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王家の小図書館  作者: 朝庭零
春が終わるまで
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11/20

散らない花

 午前の授業の教師が、小図書館に来るのは珍しかった。

「『花の暦《こよみ》』を、お借りしたい。五日後の授業で使います」

 教師は、城で働く人の子供たちにも、月に一度、暦の授業をしている。今度は、古い花の暦と今の月の暦を比べる授業にするのだという。

 エミーリエは帳面をめくった。指が、途中で止まった。

「貸し出しています。春の初めから」

「春の初めから、ですか」

「期限は、春の終わりまで、と」

 教師は何も言わなかった。言わなくても、窓の外の木は、半分が葉を落としている。

「春の終わり、というのは、ずいぶん大まかな期限ですね」

「借りる人が、そう言いましたので。そのとおりに書きました」

 エミーリエは、帳面をエルのほうへ向けた。

 『花の暦』。貸出先、庭のかた。庭師の紹介。期限、春の終わりまで。

 エミーリエのきちんとした字で、そう書いてある。

「催促は、見習いの仕事です。庭師に、案内してもらいなさい」

「庭のかた、というのは」

「お会いになれば、分かります」

 分からないことは分からないままにしておく人が、分かります、と言うのは初めてだった。

「春の初めに、庭師が紹介状を持ってきました。借り手は、庭の東屋《あずまや》に住むかた、と。外のかたでも、紹介があれば貸します。それが、この図書館の決まりですから」

「返ってこないことは」

「これまで、一度もありません。だから、催促も初めてです」

 教師が帰ってから、エミーリエは、もうひとつ言った。

「催促は、取り上げに行くのではありません。返す日を、一緒に決めに行くのです。相手の言い分を、先に聞きなさい」

 エルは頷いた。頷いてから、庭のかた、と手帳に書いた。何を書けばいいのか、まだそれしかなかった。


 庭師の女は、客間の下の花壇で、落ち葉を集めていた。

「殿下。『花の暦』の催促でございますね。司書どのから聞いております」

 女は籠を置き、手を拭って、先に立って歩いた。

 庭は、どこを見ても秋だった。生け垣は半分が茶色で、小道には落ち葉が積もり、水盤の水は冷たそうに澄んでいる。

「今年は、霜が早うございます。あと十日もすれば、庭は冬の支度です」

 客間の下の花壇だけが、秋ではなかった。

 白い小さな花が、膝の高さに、いっぱいに咲いている。春告《はるつ》げ、と呼ばれる花だ。春のいちばん初めに咲いて、春の終わりに散る。

 エルでも知っている。子供の頃、この花が咲くと、冬の服をしまってよいと言われた。散ると、夏の服を出した。

 ほかの花壇は、もう土が見えている。この花壇だけ、白い。

「ここだけ、春なんですね」

「客間から見えますので」

 女はそれだけ言って、庭の奥へ進んだ。それ以上は、聞いても答えない言い方だった。

 生け垣の向こうに、小さな東屋があった。柱が四本と、屋根だけの、古い東屋だ。屋根の板は苔《こけ》で緑になっていて、人が使った跡はない。

「庭のかたは、こちらに」

 女は東屋の手前で足を止め、屋根の下を手で示した。自分は入らなかった。東屋の中は、女の持ち場ではないらしかった。

 屋根の裏に、鳥の巣ほどの影があった。影が動いて、梁《はり》の上に降りてきた。

 人の形をしていた。エルの手のひらに乗るほどの、人の形。背中に、薄い翅《はね》がある。

 着ているものは、枯れ葉の色をしていた。顔は、若いとも年寄りとも言えなかった。

 妖精だ。

 物語の中でなら、何度も読んだ。城の庭にいるとは、聞いたことがなかった。

「ひとの子。見習いだな」

 声は、小さいが、はっきりしていた。

「エルです。小図書館の見習いです。『花の暦』を、お返しいただきに来ました」

「返す。約束は、春が終わるまでだ」

「はい。ですから」

「春は、終わっていない」

 妖精は、梁の上から、生け垣の向こうを指した。客間の下の、白い花壇のほうだ。

「春告げが、咲いている」

 エルは、言葉に詰まった。

「今は、秋です。暦では、春は三つ前の月に終わっています」

 手帳の裏に書いてある月の名を見せた。妖精は、見なかった。

「それは、ひとの暦だ。春告げが散ったら、春は終わる。散っていない」

「でも」

「約束を破ったことは、一度もない」

 妖精の声は、怒ってはいなかった。ただ、譲らなかった。

 エルは、東屋の梁と、生け垣の向こうの白い花を、見比べた。

 人の暦では秋で、花では春。同じ「春が終わるまで」を、違うもので測っている。

 約束を破った、と言いかけて、やめた。言えば、妖精は二度と話さない気がした。相手の言い分を先に聞きなさい、と言われてもいる。

「本を、見せてもらえますか」

「春が終わるまでは、わたしの本だ」

「読んでいるんですか」

「読んでいる。ひとが春をどう書くのか、読みたかった。それで借りた」

「どう書いてありましたか」

「花で書いてあった。ひとも、昔は、花で春を書いたのだな」

「どうして、春が終わるまで、にしたんですか」

「春の本だ。春のうちに読む。終わったら返す。それで足りると思った」

 妖精は、屋根の裏を見上げた。影の奥に、布の包みがあるらしかった。

「ひとの子」

 妖精のほうから、言った。

「今年の春は、長い。長すぎる。春告げは、散るはずの時期をとうに過ぎて、まだ咲いている」

「気づいていたんですか」

「気づいている。わたしには、理由が分からない」

 妖精は、翅を一度たたんだ。

「春が終わったら、本は返す。だから、春が終わったら、教えに来てくれ。わたしには、分からなくなった」

 それは、催促に来た相手への、頼みだった。

「分かりました。春が終わったら、知らせに来ます。終わらない理由も、調べます」

 妖精は、屋根の裏へ戻った。影が、巣のように丸くなった。

 帰り道、庭師の女が言った。

「殿下、あのかたは、嘘《うそ》はつきません。ただ、人の暦は読みません。月の名を言っても、通じません。春も秋も、庭の花で数えておられます」

「本は、読むんですか」

「読みます。『花の暦』は、春の初めに、あのかたがどうしても読みたいと言った本です。私が紹介しました」

「どうして、庭師のあなたが」

「庭にいる者同士で」

 女は、それ以上は言わなかった。生け垣の角で、落ち葉の籠を拾い上げて、花壇のほうへ戻っていった。


 夕方の片づけの熱が流れると、カルロスは敷石の上にいた。

 エルは、妖精の話をした。春が終わるまでの約束。咲き続ける春告げ。春が終わったら教えに来てくれ、という頼み。

「妖精か。ハルデの川には、いなかった。山のほうにはいる、と聞いた」

「約束は破っていない、と言っていました。春告げが咲いているあいだは、春だから、と」

「約束を守っている相手は、破っている相手より、話が難しい」

 カルロスは、格子の上を見た。暗くなるのが、一日ごとに早い。

「きみの暦では、もう秋だな」

「はい」

「私のところには、季節が来ない。来るのは、夕方の熱だけだ」

 それは、寂しい言い方ではなかった。ただ、そうだと言っているだけだった。

「カルロスさん。熱は、冬のほうが長く流れますか」

「さあ。数えたことがない」

「きみは、どちらの春で答えるんだ。暦か、花か」

「まだ、分かりません」

「分からないなら、まだ答えないほうがいい」

 夕餉《ゆうげ》の鐘が鳴る前に、エルは手帳を開いた。

 聞いたこと。約束は、春が終わるまで。妖精は、春告げが散るのを春の終わりにしている。春告げは、客間の下の花壇だけ、秋でも咲いている。

 確かめたこと。妖精は、人にも見える。本は、東屋の屋根の裏にある。

 外れた考え。妖精が約束を破った。

 次に確かめること。春告げは、なぜ散らないのか。

 最後の一行を書いてから、エルは、もうひとつ足した。

 春が終わるとは、誰が決めるのか。


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