第七九九話 踊り場(三一)
長嘆息は、那美だった。
「前は、出ていけない、って言ってたのにー」
「出ていく気満々のお前に言われる筋合いはない」
「静お姉ちゃん、寂しがるよ!」
「どの口が言う」
まあまあ、とみさとが割って入ってきた。
「みんな固まってるし」
「ええ。後は、よそでやってください」
みさとの意図とは異なる言だったのだろう。え、と彼女は尋道を見ている。説明が聞きたかったとみえる。
「プライベートですよ。他人が口を挟んでいいことじゃない」
有無を言わせぬつもりのようだ。尋道は、続ける。
「さて。脅迫状とやらの続きを説明させていただきますよ。サーヤさんは、もういいそうです。特に、僕。だいぶ苦言をいただきました」
「そうそう。那美ちゃんも、カラーズさんには、もう行かないほうがいいよ、って。お金なら、お小遣いあげるよ、って」
「まさか、もらうつもり?」
欲しいのは山々であるものの、と那美は言った。
「ばれたら、えらいことになるし。郷本さんに木っ端みじんにされる前に、お母さんにずたぼろにされちゃうよ」
「うん。ナミスケにしては理性を働かせたね。でも、郷本君よ。よかったの? サーヤちゃんと疎遠になって」
「比較対象は、あなたなのでね。構いません。次に、正村さんと静さんですが、無視されました」
「そっちは、いいんじゃない? いたって役に立たない」
「そんなことはないんですが、あなたに物申しがちなお二人なので、そういう意味では、よかった。というわけで、今度こそ長続きしてほしいものです」
「本当に、ね」
つぶやいて、孝子は失笑した。いきなり尋道の希望が潰えそうな現状を見て、だった。娘うんぬんへの不審が尋道と那美以外の顔にありありとしていた。
「プライベート、と言ったのに。わからないのですかね」
気付いたらしい。尋道が眉をひそめた。
「まあ、まあ。いいよ。君の見識を改めて確認できた、ってことで。未熟者ばっかりさ。これからも便利にこき使わせてもらうね。よろしく」
「なんなりと。体制的にも、そうなるでしょうし」
話題を変えるようだ。乗っておく。
「ほう」
「フルタイムでカラーズに出てこられるのは僕だけなので」
「みさとは?」
こちらには、と尋道がみさとを示した。
「岩花の件がありますし」
「なんのなんの。存分に頼っていただいて、構いませんのよ?」
「いや。いい」
言下に孝子は拒否した。尋道が使える状況にあって、他を使おうとは思わない。
「くそ。なんなんだよ。この信用の差は」
「積み上げてきた実績の差だな。あ。そうだ。ちょうどいい。岩花の話をしよう。尋道君とみさと以外は帰っていいぞ」
えー、の合唱には、取り合わない。
「うるさい。さっさと出ていけ」
「傍聴ぐらいなら、してもらっても、いいかも? いざというときに、役立ってもらえるし」
「脅迫状に、私の意に反したやつをかばうな、ってなかったっけ」
「これも、駄目?」
どうか、と孝子は尋道に問うた。
「正しく傍聴できるのであれば、いいのではないですか」
発言権は、これを認めない、というわけか。尋道が容認するなら孝子もならおう。
「で、どういったお話でしょうか」
「大みそか。二人も来るんでしょう?」
「行く、行く。あ。私、車、出しますよ」
「伺いますが、僕は前に別口があるので、お二人で、どうぞ」
「え。ケイちゃんたち、三一日、何かあるの?」
那美以外の全員が引いた。いや。一人、例外がいた。
「那美さん。奨学金を出しましょうか」
こちらはこちらで、訳のわからない発言である。
「奨学金!」
「カラーズで、やっていただくのは、難しいようです。ただ、すかんぴんはつらいでしょう」
「でも、奨学金だと、返さなくちゃいけないじゃーん。それに、使い道も、勉強絡みだけでしょう?」
「大丈夫です。詳細は斎藤さんに決めていただきますが、何か優れた業績を挙げていただければ、ちゃら、としますので。在学中に、一山当てればいい。使い道も、限定しません。ゲームを買ったって、買い食いしたって、構わないですよ」
「やった!」
待て、と孝子は話を止めた。そろそろ説明せよ、と尋道に迫る。
「いえ、ね。どうあっても抑え切れない天衣無縫さに脅威を感じまして。あまり身近にいてもらっても困りますが、手放すのは惜しいような」
「手放していいよ。ばかなだけ」
「ケイちゃん! なんてことを言うの! 郷本さん。こんな人は放っておいて、お金の話だけど、どうせなら奨学金じゃなくて、寄付金にして。そうしたら、私、研究医になるよ」
「どういったお話でしょう」
「うん。舞浜大学に、おじいちゃんが開いた研究室があって、今は、お弟子さんが引き継いでるの。で、将来的には私に大政奉還したい、って言うんだけど、成美大叔母さんも、お母さんも、お父さんも、美咲おばさんも、全員、反対」
「お前には務まらない、ってか」
「違うよ。儲からないから。おじいちゃんも、そうだね、って言ってるけど、でも、ちょっと寂しそう。継いであげたいなー。でも、儲からないのは、嫌だなー、って、ちょっぴり悩んでた」
ちゃちゃに、まっとうな答えが返ってきた。
と、尋道の視線が動いた。自らの足下に向けられる。見れば、ロンドがまとわりついていた。まさか、である。
「いいでしょう。一山当てるなら臨床医より研究医でしょうしね。せいぜい励んでください」
やった。言い出した内容も、最終的な決定打も、全てがでたらめだった。が、黙認しよう。全幅の信頼を寄せる相手である。おそらくは、そうなるだろうが、たとえ不首尾に終わっても、責めまい。孝子は、決めた。




