第七六四話 花咲人(二九)
いよいよ長沢美馬と松波正治の披露宴が開宴する。受付を済ませて式場に入るや、静は息をのんだ。広い。白亜の式場は、あまりにも広い。最も目立つ最奥のスクリーンは、ちょっとした映画館並みだ。その右手に鎮座するグランドピアノは余興で使うものか。配された円卓は、いくつある。それぞれ八人掛けなので、と勘定しているところに後ろから声が来た。
「立ち止まるな」
孝子の叱声だった。慌てて静は小走りに動く。
「そっちじゃない。新婦側は、大抵、右だ。世間知らず」
「お姉ちゃんだって世間知らずでしょう」
赤面しつつ静は抗議した。
「あのおばさまに娘として遇されてきて、世間知らずなわけないでしょう」
静の母、美幸は、お堅い人だ。その、お堅い人に、養女として、よく伺候してきた孝子の弁には説得力がある。
「ナミスケもそうだけど、君たちはおばさまの言うことを聞かな過ぎなんだよ。この親不孝者。不良娘」
「那美ちゃんはともかく、静ちゃんは、そんなことないでしょ?」
みさとが中に入ってきた。
「あるよ。この子たち、家事とか、さっぱりだもん。しっかり教えを受けてきた私の腕前は、斎藤さんも知っているはずさ」
「静ちゃんたちにだって都合はあっただろうし」
「はあ? 私には都合がなかった、とても言いたいのか、てめえは」
とんだ猛攻が始まった。
「いや、そういうわけじゃ」
「下手にかばって、かえって事態を悪化させる。斎藤みさとともあろう人が、なんたる悪手を。情けない。引っ込んでいてください」
いつの間にかやってきていた尋道だ。
「何をしに来たの」
「最終の打ち合わせを、と思いまして。おや。華やかですね」
青、緑、赤、と着飾った三人娘のパーティードレスについて尋道は感嘆したのだ、と思いきや、
「馬子にも衣装とは、よく言ったものです」
余計な感想も付いてきた。
「誰が、馬子、だ。このやろう」
「そうそう。席次表は見ました? 新郎側、一五〇人ぐらいいますね。さすが、親は地元の名士、子は大企業のホープだ」
「長沢先生のほうは、二〇人、ぐらい?」
妙手を見た。二段階の折衝で尋道は孝子の攻勢をそいだのだ。おとなしくなった義姉は席次表に目を落としている。
「ええ。遠隔地なので付き合いの深い人しか呼ばなかったのでしょう」
「結構な差だね」
「教え子たちによる余興タイムで、この程度のアウェー戦はひっくり返せますよ」
「うん」
「高遠さんから連絡がありました。予定どおりの便に乗れたそうです。あとは、お任せしました」
「任された」
言うだけ言って立ち去ろうとするブラックスーツの背中を、みさとの慨嘆が追った。
「くそう。悔しいな。今の業」
称したのは孝子を懐柔した尋道の手練になる。
「お人好しと詐欺師の差だな」
振り返った尋道が孝子を見やってくる。
「お褒めにあずかりまして」
「そう。悪口と見せ掛けて、君の見識を褒めているのだよ」
「それは、どうも」
言い残し、改めて尋道は去っていった。
「ねえ。お姉ちゃん」
「何」
「景って、今日は、試合があるから来られない、って話だったのに。結局、どうなるの?」
「そもそもの認識が間違っているよ。須之ちゃんだけじゃなくて、バスケの子たちには、来ちゃいけない、だったでしょう」
そうだ。冬にピークシーズンを迎えるバスケットボールにおいて、この時期の週末は試合の予定で詰まっている。自分の華燭の典は私用であり、教え子たちの試合は公用である、とした長沢によって参列を望む声は厳に戒められていたのであった。
「景、サボったの?」
「サボるなら、ぎりぎりの時間に来るわけないでしょう。もうちょっと頭を使え。まずは席に着こう」
二〇人強しかいない新婦側とあって、三人娘は主賓席の隣という上席を振り当てられていた。
「よかったね。高砂のすぐ近くだよ。普通だったら、もう少し後ろに回されそうなものだけど、ここなら先生がよく見える」
「たかさご?」
いらぬ発言だったようだ。孝子は眉間にしわを寄せている。
「無知」
「まあまあ。知らないんだったら仕方ないじゃん」
義姉は、そうは思わない、らしい。静とみさとから外れた視線は、披露宴の間中、ついに戻ってこなかった。




