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未知標  作者: 一族
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第七八〇話 踊り場(一二)

 翌日から祥子は、コーチ、トレーナー的なる活動を開始した。一生懸命に当たる、と宣誓したとおり、中田の全てを吸収するつもりでぶつかっていけば、教え子の意気に感じ入ってか、中田も熱のこもった指導で応えてくれる。好循環の始まりだった。

 と、好事魔多し。障りが起きた。静だ。バスケットボールをおろそかにして、他にうつつを抜かしている、と思われたらしい。まどかと語らって祥子をいさめに来た。決裂気味だった自分を気に掛けるあたり、やはり善良の人なのだが、この際は、ありがた迷惑だった。充実している、大丈夫だ、と祥子は口を酸っぱくして言った。無論、善良の人は聞き分けてくれたりしなかった。

 祥子は愚痴った。相手は浄だった。意外に気が強くて、意外に頑固な、と尋道に評された静の人となりを、空気を読まずに、先輩、先輩、とまとわりついてくるまどかのうるささを、ねちねちやった。そして、変事は起きた。

 一二月の声も聞こえてきた月末、舞姫館である。今日も今日とて絡んでくる静とまどかをあしらいながら、祥子は送迎に出る準備を進めていた。

「高遠ー」

 そこへ、井幡の声だ。

「はい」

 launch pad正門に立つ警備員から、伊澤浄が現れたので敷地内に入れた、なる通知があった、とのことであった。

「わかりました」

 とはいうものの定刻にはまだ間がある。何事か、発生したのだろうか。いきなり浄の名が出てきたが、家族と一緒ではないのか。伊澤家に自転車はなかったはずなので、走ってか。本当に、何事かが、発生したのだろうか。考えつつ玄関に目を向けると、もう、いた。浄がガラス戸の向こうに立っている。

「おい。浄。何しに来た」

 招き入れた浄に姉のまどかが詰め寄る。

「おう。祥子さんを助けに来た。二人に絡まれて、すごい迷惑してるらしいじゃん」

 なんということを。少年よ。愚痴を、聞き流してくれなかったのか。正義感に、駆られてしまった、いやさ、くれたのか。祥子は静とまどかに顔向けできない。

「はあ!?」

「祥子さん、頑張ってるだろ。二人して足を引っ張ろうとするなよ」

「浄。私たちのどこがサチの足を引っ張ってるっていうの」

 押し殺した静の声だった。

「引っ張ってるだろ。今、祥子さんと俺が教わってる中田さんは、現役でも、監督、コーチでも、そして、社業でも、全部、ばりばりの成果を上げてきた人だぜ」

 対する浄の声は平静である。

「中田さんみたいになりたい、って、祥子さん、頑張ろうとしてるのに、二人は、やめろ、やめろ、ってうるさいんだろ」

「うるさい、ってなあ。私たちは先輩を心配してるだけだよ」

「まず、その考えが、おかしいんだよな」

 浄はせせら笑う。

「なんで心配するのさ。応援じゃないのかよ。どうせ、あいつは失敗する、って思ってるから心配なんてするんだろ。祥子さんをなめてるのかよ」

「なめてなんか、ないよ。ただ、言うほど簡単じゃないでしょう」

 風向きが変わったようだった。明らかに静の語勢が弱くなった。まどかの表情を見ても、一歩を引かされた感がありありとしていた。

「簡単じゃなくても、中田さんは、やったぜ。中田さんにできて、祥子さんにできない、って思う根拠を言ってみなよ。性別か。同じ女同士なのに差別するのか」

 ここぞとばかりに浄が畳み掛ける。静とまどかの反応はない。

「イエーイ。俺の勝ちー。これに懲りたら祥子さんの邪魔をするなよ」

 勝ち誇る浄に対して甲高い舌打ちを鳴らしたのはまどかだ。

「てめえ、先輩に何かあったら、ただじゃおかないからな」

「まだ言ってら。何もないよ。でも、まあ、仮に何かあったとしても、安心しな。祥子さんは俺が養うよ。俺はアメリカでプロになって何百億も稼ぐ男になるんだし。セレブ生活をしてもらうよ。どうしよう。車とか、五台ぐらいプレゼントしようかな」

 放言に、時間が、止まった。

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