第七五八話 花咲人(二三)
四年と五カ月。孝子が学生協同組合北ショップにて勤めた期間である。
四年と五カ月。孝子と風谷涼子、斯波遼太郎が出会ってからの期間でもある。
が、それも、今日まで、となる。なぜなら、北ショップでの勤務は、この日をもって終了するが、二人との友誼は以後も継続していくためだ。よって孝子に、最後、の悲壮感は、ない。
「ちょっとだけ心配していたんだけどな」
レジに立つ孝子に、背後から声が掛かった。業務日誌を執筆中の涼子だ。
「何をです?」
「おセンチになってたら、どうしよう、って。ほら。意外に、うぶなところもあるじゃない、小娘」
「斯波さんとのことを突っつくと、真っ赤になる人に言われたくないな」
ふん、と涼子が鼻を鳴らした。様子が、おかしい。いつもであれば混ぜ返すと、即、乗っかってくるのだが。
「残念だったね、小娘。もう赤くなる必要もないのさ」
「え。振られたんですか?」
そんなはずない、と確信した上での軽口であった。
「逆」
「じゃあ、入籍!」
「うむ」
孝子、狂喜だ。
「前も言ったけど、なんで、そんなに喜んでくれるのかね」
「お二人が大好きだからですよ。式は? 式は、いつ? 私、余興を請け負いますよ」
「ああ。やんない」
「ええー」
「向こうでは何かと物入りだろうしね。無駄遣いはしてられないよ」
「えええー」
「その代わり、でもないけど、孝ちゃんには、別のことを請け負ってほしいな」
「なんでしょう?」
「一応、斯波さんと一緒に、ね。お食事会で、お願いするよ」
いくらつついても涼子が口を割らないので、仕方なく、孝子は業務に精励する。
やがて閉店間際となって斯波が北ショップに現れた。
「斯波さん。私に何を請け負わせるんですか」
「え?」
一足飛びの質疑に斯波は固まっている。この後、二人が開催してくれる慰労会で、と涼子は言っていたが、待つことのできる孝子ではない。
「ああ。もう。本当にせっかちな子。あと一時間ぐらい待てないの? 斯波さん。婚姻届」
「それか。孝ちゃん。婚姻届の証人になってよ。涼ちゃん」
「駄目」
手を伸ばした斯波を、涼子はぴしゃりとはねつけた。
「後。閉店してから」
「ええええー」
ぶつぶつ涼子を攻撃しているうちに時間は過ぎた。待ちに待った閉店だ。両手を差し出して迫る。
「涼子さん。婚姻届」
「はいはい」
手渡されたのはA3判の用紙になる。
「私、初めて見ました。意外と大きいんですね」
「うん。私も初めてだけど、驚いた」
「本当は、向こうに行った時に、一遍にやるほうが繁多にならなくていいんだけど、出会いの地で出したくてね。南の区役所で出すよ」
うなずきつつ、孝子は婚姻届に、ざっと目を通した。父母欄に、母親、友梨香氏の名しかない斯波の側、久義氏と真希子氏の名がある涼子の側、そして、二人が必要とされる証人の、もう一方の人物。
「お。剣崎さんじゃーん」
「うん。別に、新郎側、新婦側、ってわけでもないんだけど、なんとなくそうなったね。あ。印鑑は任意なんで、いいよ」
そう言う割には他の三人、しっかりと署名捺印済みだ。
「一人だけ印鑑なしなんて、嫌ですよ。どうしよう。明日、印鑑を持って、また来ようかな」
あるいは、大急ぎで帰宅し、印鑑を持って、再度、二人と合流するという手もある。
「慰労会って、どちらでやっていただけるんですか?」
「『英』さんで」
すしの名店「英」は官庁街にある。鶴ヶ丘の片田舎まで引っ込んで、そこから中心部の官庁街か。一時間はみておかねばなるまい。一方、直接、「英」に向かう二人は、三〇分もあれば到着するだろう。主賓のくせに、三〇分以上の遅刻とは、とんでもなかった。
「どうしたのさ、孝ちゃん。考え込んで」
「いえ。いったん家に戻って、印鑑を持ってこようか、とか考えて」
「いいよ。急がなくて。これ、預けるから、明日、持ってきてよ。いいでしょう?」
涼子が微笑んでいる。
「もちろん。ついでに、その時、お昼をご一緒しよう。そうしよう」
斯波も微笑んでいる。
それは、とても魅力的な提案だったことである。




