を軽く包む。上の前歯は、直接マウスピースの上に置く。これを"シングルリップ"というよ。
あと、僕が常に心掛けているのは、『ホッペタを膨らませすぎないこと』だ。息が外に漏れやすくなっちゃうからね。そうなると、苦しくなるから、真っ直ぐ前を見て吹く方がいいんだよ。
それと、クラリネットを吹くとき、息はリード側ではなく、マウスピースの先端のほうを狙って吹き込むイメージを持つといい。
腹式呼吸も、肺にしっかり息を入れ、横隔膜でお腹を支えながら、スピード感のある一定の息をまっすぐ送り込む。
まぁ、地道な努力が必要な楽器だね。
なぜか、僕は簡単に吹けるんだけれど……。
やっぱ、僕、おかしいのかな………?
その時、美心羽たちの声が、ユラムの意識を強くたたいた。
「ユラムさーん!!」
「あっ、川伊さん」
ユラムは手を振り返す。
「み、美心羽でいいです……!それより、久希ちゃんたち、連れてきましたよ」
「あっ……!琴城さん!」
すると、一昨日、フルートの体験をしてくれた少女、琴城 久希が、彼へ挨拶をする。
「………こ、こんにちは!」
「こんにちは。来てくれて、ありがとうね」
ユラムはそう言うと、フルートケースを、彼女に手渡す。
「吹き方、また教えるよ?」
ユラムが言うと、久希は嬉しそうに、フルートケースから、フルートを取り出した。
一方で焦る声もあった。
「あ、こ、鴻鳥さん……!あの……クラリネット、外に出してしまって……大丈夫なんですか?」
問うたのは、1年生の女子。見慣れない顔だった。
「………ああ、このクラリネットね」
すると、彼は説明を始めた。
「これね、樹脂製のクラリネットなんだ。ほら、マーチングや野球の応援で使われるもの」
「ああ、そういう………えっ?」
だが、少女は同時に絶望した。
「えっ?樹脂製で………あの……木のような温かい音を出してた……ってことですか?」
「そうだね」
「わ、私っ、まだ練習が足りてませんね。アハハハ」
そう言いつつも、引きつった表情からは、絶望が隠しきれていない。
少し、やり過ぎたかな?
まぁ、この子たちが、心を折らさずに入部することを、今はただ祈ろう。




