第6曲 ベーシストの金曜日
その日の帰り。ユラムは、再び公園に寄っていた。合奏なんて、とてもできる人数ではない故、部活動勧誘が終われば、すぐに解散だ。
ユラムは、暇だからこそ、自宅近くの公園で、楽器を鳴らしている。彼の音は、比喩なしにプロ級なので、音量調整が緻密にできることと、うまいので、文句を言われることもない。
そんな彼は、静かな環境を利用して、今日はベースを弾くことにした。
………それにしても、クラリネットの子、名前を聞けなかったなぁ。
仕方ないか。ひとりで恥ずかしそうに、吹いていたから。
でも、琴城さんと美心羽ちゃんは、高確率で、入部してくれそう。
思考しながら、ピックでベースの弦を弾く。
ベースの弾き方には、幾つかコツがある。
まず、持ち方は親指の腹と、人差し指の側面で、軽く挟むこと。
それに、力みすぎないことが重要だ。力を入れすぎると音が硬くなり、手や手首が疲れるからである。
ピックの先端は、弦に1mm〜3mm程度だけ出すようにする。そうすると、ブレにくくコントロールしやすくなる。なぜなら、深く入れすぎると、弦に引っかかって滑る原因になるからだ。
ユラムは一つ一つのコツを、堅実に見逃さない。彼は、チューバやユーフォニアムも吹ける。低音楽器にも余念がない。
そうして、弾いていたときだった。
「………あっ」
「………優乃絵ちゃん」
ユラムの意識内へ、幼げな少女の声が入り込む。
声の主は、先日、この公園で出会った少女、優乃絵だった。
「それ、なに?」
優乃絵が、ベースへ向けて問う。
ちなみに、彼女は吹奏楽部で、打楽器をやっているという。だが、二年目でありながら、落ちこぼれらしい。
「ベースだよ」
「へぇ。ギターは知ってるんだけれど……」
優乃絵はそう言うと、ベースへ細い指を伸ばす。瞳の奥を見るに、興味があるというより、知り合いの子犬を撫でるような感覚のようだ。
やはり、優乃絵は打楽器以外に、興味はないらしい。
「ベースは低音楽器って言ってね、低音は、目立たないけれど、土台を作る大切な部分なんだよ」
「へぇ。どれくらい?」
ユラムは少し悩むと、小学生の彼女にでも、分かり易い例を出した。
「家の土地だと考えるといいよ。家の土地も、1番下にあって、目立たないでしょ?でも、住む地面がないと、家は建てられないからね」
そう説明すると、優乃絵は理解したようで、何度も頷いていた。
良かったぁ。
伝わってくれた。
でも、それくらい低音楽器は、曲を作るために、大切な楽器だからね。
………それにしても!
優乃絵ちゃんは、どうして、ここに?
確か、楽木小の吹部って、水曜日だけお休みだった気がするんだけれど……。
今日は金曜日だよ?
もしかして、この公園から家が近いとか?
「………吹部の練習って、何時に終わるの?」
「曜日によって変わるよ」
単純に問えば、優乃絵はそう答えてくれた。
曜日によって、終了時間が変わるんだ!
なんか、"僕のいたときより"ルールが変わってるけれど、きっと、先生が革新してくれたんだな。
まぁ、毎日、同じ時間で終わりにすると、小学生のモチベーションにも関わるもんね。
心の中で呟いていると、ふと、ユラムは交わした約束を思い出した。
(………いやいや、そうだ!小学校に挨拶しに行かないと!)
それは、優乃絵の実力を底上げすることだ。
もちろん、それだけではタダのロリコンなので、小学生の演奏自体も上げる、という大義名分を、持たなければならない。
うーーーん。流石に、許可貰って、行ける日に、たまに指導する……って感じの方がいいかな?
ずっと、優乃絵ちゃんに付きっきりは、出来ないから、彼女にとって効率のよい教え方をしないと。
それでも、彼女との目標は、あくまで"下剋上"。
皆を見返すには、やっぱり、終了時間のあとに、教えてあげることかな?
まぁ、僕はいちおう、"超特別な立場"にあるし、流石に、小学校の先生から、断られることはないだろうな。
まぁ、早く行動に移行しないと!
「………ユラムくん?」
「わっ!」
思考を、唐突に遮られたユラムは、アハハハと笑って誤魔化す。だが、脳内では、これから行う、優乃絵の下剋上計画の案を巡らせていた。
「………むずかしい考え事?」
「えっ?」
「そんなふうに見えたから」
彼女は洞察力が高いのか、既に不安そうな表情をしていた。小学生離れした勘の鋭さに、ユラムの額に小さな汗が滲む。
洞察力が高いと、生きにくいよなぁ。
鋭すぎて、むしろ、生きにくそう……。
だって、余計なことでも勘ぐっちゃうんでしょ?
ここまで、人の心を察せるのは、逆に辛い思いをするんだろうなぁ。
ユラムは、ふとそう思った。
決して、同情などではない。
ただ、そんな気がしただけだった。
すると、彼の心を読んだように、優乃絵が口を開く。
「………私ね、表情を見るだけで、他の人が何を言っているのか、だれの悪口を言っているのか、すぐに分かっちゃうの」
「やっぱり……」
「たまに、私がお荷物みたいなこと、陰で言われるんだけれどね。聞いた時、なんというか、胸がキュッとなる」
「…………!!」
「私、下手くそなのは分かるけど、本当はもっとうまくなりたい」
彼女の本音は、ユラムの胸を打つ。
凄い子だな、ユラムが思ったとき、なぜだか、誰かの"走馬灯"が見える。
誰だ?
そしていつだ?
そう思っても、目の前の淡い光景は、何も答えてくれない。まるで、動く絵画を観ているような感覚に、陥ってしまいそうになる。
『………やっぱり、俺……』
誰の声だ?
でも、初めて聴く声じゃない……!
初めて聴く声………じゃないのに、今までの人生では1度も聴いたことのない声。
矛盾しているのはわかってる。でも、感覚的に言えば、そうとしか言えない!!
その時、優乃絵が話しかけてきた。
「ユラムくん、明日って……練習ある?」
「えっ?ないよ。明日は」
「あの……私ね、明日、ひとりで練習しに行くの。お願い!来て!」
「えっ?」
いや、明日〜〜〜!?
き、急だなぁ。
最近の小学生は、行動力が高いなぁ。
ま、まぁ、彼女だけに限った話しなのかもしれないけれど………。
だが、ユラムは断らず、首を縦に振った。
「………い、いいよ」
「やったぁ!」
それを見て、優乃絵は無邪気に喜んでいた。
夕方限りの、今ままなベーシストには、勝算があった。




