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未知標  作者: 一族
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第七五五話 花咲人(二〇)

 神奈川舞姫が開幕戦を戦う相手はナジコハミングバードだ。昨シーズンの第一位と第二位が、いきなり顔を合わせるとは、まずい差配を、と孝子が考えたのもつかの間である。どうせ見ないのだし、どうでもよい。試合に備えた早出の静たちを見送った直後に、バスケットボールのことは忘れる。

 朝の家事を終えた孝子が、一心に電子オルガンに向かっていた時だった。右の足首あたりを、ちょいとつつかれた。ロンドだ。

「何、犬」

 呼び掛けると、ロンドは、すたすた扉のほうへと歩いていく。外に出たいらしい。

「ほれ」

 ところが、扉を開けてもロンドは部屋の外に行かない。孝子の周りを回るばかりである。

「何。一緒に来てほしいの」

 図星だったようで、周回の速度が上がる。では、どこまで、というと、どうやらロンドは、屋外を目指しているようなのだ。散歩嫌いの室内犬めが何を望むのか。ロンドに首輪を付け、リードを接続し、先導させてみる。

 尻尾を振り振り、ロンドが向かったのは、郷本尋道の自宅であった。折しも彼氏、玄関を出たところで、孝子とロンドの登場に、ぎょっとしている。

「おはようございます。お散歩ですか」

「おはよう。いや。ここに来たかったみたい」

「ほう」

 なぜか尋道は頬を膨らませる。

「ロン君。僕を売ったんですか」

「なんの話?」

 抱え上げたロンドとのスキンシップを楽しんでいる尋道に問う。

「納車、今日なんですよ」

 納車とは、尋道が買った、というか、孝子が買わせたキャンピングカーの、か。

「なんで教えてくれないの!」

「教えたら、付いてくるでしょう?」

「当たり前じゃない」

「普通の車ではないので、説明やら、じっくり聞きたいと思いましてね」

 孝子がいると、やれ出せ、すぐ出せ、うんぬんで、うるさいだろう。そう読んだ、そうな。

「私をなんだと思ってるの」

「常軌を逸した短気者です。で、どうされます? やっぱり、いらっしゃいますか?」

「迷惑そうだね」

「はい」

「よし。行く。待ってて。犬を置いてくる」

「なんで、そんなかわいそうなことをするんですか」

「新車でしょう。遠慮してるんだよ」

「構いません。では、行きましょう」

 ロンドのリードを尋道に預け、孝子は前のめりで歩く。はるかに先行して尋道がキャンピングカーを注文したディーラー、神奈川タカスカーズ鶴ヶ丘店に乗り込むと、あった。白いキャンピングカーがとまっていた。トラックをベースにした車両だが、所々の黒の差し色が、素性にはない精悍さを醸している。これは、よい。実に、よい。

「あ。社長さん」

 孝子に近づいてきたスーツの中年男は、確か、小菅、といったか。尋道の担当営業だ。

「おはようございます。いらっしゃいませ。郷本さんは?」

「うれし楽しの納車日なのに、全然、気合いが入ってなくて。のろのろしてます」

「あなたが浮かれ過ぎなんですよ」

 声に振り返ると、一人と一匹が、ようやくの到着である。

「おや。郷本さんのわんちゃんですか?」

「いえ。そちらの。小菅さん。鍵を開けていただけますか。社長。僕は手続きを済ませてきますので、中で待っていてください」

「あいよ」

 尋道と小菅が行ったところで、孝子は改めてキャンピングカーへと向き直った。荷台部分の左側面にぽっかり開いた左勝手から車内をのぞく。目に飛び込んできたのはベージュを基調とした内装だった。

「犬。中に入ろう」

 抱え上げたロンドを、まず車内に放ち、追って孝子も乗り込む。二段の階段は、おきゃんに飛ばしていく。

 入った正面に据えられているのは四人掛けのダイニングセットだ。畳めばダブルベッドになるそれは、昇降口の上と左右に配されたエアコン、冷蔵庫、ミニキッチンらと合わせて、極小ながらLDK兼BRを構成している。大したものといえた。

 そこからぐるりと見回せば、前席へのウオークスルー上にはベッドとしても使える屋根裏の収納空間、後部にある二枚の扉は向かって左側がトイレで最奥がウオークインの荷室であることは注文書で承知の上だ。全く大したものといえた。

「いいじゃない。お出掛けするときは犬も一緒に行こうね。はい。じゃれない」

 大喜びでまとわりついてくるロンドをあしらって、孝子、最後に操作系の吟味をするべく動く。

「うん」

 運転席に収まり、ハンドル、シフトレバー、アクセルペダル、クラッチペダルと両手両足を配して、孝子はうめいた。ボンネットがない視界に、戸惑う。タイヤの真上に座るような着座位置に、戸惑う。ハンドルが随分と寝ていて、戸惑う。インストゥルメントパネルにあるシフトレバーも、ついぞ触ったことのない高さで、戸惑う。極め付きは、ルームミラーがデジタルミラーと気付いて、戸惑う。なれるためには実地しかない。疾く運転したい。疾く、疾くに、だ。

 ディーラーの建物に目をやった。窓際の席では尋道が小菅セールスと商談の真っ最中だった。

「まだやっていやがる。あのやろう。遅いんだよ」

 クラクションを鳴らしてやった。気付いた尋道が、右手の手のひらを広げてきた。五分、か。

「仕方ない。待ってやる」

 偉そうに、何をほざいていることか。納車の儀に孝子を関わらせようとしなかった尋道の判断は、誠に適切であった、と称さざるを得ない始末といえた。はた迷惑な女である。

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