第七五三話 花咲人(一八)
日本リーグの開幕が目前に迫った一〇月の中日は、同時に、カラーズの新米、静の入社三日目でもある。この日も静、指導の名目で舞姫館に顔を出した尋道の下、みっしり鍛えられていた。
「ぼちぼち上がってください」
それは、じきに舞姫の練習が始まろうという午後遅くだった。尋道の声が掛かり、静は、ほっと一息をついた。
「はい」
カラーズでは先輩となる祥子と語らいつつの後片付けも済み、静は退勤のあいさつをするべく尋道に近づいた。
と、電話だ。スマートフォンを取り出した尋道は、ジェスチャーで、行ってくれ、と静たちに向かって右手を振った。静はうなずき、尋道に背を向け、歩みだす。
「ええ?」
そこへ聞こえてきた、らしくないすっとんきょうな声に、思わず静は振り返っていた。
「はあ。なるほど。わかりました。参列は、させていただきますが、名前は、まだ仮で、お願いできますか。他に心当たりが、ないでもないので。え? 例えば、高遠さんとか。彼女は、もう舞姫ではないので、行けますよ」
参列、という単語。いきなり出てきた祥子の名前。いったい、何が起きているのか。
「ええ。いえ、今日中に確定させます。はい。では、夜にでも。はい。失礼します」
通話を終えた尋道の顔に浮かんでいるのは、この上ない憤まんだった。
「郷本さん」
返事はない。
「郷本さん」
今度は、祥子だ。
「私、行きたいです」
何事の出来か、祥子は理解しているらしい。
「行ってくれますか。せっかくのお休みに申し訳ないのですが」
「いいえ。教え子として当然です。それに、私、披露宴って、出たことないので、すごく楽しみです」
「サチ。披露宴って、誰の?」
「先輩。鈍過ぎます。長沢先生の披露宴です。多分、キャンセルがあって、郷本さんに参列のお誘いがあったんですよね。でも、郷本さんは裏方仕事があるので、私の名前を出した、と」
キャンセルと聞いて、静の脳裏に浮かんだのは麻弥だった。この予想に、よもや外れはあるまい。とすれば、麻弥がキャンセルに至った一因といっていい自分が、名乗りを上げぬわけにはいかなかった。
「郷本さん! 私に行かせてください!」
静は祥子を押しのけて尋道に迫った。
「静さんが気にされることはないんですよ」
穏やかなまなざしと口調。この反応は、やはり、と静はがくぜんとした。
「と言ったところで、はい、そうですか、と割り切れるお人柄でもないでしょうが。高遠さん。ちょっと」
祥子を引き連れて舞姫島に向かった尋道は、中村と井幡を交えて何やら談合を始めた。五分ほど続いた後に出された声明は、以下となる。
「静さん。参列していただきましょう。日本リーグには、明文化された慶弔休暇の規定みたいなものはなくて、ケースバイケースになるようですね。というわけで、井幡さんに申請をお願いしました。とやかく言われたらときは、カラーズが受けて立つので、安心して参列してください」
黙してうなずく。失態続きの昨今だ。せめて麻弥の代役は立派にやり遂げねばならない。
決意に打ち震える時間はつかの間だった。舞姫島から戻ってきた祥子に体当たりを食らわされる。
「な、何、サチ」
「先輩。私、披露宴に出席したことない、って言いましたよね。せっかくの機会を邪魔していただいて、ありがとうございます」
中村らと共に事情を聞かされたはずの祥子だ。静の悔恨を和らげるために茶化してきた、とみた。
「サチの押しが弱かったんだよ」
「なんて言い草ですか」
再度の体当たりが静に炸裂した。
「痛い、って。サチ」
「まあまあ。高遠さん。あなたには、別のミッションを授けますので」
「わかりました。謹んで拝命します」
即答に、尋道はわずかに目を見張った。
「察しがいいですね。いよいよカラーズに染まってきたようだ」
「それは、もう。上司のしつけのたまものです」
「皮肉の切れ味も鋭い。そちら方面には染まらなくていいのに」
「サチ。なんの話?」
「新入りには教えません」
「あなたは、あなたのことだけ、考えていればいいんです。礼服って、お持ちですか? アスリートは服のサイズで苦労しがち、と聞きますよ。あつらえる可能性も考慮して、早めに動くべきでしょうね」
「あ。先輩。服、選ぶ時、誘ってくださいよ。礼服なんて見る機会ないし、見てみたいんです」
話のすり替わりは、かくも見事であり、上司と部下の連携に、つけいる隙は見当たらなかった。




