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未知標  作者: 一族
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第七九八話 踊り場(三〇)

 自宅前まで送り届けてくれた鶴見正隆の車に向かって、深々と一礼した、その次の瞬間だ。違和感が、あった。ひとしきり沈思して孝子は気付いた。垣根を越えた先に「新家」が見えなかった。解体工事が始まった、とは聞いていたが、もう完了したのか。

 西門から入ると、敷地内には見知った顔が群れるも、そちらには構わず、「新家」の、あった、場所へ近づく。見事に更地となっていた。

「やっぱり、感慨深い?」

 振り返ると、美咲だった。さらに後ろでは、みさとと尋道が、それ以外を制するように立っている。カラーズの「双璧」が配慮を見せたようである。

「はい。戻りたいか、と聞かれたら、絶対に嫌、って言いますけど」

「あんな部屋じゃね」

 かつての孝子の自室、狭小の四畳半への追憶だが、もういい。感慨は去った。

「ママ。寒いのに、ずっと待っててくれたの?」

 昼下がりの陽光でも和らがぬほど、この日の気温は低かった。、

「いや。郷本君が言うには、近づいてきたら、わんちゃんが反応するから、ぎりぎりまで中で待てばいい、って。お帰りなさい」

「ただいま戻りました」

 年の瀬も押し詰まった、この日、孝子は司法修習の第一段階、導入修習を終えて舞浜に帰還した。年が明ければ、この地にて実践的な実務修習が始まる。

「おう。犬。二週間ぶり」

 美咲の横を抜け、那美が抱えているロンドに近づいた。すると、ロンド、飛んできた。

「危ないでしょうが、お前は。落ちたらどうするの」

「ロンちゃん、なついてるねえ。さっきまで遊んでたんだけど、そんな甘えてくれなかったよ」

 寄ってきたのはみさとだ。

「人品」

「あんた、人品、って言葉の意味、知ってる?」

「郷本君。みさとは首」

「わかりました」

「ちょっと、郷さん。そんな簡単にわからないでくださいよ」

「もめろ、もめろ。さあ。中に入ろう。寒いよ、ここ」

「双璧」の掛け合いを横目に、孝子は歩きだす。

「本家」のDKにがん首をそろえたのは、孝子以下、みさと、尋道、那美、春菜、祥子、基佳、景、佳世、そして、美咲とロンドの一〇人と一匹だ。

「ママと犬以外の連中は、カラーズ絡み、ってこと? 郷本君の脅迫状に屈した人たち?」

「なんですか。人聞きの悪い」

「いや。言ったのは、たむりん」

 尋道氏謹製の宣告文を、脅迫状、と評して孝子に回覧してきたのは川相倫世だった。

「二人で大笑いだよ。さすがの冷血、って」

「ですから、人聞きの悪い、と言ったでしょう。もっと、怜悧、とか。言いようがあるはずですよ」

「ばかやろう。『れい』の漢字からして違うんだよ」

 喝破して、標的を変える。

「ところで、なんでナミスケがいるの」

「くだんの脅迫状を受け入れていただきましたので。ごねると思っていたのに。僕の失態です」

「郷本さん。なんで、そんなことを言うの!」

「お前の前非だよ」

 ダイニングテーブルの隣に座る那美をつつく。

「大丈夫でしょう。一応、釘は刺してあります」

「あ。聞いて、ケイちゃん。郷本さんたら、ひどいの。あなたに嫌われたところで、僕は痛くもかゆくもありませんので、今度、ケイちゃんに盾突いたら、サーヤさんとの件、全力で壊します、って本当に脅迫してきたんだよ!」

「サーヤさんとの件、って、なんですか、那美さん?」

「ああ、佳世君。この子、あわよくばサーヤちゃんの養子になれないか、ってたくらんでるの。お金持ちの家に入って相続してくれよう、とか腹黒いことを、ね」

「ほう。面白いじゃないの」

 ほぼ全員が息をのんだ中で、平然と評したのは、当代、美幸の妹たる美咲だ。

「どうせ、うちは総領の総取りになるんだし。孝子。その、サーヤちゃん、っていうのは、どういう方?」

 高鷲重工の大立者、黒須貴一の夫人、と孝子は説明した。

「お子さんがいらっしゃらない、と知って、このがきが、相続してあげる、なんて」

「あちらさまは、どんな感じなの?」

「まんざらでもないような、というか、かなり意気投合してるように、私には見えました」

「ふうん。なら、いいよ。行っちゃえば。時に、娘よ」

 ちらり、ときた。

「なあに、ママ」

「私も相続してくれる人がいないのよ」

 那美の動向など、美咲にとっては些事に過ぎなかったようだ。孝子に誘いを掛けることこそ本題だったのだ。

 このたびが三度目となる。一度目は、孝子が神宮寺家の居候となって、しばらくたったころ。この時は、養母との争奪戦に敗れて、美咲の願いはかなわなかった。二度目は、「本家」の建て替えに際して。長老、成美を味方に付け、万全の体制で臨んだが、養家への義理を通した孝子の拒絶で潰えた。そして、今。三顧の礼、ではないが、もう断れない。

「私からは、なかなか言い出せませんが、ママが、うまく運んでくれるのなら」

 受けた大恩は、決して忘れるものではない。ただ、堅物の養母より、洒落な美咲との生活が、より好ましく感じられる昨今の孝子なのである。

「え!? いいの!?」

 美咲の声が弾む。

「はい。あなたの娘になります」

「任せて!」

 すっくと立ち上がった美咲は、大股でDKを出ていきかけ、ひょいと振り返った。鬼面さながらの形相である。

「那美。今の話、姉さんに言ったら、ただじゃおかない。お前のほうも、つぶす。具体的には、郷本君に頼む」

「承りました。木っ端みじんにして、ご覧に入れましょう」

「お願い。じゃ、私は、ちょっと用事があるんで。みんな、ゆっくりしていってね」

 意気軒昂の見本は、そのまま家を出ていったようだ。七割を義理の叔母のため、三割を自分のために、上首尾を孝子は願う。

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