第七八二話 踊り場(一四)
不意に、尋道が周囲を見渡した。当然、一同は、ぎょっとする。
「皆さんは、いつまでこちらに? とっくに練習の時間かと思いますが」
時刻は五時になんなんとしていた。舞姫の練習開始は午後四時だ。気遣い。あるいは、そろそろ部外者は去れ、と暗に言っているのか。いずれにせよ、従う他ない。
「おお。これは、うっかり。雪吹、今日は、頼む」
中村の指示が飛んだ。
「あれ。中村君は?」
「私は、このまま。今はチームを離れたとはいえ、教え子の行く末は気に掛かりますので」
「ものは言いようね」
桜田大卒の二人が会話をするそばで、舞姫たちはアシスタントコーチの雪吹彰に追い立てられて、オフィスを去っていく。やがて、室内には、当事者二人の他は、尋道、那美、清香、そして、中村、以上の四人だけとなった。
「といって、あとは若い二人の話なのでね。僕からは、特に」
「郷本さん。面白くないです」
老いらくの仲人じみた言い回しを祥子は切って捨てた。
「あなたは、そんなだから神宮寺さんに、祥子は育ち過ぎ、なんて言われるんですよ」
「上司の薫陶のたまものです」
尋道は眼前のコーヒーに手を伸ばした。去り際の井幡が淹れていったものだ。
「育て方を間違えましたね。ただ、実際、特になし、というのは本当ですよ。以後は、中田さんにお任せすることになりますし。僕が口を差し挟む段階は過ぎています」
ここで、一口。
「それを踏まえた上で、あえて、何かあるとすれば、そうですね。あなたの周囲には偉大な先達たちがいらっしゃいますので、臆せず門をたたいてみては、と助言するぐらいでしょうか」
「偉大な先達たち、ですか?」
「例えば、中村さん。教職に就いておられました。伊澤君と同じ年ごろの選手たちの指導を、豊富に経験されてらっしゃる。『都立の中村』といえば、今も東京の高校バスケ界で語り継がれる、伝説的な名コーチとか」
中村がむせた。
「郷本君、よく知っていたね。そんなふうに言われていたのは、もう、二〇年近く前だよ」
「情報は僕の生命線ですので」
「いやはや。君の博識ぶりには、いつも驚かされるな。なあ、高遠」
「はい」
「今、彼は私の名前を挙げてくれたが、そういう彼も、また、君にとって偉大な先達の一人、といえる。郷本君のような知識があれば、確か、中村は昔、教師だったな。そこそこ有名だったらしい。一つ、話を聞いてみるか、といったふうに考えが及ぶだろう」
「はい。肝に銘じます」
尋道が次に持ち出してきたのは、カラーズが擁する川相倫世と北崎春菜の名であった。アメリカプロ野球で活躍する夫、一輝を操縦する倫世に、サッカー日本代表の伊央健翔を指導する春菜のコンビは、確かに、偉大な先達と称すにふさわしい。
「川相倫世さんは、アスリートではありませんが、食生活を通じて、アスリート、川相一輝の成立に、大いに貢献していらっしゃいます。あと、川相さん、とんでもない朴念仁なのですが、その点も、うまくカバーなさっている。そのあたりを大いに評価したシアルス・ウイングスは、川相倫世さんに参与の地位を付与していますね」
また、
「北崎さんの場合、こちらは『至上の天才』の神通力で、伊央さんを圧倒的に飛躍させました。北崎さんがベアトリスに行かれて、まだ三カ月たっていませんが、伊央さん、すさまじいですからね。去年まででも、十分でしたが、今年は、それ以上だ。世界最高の呼び声も聞こえたり、聞こえなかったり、とか。ベアトリスFCでも北崎さんにポストを提示する計画がある、と聞きましたよ」
そう紹介した後に、尋道は、こう結んだ。
「高遠さんの目指すところとは少し違っているかもしれませんが、それでも参考にできる部分は、多々、あるはずです。話を聞いてみたい、というのであれば、セッティングしますよ。オンラインでもいいですし、現地に行って直接でもいい」
「はい! 私、通訳!」
勢い込んだのは、第三者の那美だった。
「シアルスもベアトリスも、行ったことないから行ってみたい! 一緒に行ってあげる!」
「二言目で馬脚を現すのは、あなたらしい、というか。結構です。そもそも、高遠さんに通訳は必要ありませんし」
「伊澤弟は英語できなさそうな顔してるよ!」
「待ちなさい。それ以前に誰も、高遠さんと伊澤君を一緒に行かせる、とも言っていませんよ。行くなら一人です。片方が未成年の異性の二人連れ。アウトですね」
「えー。大丈夫っすよ。俺、品行方正っす。祥子さんには誓って指一本触れません。セーフ」
「高遠さん」
浄の異議を無視して、尋道は祥子に目を向けた。
「締め上げがいのある教え子じゃないですか。お手並み拝見だ。健闘を祈ります」
言われるまでもなかった。偉大なる先達たちと同じ道は歩めないし、歩もうとも思わない。祥子だけの道を切り開くのだ。青い野心は、今、燃え上がる。




