23話:相場と違和感
王都の薬種通りは朝から人が多い。
グレンと並んで歩きながら、私は三軒目の店を出たところだった。手帳には軟膏の種類と価格がびっしり並んでいる。
(金貨二枚から四枚。どこも大体同じ)
相場は安定している。品質に多少の差はあっても、価格帯はほぼ横並び。
「次、あっちの通りを回るわ」
「はい」
グレンは何も聞かない。ただついてくる。今日みたいな日には、この無口がありがたい。
四軒目は間口の広い店だった。棚に軟膏がずらりと並んでいて、種類だけなら一番多い。手に取ってみると質にばらつきがある。安いものは色が薄くて水っぽい。
(品揃えで勝負して、品質は二の次ね)
なんとなく鑑定した。
【軟膏】
現在価値:300
潜在価値:260
(まあ、こんなものか)
五軒目は品数が少ないが、一つ一つの質がいい。店主が自分で調合しているらしく、聞けば元薬師だという。
【軟膏】
現在価値:340
潜在価値:300
(こっちのほうが腕はいい。値段も相場の上限寄りだけど、数字は素直)
手帳に書き込んで店を出た。
(うちの軟膏なら、この相場帯で十分戦える。ただ——)
引っかかったのは利幅だった。アーレン領の原価から逆算すると、王都の相場で卸しても思った以上に利益が出る。ありがたい話のはずなのに、なんだか居心地が悪い。
(相場自体が高めに寄ってる? いや、今は比較対象が足りない。考えすぎね)
手帳を閉じた。卸値の目安は見えてきた。ここまでは順調。
六軒目に入ったとき、奥の棚に並んだ軟膏が目に留まった。
(……高い)
金貨十枚。相場の倍以上。高級品として別枠で並べてある。
なんとなく鑑定した。
【軟膏】
現在価値:600
潜在価値:320
手が止まった。
(現在600の潜在320。——合わない)
さっきまで見てきた軟膏は、どれも現在と潜在がほぼ揃っていた。この乖離は品質だけでは説明がつかない。
それに、潜在320。この数字に引っかかる。
「すみません、この軟膏について教えていただけますか」
店員が棚から一つ取って説明してくれた。希少な薬草を使っている。浸透が早く、効きが違う。用法は一日二回、薄く伸ばして——。
(この効能。この用法)
「少し手に取っても?」
「どうぞ」
蓋を開けた。薄い緑がかった色。指に乗せると体温でじわりと柔らかくなる質感。少し青い匂い。
全部知っている。
(レムリア草。トビアスが作ってるものと同じだ)
潜在320。アーレン領の軟膏の潜在価値。トビアスの加工技術に依存する数字。偶然で一致する数字じゃない。
「仕入れ先を教えていただけますか」
「申し訳ございません。仕入れ先は商売上の秘密でして」
まあ、それは正論。
「では、一つ買います」
金貨十枚。高い。けれど実物は手元に置いておきたい。
店を出た。グレンがこちらを見ている。
「見つけたものがあるの。後で説明する」
紙袋の中の軟膏。
(もしこれが本当にうちの軟膏なら、誰かが中間で利鞘を抜いてる。しかも現在価値が膨らんでるってことは、単なる転売じゃない)
ただ、今はまだ推測だ。確証もない。実害もない。私の直販はこれから始めるところ。
(気になる。けど、今やるべきことは別)
手帳を開いた。卸値の計算が先。
***
午後は商会回りに使った。
軟膏の卸先を探す。アーレン領の名前を出して、商品の説明をして、取引条件を提示する。やることは単純。結果も単純だった。
一軒目の大手商会は、応接室に通されるまでに三十分待たされた。出てきた番頭は帳簿を開きもせず、サンプルにも手を伸ばさなかった。
「辺境の小領地の軟膏ですか。申し訳ありませんが、うちでは」
「サンプルだけでも見ていただけませんか」
「お気持ちは分かりますが、取引先の選定基準がございまして」
基準の中身は聞かなかった。聞いても答えは変わらない。
二軒目はもう少し小さい商会で、番頭がサンプルを手に取ってはくれた。蓋を開けて、匂いを嗅いで、「品質は悪くないですね」と言った。それだけ。
「ただ、継続的な供給は可能ですか。辺境からの輸送コストを考えると」
「輸送費込みの原価構造はこちらに」
「拝見しますが、正直に申し上げまして、今すぐのお取引は難しいかと」
三軒目は門前払いに近かった。「実績のない商品を棚に並べるリスクは取れない」。一分で終わった。
まあ、そうよね。私だって同じ立場なら同じ判断をする。
(ただ、時間は使ったわね)
通りを一本入った先に、落ち着いた構えの商会があった。大通りには面していない。看板には「ヴァルト商会」。聞いたことはないが、壁も窓もきれいに手入れされている。
(規模より足元をやる人か)
中に入ると、主人が出てきた。四十過ぎの男で、愛想はないが目が鋭い。
鑑定。
【ヴァルト商会主】
現在価値:820
潜在価値:900
(近い)
これだけで十分。
「アーレン領の領主です。軟膏の卸先を探しています」
「アーレン。北の辺境の?」
「ええ。レムリア草を原料にした軟膏で、加工は薬師ギルド出身の職人が担当しています」
「サンプルはありますか」
持ってきていた。商会主がサンプルの蓋を開け、指先で質感を確かめ、匂いを嗅いだ。さっきの番頭と違って、軟膏を手の甲に少量取って、伸ばして浸透の具合まで見ている。
「……悪くない。粒子が細かい。加工の腕がいいな」
「原価構造をお見せします」
帳簿を開いた。原材料費、加工費、輸送費。項目ごとに数字を並べる。
商会主が数字を追っていく。指が止まったのは輸送費の欄だった。
「辺境からにしては、輸送費が抑えてあるな」
「北街道の定期便に相乗りさせてもらう形で」
「なるほど」
顔を上げた。
「卸値はこれで考えています」
数字を指した。商会主がしばらく黙った。
「利幅が薄いな。もう少し乗せてもいいんじゃないか」
「初回は実績を作りたいので。売れたら見直します」
「ふん」
腕を組んだ。
「正直に言う。辺境の無名商品を並べるのは、うちにとってもリスクだ」
「分かっています」
「ただ、品物は悪くない。帳簿もまともだ。——初回は五十個。売れたら追加発注する。それでいいか」
「十分です」
「契約書は明日だ。条件の詳細はそこで詰めよう」
立ち上がって、握手した。硬くて乾いた手。現場を歩いてきた人間の手だった。
商会を出た。
「取引成立、ですか」
グレンが聞いた。
「初回五十個。小さいけど、これが普通よ。実績のない商品にいきなり大口を出すような商人がいたら、そっちのほうが怪しいわ」
手帳に書き込む。卸値、数量、納期の目安。
(五十個。戻ったらトビアスに生産計画を立ててもらわないと。セバスにも報告。ルッツたちの受け入れ準備も)
日が傾いてきた。薬種通りの店が一軒ずつ灯りを点け始めている。
紙袋の軟膏のことが、まだ頭の隅に引っかかっている。現在600。潜在320。あの数字だけが、今日見てきた相場のどこにも収まらない。
けれど今は、やるべきことのほうが多い。
(違和感の正体は、そのうち分かる)
数字は逃げない。帳簿に残った数字は、いつか必ず答えを出す。
今はまず、自分の商品を売ること。
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