第七六六話 花咲人(三一)
さて、と孝子が片手を上げた。ぴたりと式場の音がやんだ。注目を一身に引き受けて、仕切る女の次の手は、いかに。
「先生。席にお着きくださいな。ついに私の出番ですよ。前座どもが温められなかった空気を、一気に高めます。なんといっても、この日のために大枚はたいてゲストを呼びました。芸能人。で、出し物は『花咲人』。人数は二人。とくれば、もう」
何が、もう、なのだろう。世事に疎い静にはわからぬが、周囲は大変な盛り上がりをみせる。みさとに尋ねようにも、うまい、うまい、と連発する彼女の眼中に静など映らない様子である。
「待った。ちょっと待った」
マイク越しの声は関隆一だ。グランドピアノ脇の入り口から剣崎と共に姿を見せた。
「神宮寺さん。今のあおりはよくないよ。皆さん、明らかに勘違いされてるよね」
「え。あなたたち、芸能人でしょう。後ろの人も。『花咲人』のソングライター、関隆一氏と、アレンジャーの剣崎龍雅氏。『花咲人』といえば、の二人じゃない」
「いや。普通、あんなふうにあおったら、幹士さんと由比の名前が真っ先に出てくるよ?」
推測するに『花咲人』を歌っている人たちか。確認しようにも、みさとは孝子たちの寸劇に夢中で、後、後、と取り合ってくれぬ。
「ここまでの私の仕切りっぷりを見た上で、その結論に至ったのなら、甘ちゃんですなあ、としか言いようがない」
「なんてことを。長沢さん。どうなっているんですか。あなたの教え子は」
その場にとどまっていた長沢は、マイクを向けられて、苦笑する。
「いえ。本当に。なんと申し上げていいやら。初めて会った時は、すごい、私のクラスにお嬢がいる、って驚いた――痛い」
孝子に尻をたたかれたのである。
「長沢先生。席に着いて。始めますよ」
「はいはい」
長沢が高砂に戻ったところで、三人の視線がかち合う。
「余興の前に、ご挨拶とお祝いを申し述べたいんだけど」
「三〇秒でいい?」
「善処しよう。では、改めまして。正治さん。美馬さん。そして、ご両家の皆さま。ご結婚、おめでとうございます。ただいま、紹介されたような、ないようなの関隆一です」
「同じく、剣崎龍雅です。さて、今回、我々がこのおめでたい席にはせ参じた理由ですが、ある日、仕事仲間の神宮寺さんから、話がある、と」
「恩師の披露宴で余興をする。ついては君たちの曲で、おめでたくて、かつ、有名なやつを教えなさい、と」
「なかったんだよね。使えないやつらだ」
孝子のちゃちゃが入る。
「ええ。そのとおりで、適当な曲がなかったわけなんですが、すると、神宮寺さんが、言うんですね。では、一一月までに、おめでたい曲を当てろ、と。誰でも知ってるぐらいの大当たりにしろ、と。マイナーな曲を歌われたって恩師も困るんでな、と」
場内に同時多発で起きたため息が地鳴りのようである。
「無茶振りは、能力への信頼、と受け取って、やりましたよ。で、書き上げた『花咲人』。持っていったら、まあ、怒られた。史上最大級の叱責を食らいましたね。なぜ、デュエットなんだ。一人で歌えないものを、どうしろと、と。これは、当てることに注力し過ぎて、披露するシチュエーションを計算に入れていなかった私どもがいけなかった。というわけで、デュエットのパートナーと伴奏を務めにやってきた次第であります。なお、かような事情でありますので、先ほど、神宮寺さんは、大枚はたいて、とおっしゃっていましたが、我々、自費にて那古野入りして――痛いな、君」
今度、餌食になったのは関だった。
「いつまでしゃべってるんですか。三〇秒はとっくに過ぎましたよ」
「オーケー。やりましょう。それでは、お聞きください。この日、この時、この場所で披露するために作られた『花咲人』。正治さんと美馬さんに捧げます」
三人が配置に就いた。掛け合いから続く笑顔は変わらぬものの、その性質は確かに変わった。波及した鋭気が場内を圧していく。
ついに孝子の出番だ。




