第四話「月明かりに浮かぶ悔恨」
夜は更けり、現在日をまたごうとしていた。
暗い夜道、二人は月明かりのみを頼りに一本の道を歩き進んでいた。
「ここまで来ればもう大丈夫だろう」
「ようやく解放か」
ミリアは男から離れたと同時に汚いと言わんばかりに服をはたく。
「そんなに嫌だったのか?」
「嫌、というか葉巻臭い。服に染み付いているんじゃないか」
ミリアは自分の服に鼻を近づけて「うっ。臭い移っちゃった」と顔を顰めるも、どこか懐かしい匂いに首を傾げる。
「丁度いい。次の街で宿に行こう。それにそのままの服装じゃ色々と駄目だろ?」
胸元の白いフリルが印象的な、それ以外黒一色に染まった燕尾服に身を包んだミリアは、仕事着のままだった。
「別に。誰に見られたって分からない」
「職場が暗いからか?幾らそうだとして、目が慣れた者なら見えていた可能性がある。それに-」
男はしげしげとミリアを見やる。
「その服装は、ちょっとおじさん心配だな。とくに胸元と脚」
男は「ここと、ここ」と、ミリアの短パンからはみ出た脚と少し開いた胸元を指さす。瞬間ミリアは冷徹な視線を向けて小刀を抜いた。
「やはり変態なのか。ここで殺るしかない」
「そういう層が一定数いるから否定はしないが、俺は違うぞ?」
男は降参と両手を上げる。その顔には微塵もやましい色合いが見えない。
「⋯⋯チッ。本当にそんな風な気がして逆に腹が立つ」
ミリアは苛つきを覚えながらも小刀を腰にしまう。
「街に着いたら着替えな。とりあえず今日はもう遅い。ここで野宿だ」
「ここで!?」
ミリアは辺りを見渡した。たしかにまだ街までは歩いて半日くらいの距離がある。
「なにか問題でもあるか?」
「あっ、えーっと⋯⋯」
モジモジとするミリアに男は首を傾げ、「いくぞ」と颯爽と道から外れて坂道を下っていく。
「うぅ⋯⋯」
ミリアは情けない声を漏らすと、男に続いていく。
下に着くと、男は「あそことかどうだろう」と
生い茂った草木を掻き分けて進んでいく。ミリアはなるべく草木に触れないよう男に密着するように歩く。
何度か男の背中にミリアの頭が触れ、男は「ははっ」と笑う。
「なんだ?苦手なのか?」
「この時期だとまだ虫とかが⋯⋯」
「案外可愛らしい所あるんだな」
男がミリアの髪に手を伸ばすと、咄嗟にミリアがその手を払った。
「髪には⋯⋯触れるな」
ミリアは鋭く冷たい視線を男に突き刺す。
「すまない」
男はミリアの覇気に気圧されて、すぐ前を向いて歩き出した。
「よしっ、ここなら道から見えないだろう」
「⋯⋯ここ以外の場所はないのか」
男が止まったのは一本の木の下。確かにこれ以上、道からの遮蔽物となる物もない。
「あぁ。それにここが一番見晴らしがいい」
男はそう言って木の下で寝っ転がると、おいでと地面をトントン叩く。
それでもミリアが微動だにせず不安を滲ませると、男は自分の羽織っていた服を敷いた。
「ほら。ちょっとくさいけど我慢してくれ」
ミリアは諦めて敷かれた服の上に寝っ転がった。横になると、月明かりが煌々と辺りを照らして眩しく、すぐにミリアはうつ伏せに体勢を変える。
「⋯⋯くさい」
「許せ」
しかしその匂いに耐えきれず、ミリアは再び仰向けとなった。
「⋯⋯だめだ。眩しい」
ミリアは手で顔を覆った。
「せっかくの野宿だ。今なら王国内では明るくてあんまり見えなかった星も見えるぞ」
「⋯⋯⋯⋯見たくないんだ」
「どうして?」
その問いにミリアは答えない。
代わりにごろんと身体を横たわらせると、胎児のように蹲った。
「思い出してしまうから」
「⋯⋯その青い髪もか?」
再びミリアは押し黙った。しかし代わりに小首を頷くように動かした。
「そうとも知らず、さっきは触ろうとして悪かった」
「別に。お前には関係の無い事だ」
それから互いに交わす言葉はなく、二人の間には、暫く沈黙が流れた。
「へくち」
その静けさを破ったのはミリアのくしゃみだった。次にグズっと鼻水を啜る音が聞こえる。
ふと、ミリアの身体に敷かれた服が巻き付けられる。
「風邪ひくぞ。ミリア」
「全く!お前はいったい何なんだ!私の親か!」
「季節は秋だぞ。夏と違って夜は冷えるよ。くさいだろうけど今晩だけ我慢してくれ」
「う~~~~ッ」
ミリアは睨みつけるも、その慈愛満ちた男の対応に折れてそのまま横になった。
「⋯⋯暖かい」
服は薄い。暖を取るにはもう少し厚い方が良いだろう。
それでもミリアはどこかホッとした気持ちになった。包み込まれているからだろうか。それは分からない。
安心したのかミリアは数分もしないうちに微睡みの中でコクリコクリと首を揺らす。しかし不意な匂いにより反射的に飛び起きた。
いつの間にか寝てしまった-。
安心しきった自分を叱咤して、ミリアは小刀を手に取り男を見やる。
「-あ、起こしたか?」
男は葉巻を吹かしているところだった。
「なん-⋯⋯だぁあ」
ミリアは杞憂だった事に力なく崩れ落ちる。
「匂いがそっちに行ってしまったか。風向きは考えたつもりだったんだが」
男は素早く灰皿を取り出すと横たわらせた。
ミリアは「くさいくさい」と鼻をつまんで仰いでいると、またしてもどこか懐かしい匂いが混じっている事に気が付く。
「なんだろ⋯⋯」
ミリアはクンクンと匂いを嗅ぎながら葉巻へと近付いていく。
「あ-」
ミリアは思い当たるものに気がついた。
-これ、モンロ村と同じ匂いだ。
それはかつて人生の大半を過ごしていた村周辺にしか生えない草の匂い-。
「どした?」
気付けば男の顔はすぐ側にあった。
「わぁ!!?」
ミリアは思わず男を突き飛ばした。
「おいおい。ミリアから寄って来たんだぞ」
「だ、だだだ、だって⋯⋯それ⋯⋯」
ミリアは恐る恐るその葉巻を指さす。その手は震えている。そうしているうちにも残り香が何度も鼻腔を刺激し過去を思い出させる。
間違いない。モンロ村で嗅ぎ慣れた匂いだ。
ミリアは狼狽しながらも腰の小刀に手を掛ける。
あの村にこの男はいない。
そしてあの村の辺りを取り囲むように、他者からの接触を拒む迷いの霧が発生している。こいつが村付近でしか取れない草を持っている筈がない。
「どこで手に入れた?」
ミリアは鋭い視線で男を突き刺す。
「これか?あぁ、王国で販売しているごく普通の物だよ」
「嘘をつくな!仮にも英雄記録調査員の一人、王国内の大体の事は把握しているぞ!」
「それは英雄記録調査員”だから”だけでは知り得ない情報だろ?」
「なんだと?」
男はヘラっとした表情でぬるりと立ち上がると、両手を広げて喋り続ける。
「フェアじゃないなぁ。ミリア・スティール・ウーマン⋯⋯いや、ミリア・モンロと言った方が正しいのかな?」
ミリアの顔は驚愕の色に染まっていく。
「どうして⋯⋯⋯⋯その名を⋯⋯」
「つまりはお互い様って事だ」
「お互い様⋯⋯だと?」
「そうだ。君も隠し事があり、俺も隠し事がある。ただ第二王子殺害という利害の一致による一時的な共闘戦線を張っているだけ。そうだろ?」
「ふざけるなッ!大体貴様は自分の名前すら名乗っていないじゃないか!」
「メルト。それが俺の名前だ」
男はぽつりと、唐突にそう言い放った。
「メルト?メルトと言うのか」
「あぁ」
男-メルトは俯いてミリアから視線を外す。そこには先程までの戯けた様子は微塵もない。
「上の名前は?」
「⋯⋯ない」
メルトは覇気なくそう答えた。
ミリアは疑り深くその瞳の奥底を見ようと覗き込む。
「⋯⋯どうやらそれには嘘が無さそうだな」
しばらく立ったまま硬直する二人だったが、それを解いたのはミリアからだった。
「はぁ。今日は疲れた」
ミリアは寝巻き代わりに敷いていたメルトの服に再び包まってうつ伏せとなった。
「詮索しないのか?」
「言っただろう。疲れたんだよ。今日は色々とありすぎて」
「それにしても無防備すぎないか?」
ミリアは先ほどよりも深くメルトの服を身体に巻き付けチョココロネのようになっていた。
「別に。きさ-メルト、さんが私に危害を加ええないということは十二分に理解したからな」
「そうか⋯⋯ならこのまま横で寝てもいいか?」
「別に。さっきもそうしていただろう」
メルトはミリアの横で再び横になった。
「葉巻、消さないのか?」
「葉巻はタバコと違って吸わなければ数分で消えるんだよ。いやなら折るが」
「⋯⋯ううん。そのままがいい」
「そうか」
ミリアの鼻にはまだ葉巻の香りが漂う。その残り香がミリアにあの村での生活を懐かしませ、苦しくも愛おしい日々だったからこそ、その分あの日の後悔を思い出させた。
「お姉ちゃん⋯⋯ッ」
ミリアは静かに肩を震わせて、嗚咽を漏らす。
メルトは聴こえていたが、聴こえないフリをした瞳を閉じた。




