第七九三話 踊り場(二五)
一週間ぶりの、スーパーマーケット「マルソー」となる。過日、尋道らとの合流に駐車場を拝借した埼玉地場のスーパーマーケットだ。
午前一一時五分。てるてる坊主スタイルの孝子は駐車場に入った。今日の待ち合わせ時間は、きっかり午前一一時だったので五分の遅刻となる。しかし、孝子は焦らない。今日の待ち合わせ相手が、時間どおりに到着しているはずがない、と確信していたからなのだ、が。
「ケイちゃん、遅い!」
声が聞こえた。駐車場の隅に、那美、清香、そして、祥子の長身があった。青い車を中心にして、全員が手を振ってくる。陣中見舞いに加え、見せたいものがある、食事、とやってきた那美、清香、漫画構想についての申し入れがある、とやってきた祥子、それぞれである。
構わず店舗へと進んでいると、また、声だ。
「ケイちゃん! 無視しないで!」
ここで、ようやく孝子は足を那美たちのほうへと向けた。
「ご苦労」
「ご苦労じゃないよ。遅刻」
「ナミスケのくせに時間どおりに来るんじゃない」
「何、その言い方」
やり合う姉妹に清香が満面の笑みを浮かべた。
「いいわあ。二人が言い合うのって、本当に、仲よし姉妹、って感じで」
「いや。サーヤちゃん。こやつとは不倶戴天」
「最愛の妹でしょう。照れなくていいよ」
取っ組み合いとなった。
「ナミスケ以外、ようこそ」
祥子の仲裁で那美と離れた後に孝子は言った。
「まだ言ってる!」
「まあまあ、那美さん」
絡め取った那美を清香に押し付けて祥子が来た。
「お姉さん。お忙しい中、お時間を取っていただいて、ありがとうございます」
「うん。じゃあ、一つずつ片付けていこうか。で、これが、見せたいもの?」
傍らの、小ぶりな青い車体に向けて孝子は顎をしゃくった。
「そう。マニュアルだよ」
清香が購入したマニュアルトランスミッション車、といったあたりか。のぞき込むと、確かにシフトの存在が確認できる。
「練習用なら、これがお薦め。すごく運転しやすいんですって。だから、決めたの」
「ケイちゃん。これ、とある人の紹介でサーヤちゃんが買ったんだけど、わかる?」
「依田さんでしょ」
「よくわかったね!」
「私がわかる範囲で、サーヤちゃんの相談相手になる自動車絡みの人なんて、依田さんしかいない」
ナジコ社長の依田逸郎は、清香と桜田大学の同窓である。前者が後者の一〇個上、という。
「それに」
孝子は車のフロントグリルに輝くNの意匠を指した。愛車でも見覚えのあるナジコのエンブレムだ。
「ついでに言うとカラーズの社用車の色違いー、っておじちゃん、言ってたよ」
「それは覚えてない」
マニュアルでありさえすればいい孝子らしい述懐だった。
「ナミスケは、依田さんに会ったの?」
「会った。さすが、あの子の妹さん、って言うから、何を言ってるの、私のほうが美人だよ、って言っておいた」
取っ組み合いが再び、である。
「那古野まで買いに行ったの?」
組み合ったまま、孝子は問う。
「いや。ナジコの、東京本社、だっけ。そこ。帰りに、サーヤちゃんがステーキ、おごってくれた。東京のお店は、やっぱり違うね。今まで食べた中で、一番おいしかった。ケイちゃんも、今度、行こうよ」
「いい。食事に、そんな労力を使いたくない」
興をそそらぬ話題は変えてしまうに限る。
「それにしても、サーヤちゃん。ナジコの車なんて買って、黒須さんに怒られなかったの?」
清香の夫、黒須貴一は、自動車工業分野において、ナジコ株式会社の後塵を拝し続ける高鷲重工業株式会社の重役なのである。
「内緒で買ったもーん。駐車場も別で契約してね」
「悪妻」
那美、祥子も続いて、悪妻コールとなる。
「なんなの。この、いじられようは」
満面の笑みで言っていては世話がない。
「続きは、中で聞こうか」
マニュアル車が眼前にある以上、運転せずにはおかぬ。今は圧倒的な少数派となったマニュアルトランスミッションが、カラーズの界隈ではやっている要因は、この孝子の愛好による。
「鍵」
手渡され、孝子は、お返しに脱ぎ捨てたてるてる坊主の外衣を那美に放った。
「畳めー」
「畳ませてやるよ」
顧みず、運転席に着く。エンジンを始動する。慌てて那美以下三人が車に入り込んできた。置いていきかねない。そう思われている。そんな迅速さだった。理解が深くて実によい。出発だ。




