第七六七話 花咲人(三二)
何度かあった人前で歌う機会は、そのほとんどが、頼まれたため、であった。しかし、今回は違った。恩師の華燭の典に際して、自ら買って出た余興だ。意気込みが違う。当然、出来栄えも違う。孝子会心の歌唱といえた。
それは、いい。歌い終われば、過ぎた話となる。スタンディングオベーションにカーテシーで応じながら考えるのは、須之内景を、いかに引き立てるか、だった。退場していく剣崎、関を見送った際に、ちらりと顔を見せた尋道が、断定的にうなずいていた。準備は万端なのだろう。
「耳福、という言葉が存在するのか、寡聞にして存じませんが、まあ、そんな感じでしたね」
さらに盛り上げつつ、続ける。
「ところで、寄席の知識がおありの方でしたら、お気付きだったかと思いますが、小早川、奥村、佐伯たちのメッセージを、私は、前座、と言いました。さて。前座の次は?」
耳に手を当てれば、いずこからか、二ツ目、と返ってくる。
「ご名答。なんと私は二ツ目だったのです。恐るべし、新婦。私ほどの者を二ツ目に控えさせるぐらい層の厚い教え子を抱えているなんて。教師歴二〇年はだてじゃない」
「ばかやろう! まだ一三年目だ!」
「二捨三入したら大差ないですよ」
妙な造語で抗議の声を一蹴して場内を沸かせる。
「先ほどの紹介でもありましたように、新婦はバスケの人です。真打の教え子も、やはり、バスケの子です。いるんですよ。高校から始めたバスケで、新婦の指導よろしきを得て、ユニバースのゴールドメダリストにまで駆け上った、須之内景、って真打が」
ここで孝子は、はて、と言って首をかしげてみせた。
「そんな子が、なぜに余興の時間に登場するのでしょう。これには訳がありまして。須之内が、ぜひぜひ呼んで、と熱望していたところに、新婦、無情の宣告ですよ。私の式があるころはバスケのハイシーズンさ。まさに、当日、試合があるな。バスケ優先。式には呼びません、と。しょんぼりした須之内は、私に言ってきましたよ。なんとかなりませんか、と」
孝子、右に、左に、と立ち位置を変えて一人芝居を行う。
「いい考えがある。バスケだけじゃないけど、リードした試合って、主力をベンチに下げることがあるじゃない?」
「はい」
「試合の序盤に大量リードして、そのまま抜け出してこいよ」
「そうしたら今度は、最後まで応援しろ、って言われますよー」
「私のアイデアにけちを付けるのか」
「わかりました! そうします!」
孝子はグランドピアノ脇の入口を示した。
「悪い先輩にそそのかされて、やって参りました。ゴールドメダリスト、須之内景!」
万雷の拍手の中に、ひょこっと現れた景は、紺のジャケットと白のパンツといういでたちだ。
「なんだっけ。見たことがあるような格好だけど」
迎え入れた孝子は、景の腰を抱いて問うた。
「ユニバースの時の、選手団のスーツです」
「おお。長沢先生の指導のたまものだね。さあ。とくとお祝いを言うがよい」
マイクを渡そうとすると景が引いた。
「どうした」
「いえ。あの、お姉さんの後だと恥ずかしくて」
「はあ? 私が恥ずかしいだと?」
「違います。ほら。今のやりとりだけでも、ものすごい盛り上がってるじゃないですか。私には無理ですよ」
「盛り上げたらいいってわけでもないけどな」
と孝子はあきれてみせたものの、確かに自分と同じ業、景には無理だろう。それに、つまらぬやりとりを続けて披露宴を間延びさせるわけにもいかぬ。
「まあ、いいや。そうだ。この格好にちなんだプレゼントがある、って聞いているよ。それだけお贈りして、お開きにしようか。よし。行けい」
つと景が長沢の元に寄った。途端に長沢が血相を変える。
「はい。おとなしくなさい!」
孝子、一喝だ。
「須之内は、あなたの意向を甘んじて受け入れ、今日の参列を遠慮しました。ならば、今度は、あなたが甘んじる番です。それだけ慕われた、という事実を誇って、堂々と受け取りましょう。ユニバースのゴールドメダルを」
式場に、この日一番の歓声が起こった。




