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王家の小図書館  作者: 朝庭零
春が終わるまで
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12/20

花の暦

 翌朝、客間の下の花壇に、荷運びの男がいた。

 荷車の上に、拳より少し大きな石が、十ほど並んでいる。どれも黒く、磨いてある。男は花壇の縁に膝をつき、土の中から同じ石を掘り出しては、荷車の石と入れ替えていた。

「殿下。足元が、ぬかるんでおります」

「それは、何ですか」

「温め石(あたためいし)で。術具《じゅつぐ》の工房で力を入れた石を、三日ごとに替えます。この花壇は、土が冷えないようにしてありますので」

 男は、掘り出したほうの石を、エルの手に載せた。ほんのりと温かい。三日分の力を、土に吐き出して、尽きかけている石だ。工房の棒の先の黒い石と、同じ石だった。

 掘り出した穴のまわりだけ、土が黒く湿っていた。今朝は霜が降りたのに、ここは凍っていない。

「春が終わってからも、替えていたんですか」

「はい」

「どうして、この花壇だけ」

「客間から見えますので。客人に、花を見ていただくように、と」

「誰が、そう言ったんですか」

「さあ。私は運ぶだけで」

 前にも聞いた言い方だった。

「石は、どこで」

「術具の工房で。三日ごとに十ですからな。工房の仕事の、少なくない分が、この石です」

 男は、最後の石を土に埋め、上から落ち葉をかけた。春告《はるつ》げの白い花が、その上で揺れている。

 春告げは、散らないのではなかった。散らせてもらえないのだ。

 エルは、花壇の縁に立って、白い花と、男の荷車を見比べた。三日ごとに、石が十。この花壇の春は、誰かが運んでいる春だった。


 午後、エルは術具の工房へ走った。

 ルートヴィヒ親方は、温め石の話を聞くと、棚から同じ石をひとつ下ろした。

「土地の力を、石に入れる。棒の先の石と、同じですな。棒の石は、術を起こすのに使う。花壇の石は、熱に変えて、ゆっくり土へ逃がす。三日で尽きる」

「客間の花壇では、秋にも春の花を咲かせておくんですね」

「帳場《ちょうば》から、そう言われておりますでな。客が来たとき、庭が枯れていては具合が悪い、と」

「石は、三日ごとに十、要るんですね」

「そうですな。土地から取った力を、それだけ、この花壇に回しておる」

 親方は、惜しむ口ぶりではなかった。ただ、数を言っただけだった。

「客人は、そんなに来るんですか」

「この国は、峠の向こうとも、川の下とも、話をして食っている国ですからな。客間が空く月は、少ない」

 親方は、石を棚に戻した。

「春を止める、とは誰も言いませんな。花壇を保つ、と言う。言い方が違うだけで、やっていることは同じですが」

「殿下。なぜ、それを」

「春告げが散らないので、妖精が本を返してくれないんです。約束は、春が終わるまでで」

 親方は、ふむ、と言った。妖精、と聞いても、驚かなかった。この城の大人は、たいてい驚かない。

「石を抜けば、どうなりますか」

「一晩で土が冷えます。秋ですからな。春告げは、朝には散っているでしょう」

「散ったら、春が終わります」

 言ってから、エルは口を閉じた。親方は、何も言わなかった。言わないまま、エルを見ていた。

「殿下。石を抜くなら、帳場に言ってからですな。工房の石は、工房のものではない」

「分かっています」

 手帳に書いた。温め石。三日ごとに十。帳場の指図。

 客人のため。石を抜けば一晩で散る。抜くなら帳場に。

 最後の一行の下に、線を引いた。引いただけで、その先は書かなかった。


 夕方、エルは教師の部屋を訪ねた。

 『花の暦』の授業で、何を教えるのか。妖精に会う前に、聞いておくべきだった。

「古い暦です」

 教師は、机の上の紙を一枚、エルに向けた。授業の下書きだという。きちんとした字で、二つの暦が、左右に並べて書いてある。

「今の暦は、月の名で季節を切ります。春は三つの月、夏は三つの月。年がいくつ替わっても、春の長さは同じです。でも、古い暦は、花で切った。春告げが咲いたら春で、春告げが散ったら春が終わる。『花の暦』は、その頃の本です。王家の子供に、季節を教えるための本だった」

「散った日が、春の終わり」

「そう。土地によって、年によって、春の長さが違う暦です。山の村の春は短く、川の町の春は長い。便利ではないので、月の暦に替わりました。けれど、花を見て季節を決める人は、今もいます。農家は、暦より花を見る」

「どちらが、正しいんですか」

「どちらも暦です。正しいかどうかは、何に使うかで決まる。税を集めるなら月の暦、種をまくなら花の暦」

 教師は、紙の真ん中に指を置いた。

「授業では、二つを並べて、どちらが正しいかではなく、何を見て季節を決めているかを教えたい。それだけです」

 エルは、下書きの紙を見つめた。

 妖精は、人の暦を読まない。けれど『花の暦』は読んだ。春の初めに、どうしても読みたいと言って借りた本だ。

 春が終わるのは、春告げが散ったとき。

 妖精は、自分の決まりで言っているのではなかった。借りた本に、そう書いてある。人が書いた本のとおりに、約束を守っている。人のほうが、本を替えてしまっただけだ。

「先生。『花の暦』を借りているのは、庭の妖精です」

 教師は、少しだけ眉を上げた。それから、紙を引き寄せて、何か書き足した。

「それなら、授業で話すことが、ひとつ増えました」

「返ってくるかどうかは、まだ分かりません」

「四日後です。それまでに、お願いします」

 教師は、穏やかに、しかし日付は動かさずに言った。

「授業は、月が替わる日に合わせてあります。暦の授業ですから」

「殿下の午前の授業でも、同じ話をします。先に答えを知ってしまいますね」

「知っても、答えは変わりますか」

「変わりません。知ってから考えるのと、知らずに考えるのが、違うだけで」

「殿下も、その授業にいらっしゃい。城で働く人の子の授業ですが、本を持ってくる人なら、席があります」

「本が、返ってきたら」

「返ってこなくても、席はあります」


 帰りに、エルは客間の下の花壇に寄った。

 日が落ちかけて、白い花が、暗がりの中でまだ白い。土の下で、温め石が、三日分の熱を吐いている。

 妖精は、春告げが散るのを待っている。春告げは、人が散らせない。人は、客間から春が見えるように、石を埋めている。教師は、月が替わる日に、暦の授業をする。

 誰も、間違ったことはしていない。間違っていないものを三つ並べると、本が返ってこない。

 エルは、花壇の縁にしゃがんだ。

 石を抜けば、一晩で散る。春が終わる。妖精は約束どおり本を返す。教師は四日後に授業ができる。

 簡単だ。

 簡単だと思ったとき、自分がいつも何かを後回しにしていることを、エルはもう知っていた。炎を運ぶ術を試したときも、本を二冊に戻そうとしたときも、そうだった。

 石を抜いた朝を、思い浮かべてみた。白い花が、一晩で茶色になっている。それを最初に見るのは、客間の客ではない。東屋《あずまや》の妖精だ。

 春が終わるのを待っていた妖精が、終わった春を見る。それは、妖精が望んだ終わり方なのか。

 客間の窓に、明かりがついた。誰かが、窓辺に立って、花壇を見下ろしている。遠くて、顔は見えない。白い花は、あの窓のために咲いている。

 窓辺の人は、すぐに離れた。明かりは、ついたままだった。

 手帳を開いて、「石を抜く」と書いた。その横に、今度は、小さく「?」を足した。

 誰の春を、終わらせるのか。


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