第七七一話 踊り場(三)
短兵急な、という思いと、それでこそ、という思いとで半々といったところだった。昨日の今日に決まった基佳との面談だ。時間がない、申し訳ないが、出向いてもらえるか、と指定されたのは、彼女が務める舞浜ケーブルテレビの社屋となる。
昼下がりのロビーにぽつねんと座っていると、来た。濃紺のパンツスーツに身を包んだ基佳がボブを揺らしながら駆け寄ってきた。
「どうも。ご無沙汰してます。わざわざお越しいただきまして」
「ご多忙と伺ってます。致し方ない」
「あの、本当に助かりました。ありがとうございました。神宮寺さんにとりなしていただけて」
「それはよかった。お役に立てたなら何よりでした」
深々と下げられた頭の中央に位置するつむじを眺めて尋道が考えるのは、この角度こそ、孝子に対する基佳の傾倒の証左なのだろう、ということだった。勝負所での攻め手に使える、とも計算している。いけしゃあしゃあと答礼しておいて、鉄面皮ぶりでは人後に落ちない彼なのである。
「さて。早速、始めますか。場所は、どうします?」
「会議室を取ってるんで、そこで」
引き連れられて、尋道は社屋三階の小会議室に入った。小春日和の日差しが明るく入り込む室内は、ちょっとうだるような温度となっていた。
「うわ。暑い。今日は暖かいから、暖房、必要ないかも、ぐらいに思ってたら。冷房に変えましょうか?」
「お構いなく」
「わかりました。あ、失礼しますね」
基佳はスーツのジャケットを脱ぐと、部屋の中央に配されたワークデスクの空いた席に、丸めて放った。
「すみません。こんな用意しかなくて」
続けて基佳は尋道に席を勧めつつ、ワークデスクの上にあらかじめ用意してあったコーヒーセットの配膳に取り掛かる。
「ただ、コーヒーも、茶菓子も、お父さんが用意してくれたものだから、おいしいはず」
基佳の父、島津氏は、フレンチレストランのオーナーシェフだ。
「いいですね」
いずれにも食指が動く尋道ではなかったが、わざわざ口外する必要はなかった。おざなりに受け流す傍ら、持参のバッグをあさって、面談の準備を進めていく。
「まずは条件なんですが」
双方の準備が整い、ワークデスクを挟んで二人は相対した。
「はい」
「零細企業と重工グループの舞浜ケーブルテレビさんとでは、天と地ほども待遇が違うでしょう。その点は、お含み置きいただきたい。詳細はこちらに」
「そこは問題じゃないので大丈夫です」
渡されたクリアファイルを基佳は、丁重に、脇によけた。
「何はともあれ現場においでになられたい、ということでしたね。ご希望については、最大限、考慮しますが、ない袖は振れません。無制限に、とはいかない。なので、こういうのは、いかがでしょう。カラーズが抱えるアスリートたちの現場へは、出します。それ以外の、カラーズに関係ないジャンルの現場に関しては、あなたの切り取り次第て」
「例えば、どういう?」
「例えば、バレーボール、ですか。現状のカラーズとは縁もゆかりもないスポーツですね。そういったあたりについては、種銭ぐらい出しますけど、そこからの展開は、個人の裁量で頑張っていただきたい。その代わり、やれどこそこの媒体に寄稿した、とかで発生した報酬は、あなたの総取りで構いません」
「いえ、そこは、カラーズの一員になる以上、きちんと会社の売り上げになるようにします。個人の裁量で頑張れ、の部分だけ頂戴します」
「そうですか。あなたのよいように。では、条件については、おおむね合意をいただけたようですので」
次、だ。
「カラーズの社是についてです。実は、これ、明文化されたものではなく、僕が勝手に吹いているだけなんですがね」
神宮寺孝子は絶対。彼女を掣肘するがごとき行為は認めない。そもカラーズとは、なんぞや。神宮寺孝子のカリスマが引き寄せたもろもろを運用することで躍進した企業ではないか。そんな原動力の所業に対して、とやかく言うなど、言語道断といえる。盲従でいい。
「ただ、ね。僕の考えというのが、なかなか理解されなくて。わかるんですよ。一般的な価値観に当てはめれば、あの人は非常識だし、僕も非常識だし。つい、苦言、忠言、したくなる気持ちも。ですがね」
孝子のカリスマは、それら見当を超えている、と尋道はみている。まさに周囲は、見当違い、をしているのだ。
「カラーズさんの躍進は、普通に考えたら異常ですしね。何か、ないと説明できない。その、何か、を郷本君は、神宮寺さんのカリスマ、と考えているわけでしょう。私も同意です。持っている人ですよね。神宮寺さん」
「いいですね。我々、話が合うじゃないですか」
先ほどの深甚なる謝意の表明といい、基佳の孝子に対する敬愛の念は、いよいよ本物といってよい。同志たり得る、と尋道は感じた。一気に攻めるべきだろう。
「どうでしょう。その指向を堅持する、と確約していただけるなら、僕は小早川さんを神宮寺さんの最側近に推しますが」
基佳が目を見張った。
「え。郷本君は!? 斎藤さんだっているし」
「僕は暗躍したいので。斎藤さんは、一人のときはいいのですが、もう一人いたりすると、人がいいから、そちらを、ついフォローしちゃったりとかで、神宮寺さんを不機嫌にさせてしまう」
常に孝子本位でいい。これこそ、カラーズ繁栄の規範になる。
「神宮寺さんのためにも、手を組みませんか」
「やります。やらせてください」
力強い誓約の声だった。最側近の殺し文句は存分に効力を発揮したようである。ここまでは、よし。さらに、もう一押し。男の頭脳は回転を続ける。




