死の3時間
眠っていた。
深く、夢も見ない眠りだった。
そして、カウントダウンは終わった。
【SYSTEM】
デイリークエスト「力の増強に努めよ」
結果:失敗
罰則を執行します。
その画面を、俺は見ていなかった。
まだ眠りの底にいた俺の体を、ベッドの振動が揺さぶり始めた。
ベッド脇の点滴スタンドが激しく揺れる。窓が、枠の中でガタガタと鳴った。
飛び起きた。
「な、なんだ!?」
地震か?
考えている暇はなかった。
照明が、一斉に消えた。
そして闇が、部屋ごと俺を呑み込んだ。
▽
湿気。
濡れた土と、腐った落ち葉の臭い。
目を開けた。
木々。
見上げても空の見えない巨木の幹が、何本もそびえている。枝の隙間から、薄暗い光がわずかに漏れていた。
「森……?」
冷たい地面に座り込んでいた。手には、泥がべっとりと張りついている。
「どういうことだ? 夢か? さっきまで病院にいたはずだろ……?」
いや。
泥の感触は本物だ。
この冷たさも、本物だ。
そのとき、何かを感じた。
首筋に、生温かい息。
ゆっくりと。
重く。
体が凍りついた。
じりじりと、首を回す。
背後を覆う、巨大な影。
そして、こちらをじっと見据える二つの黄色い瞳。
虎だ。
これまで見たどんな虎よりもでかい。口から長い牙が垂れ下がり、その先から緑色の液体が滴って、足元の草を焼いていた。
【SYSTEM】
対象:毒牙の森虎
続けて、別の画面が目の前に現れた。
【SYSTEM】
罰則クエスト:生存
目標:3時間、生き延びよ
残り時間:02:59:59
カウントダウンが、始まった。
「嘘だろ……」
声が震えた。
「こんなの、ありえない!」
虎が、低く唸った。
▽
その頃、病院では。
一人の看護師が、病室のドアを開けた。患者の様子を確認するために。
ベッドは、空だった。
布団は脇にめくれ、枕にはまだ頭の跡が残っている。
「……?」
廊下から、もう一人の看護師がやってきた。
「どうしたの?」
「この部屋の患者さんが……いないの」
▽
走っていた。
全力で。
枝が顔を打ち、石が裸足の足裏を裂く。叫び声が、自分の意思とは関係なく口から漏れていた。
背後で、疲れ知らずの爪が地面を揺らしている。
目の前に浮かぶ画面に目をやった。
【SYSTEM】
残り時間:01:02:37
「一時間……くらい……」
一時間。
肺に空気が残っていたら、笑っていたかもしれない。
病院では、二人の看護師が全階、全廊下、全部屋を捜し回っていた。
誰も、見つからない。
▽
肺が燃えている。
比喩じゃない。
息を吸うたびに炭火が流れ込んでくるようで、吐くたびに血の味が混じった。
涙が、止まらない。
「もう……無理だ……」
自分に言ったのか、誰かに言ったのか。
誰も答えなかった。
誰も、透明人間には答えない。
罰則クエストの中でさえ。
【SYSTEM】
残り時間:00:00:10
十秒。
たった、十秒。
あと十秒……。
だが、足はもう何も感じなくなっていた。
突然、目の前に影が滑り込んだ。信じられない速さで。
虎だ。
俺の行く手を、塞いだ。
口が、開いていくのが見えた。
ずらりと並ぶ牙。
緑の液体が顔に滴り落ち、腐った肉の臭いが喉を締め上げる。
9。
8。
動けなかった。
5。
顎が、迫る。
2。
1。
【SYSTEM】
残り時間:00:00:00
▽
体が、硬い地面に叩きつけられた。
タイル。
冷たく。
清潔な。
喘いだ。
数分間水に潜っていた人間が、ようやく水面に出たような呼吸だった。
部屋だ。
病室。
照明はついている。窓は閉まっている。すべてが元の場所にある。
ただ一つ、俺だけを除いて。
両足は泥にまみれ、病院着には千切れた葉っぱが貼りついていた。
【MISSION CLEAR】
罰則クエスト「生存」を達成しました。
報酬を獲得しました。
画面を凝視した。
「罰則……クエスト……?」
最後まで言えなかった。
すべてが、溶けていく。
▽
俺を呑み込む闇の中で、最後の画面がちらりと見えた。
【SYSTEM】
罰則クエスト「生存」の報酬を確認しますか?
はい/いいえ
そして、ドアが開く音が聞こえた。
慌ただしい足音。
「黒崎さん!」
「黒崎さん、大丈夫ですか!?」




