IDeCoとNISAと複利の力
書類を整理していると、よく一緒にゲームの話をする隣の課の佐藤先輩が机の端から顔を覗かせてきた。
「林、この前カフェで梶原主任と一緒にいたって聞いたぞ」
「えっ……た、ただの偶然です!」
思わず声が上ずる。
「否定しないということは本当なのか!ふーん。男嫌いと噂される梶原主任とねぇ。まあ、頑張れよ!」
軽く肩を叩かれ、佐藤先輩は戻っていった。
机に視線を戻したものの、頬の熱はしばらく引かなかった。
◆
昼休み、執務室で書類の確認をしていた僕は、思い切って口を開いた。
「あの、梶原主任。あれから資産形成について僕なりに調べてiDeCoとかNISAっていう制度を知ったんですけど……正直、よく分からなくて」
主任は少し驚いたように目を瞬かせ、やがて穏やかに微笑んだ。
「自分で調べてきたのね。いいわ林くん。それじゃあ今日は、その話をしてみましょうか」
主任は手元のペンを軽く回しながら言葉を選んだ。
「まずはiDeCo。正式には個人型確定拠出年金といって、老後のための資産をつくる制度なの。掛け金は全額所得控除になるから、住民税や所得税が安くなるという意味で節税効果があるのよ」
「へえ……そんなにメリットがあるんですか」
「でも注意点もあるわ。原則60歳になるまで引き出せないから、資金が拘束されるの。つまり『老後資金のため』と割り切れる人向けね。後は、公務員の場合、掛金の上限が月1万2千円までと決まっているから、大きく節税できるわけではないの」
僕は思わずうなずいた。確かに「いざというときに使えない」というのは不安に思えた。
主任は続けて話を進める。
「次にNISA。2024年から制度が新しくなって、今は『新しいNISA』と呼ばれているの。特徴は、投資で得た利益に税金がかからないこと。普通なら株や投資信託で利益が出ると約20%の税金が引かれるけど、NISAの口座で運用すれば非課税になるわ」
「なるほど、それは大きいですね」
「しかも非課税の枠がずっと使える『恒久化』になったの。つまり期限がなくなったのよ。年間で最大360万円まで投資できて、生涯の非課税投資枠は1,800万円。中でも、積立に使える枠が1,200万円あるの」
主任はさらりと説明するが、数字の大きさに僕は思わず口を開けた。
「1,800万円……そんなに非課税で投資できるんですか」
「ええ。ただし、iDeCoと違ってNISAは節税効果は直接ないの。あくまで投資で利益が出たときに税金がかからないというメリット。損益通算ができないというデメリットがあるんだけど、本筋とは外れるから、これはまたの機会に説明するね」
言葉を聞きながら、僕は自分のノートに必死にメモを取る。
「主任、1,800万円は確かに大きな金額ですが、それだけだと老後3,000万円の資金に足りないんじゃないですか?」
「良い質問ね。ここは具体例で考えてみましょうか。計算を単純化するために、1,800万円を一括でオールカントリーと呼ばれる投資信託に40年投資した場合と、S&P500という投資信託に40年投資した場合を考えてみましょう。オールカントリーは世界中の株式に分散投資したもの、S&P500は米国の企業に分散投資したものとざっくり考えてもらえるといいわ。計算式は、どちらも物価の時に話した複利計算ね」
そう言って、主任はスマホを取り出す。
「オールカントリー、所謂オルカンの場合は、年平均約7.6%なので、
1,800万円×(1+0.076)^40で約 3億3,710万円。
S&P500の場合は年平均10%なので、
1800万円×( 1+1.1)^40で約7億6,928万円
になるわね」
「……………は?」
あまりの金額に言葉を失う。
「あの…主任?…失礼ですけど、計算間違ってませんか?」
「いいえ、計算はあってるわ。これが複利の力よ。もっと現実に近づけた計算にしてみましょうか。資産が1,800万円に到達するまで20年かかり、残り20年運用したとすると、年利7.6パーセントで約7,790万円、年利10%で1億2,60万円になる計算ね。こちらの方が現実的かも」
あまりにも現実感のない数字に、言葉が出ない。スマホの関数電卓で何度も何度も計算するが、結果は主任の言うとおりだ。
「混乱しているようだから、続きはまた今度にしましょうか」
その日の午後は、頭の中を数字が回り続け、全く仕事が捗らなかった…




