第七八三話 踊り場(一五)
昨今の祥子の平日は、以下のとおり、流れている。午前六時、起床。午前七時、朝食。午前八時、LBA勢の自主トレに備えてウオーミングアップ。午前九時、LBA勢の自主トレに参加。正午、昼食。午後一時、カラーズの執務。午後三時半、伊澤浄の送迎のため舞姫館を出発。午後九時、帰館。午後一一時、諸事を済ませ、就寝――。
それは、一二月上旬の一日、祥子がLBA勢の自主トレに参加した後の正午過ぎだった。体育館棟を出て寮棟の浴場に向かいかけた時である。けたたましい笑い声がオフィスの方向から聞こえてきた。聞き慣れた伊澤まどかの声だ。舞姫館の浴場を使わない静は、ロッカールームに直行し、美鈴、アーティ、シェリルらは浴場へと先行していた。一人、祥子はオフィスに向かった。
「伊澤。何を騒いでるの」
顔を出してみると、時分時の閑散としたオフィスで、まどかはカラーズ島にいた。いつの間にか来館していた基佳と話し興じていたようだ。
「あっ。高梨翔子さん」
何。伊澤まどか、今、なんと言った。
「先輩。小早川さんが、漫画の原作をされるんですよ」
「ああ。違う。原作じゃなくて監修。女子バスケの漫画を、昨今の事情を下敷きにして描いてみたい、って考えている人がいてね」
高梨翔子とやらは、その人物の温めていた構想の一端だ、そうな。
「ちなみに私は澤井真由佳ですって」
「ふうん」
もじり、とまではいかないものの、参考にしたわけか。それにしても、漫画。興味の薄い分野であり、自然つまらぬことを、との考えが浮かんで、祥子にしけた声を発生させた。
「ああ」
苦笑が基佳の顔に浮かんだ。
「郷本君の懸念どおりか」
「え。郷本さんが、何か」
「基本的には賛成するけど、あまり現実に寄せ過ぎないほうがいいんじゃないか、って言われた。今の、高梨翔子とか澤井真由佳って、割と簡単にモデルの想像できるネーミングだったでしょう? 当然、関係各所に仁義を通す必要があるよね。その過程において、難色、拒絶、出てくる可能性は、極めて高い。特に、中核と考えている箇所に、そういったものが出たら致命的だから、やめたほうが無難でしょう、って。で、早速、致命的になりました、と」
「小早川さん。私たちが中核になるような漫画なんですか?」
祥子は問うた。
「うん。正確には、真行寺涼香こと静ちゃん。ドラマチックじゃない。頼もしい仲間がいて、偉大な師匠がいて、最強のライバルがいて、そのライバルに勝つための武者修行に出て、なんて。加えて、猛烈な姉貴に、かっこいい彼氏まで完備してるし。下敷きどころか、ノンフィクションのままでも、十分にいけるよ、静ちゃんは」
列挙されてみれば、その中核ぶりは、なるほど、すさまじかった。ただ、祥子以上に、その手への興味および理解の薄そうな人ではあるが。
「それよ。高遠さんで、この反応なら、静ちゃんは、推して知るべし、だね。いったん、頓挫。練り直します」
言って、基佳はスマートフォンを取り出した。構想の発案者に不首尾の連絡を入れるのだろうか。
「小早川です。お疲れさまでーす。早速ですが、慧眼でした。いえ。高遠さん。足下から。はーい。練り直しまっす。ではではー」
心なしか、基佳が気安い。相手は、もしかすると、発案者ではなかったか。
「小早川さん。今のは」
「郷本君。気にしないで。あの人も、この手に一発で乗ってくれるのは、市井さんとアートぐらいのもの、って言ってたし。だから、伊澤さんが、すごく面白がってくれた時は、やったね、って思ったんだけど。難しいね」
いけない。先ほどの電話の内容では、まるきり祥子の反対で構想がぽしゃったように聞こえる。小早川基佳、なんということをしてくれた。取り戻さなければ。大至急だ。はてさて、何から手を付けるべきか。頭が痛い。本当に、小早川基佳、なんということを、してくれた。




