砂の王
長く、歩いた。
通路は枝分かれし、曲がりくねり、時には元の場所へと戻る。もう、道中で倒した魔物の数を数えてもいなかった。すべてが、血と肉と絶叫の単調な繰り返しへと溶けていた。
ついに、洞窟の最奥にたどり着いた。
穴。
深く、暗く、乾いた砂の匂いと、それとは違う何か——下で眠る、生きた何かの気配を放っている。
縁に立った。
「今の俺の力じゃ、この下にいる野郎を倒せない気がする……」
静かに、そう呟いた。
「俺の勘が、そう告げてる」
【STATUS】
レベル:16
職業:なし
称号:なし
HP:1170
MP:240
STR:40
DEF:25
AGI:25
スキルポイント:0
しばらく、その画面を見つめた。
「もう、ここでこれ以上レベルを上げるのは無理っぽいな……無駄な戦闘を続けたら、剣も保たない」
手の中の、ひび割れた剣を見た。
亀裂はもう、刃の半分まで走っている。
「だが……勝てる確率が低くても、進むしかない。ここで引き返しても、結局また同じ壁にぶつかるだけだ」
穴に、飛び込んだ。
▽
落ちた。
落ち続けた。
もう終わらないんじゃないかと思い始めたとき、体がなめらかな砂にぶつかった。熱く、手のひらを焼くほどの砂に。
立ち上がり、服についた砂を払う。
周囲を見渡した。
砂漠だ。
太陽のない、陰鬱な赤い空の下、地平線まで続いている。
「……さっきまで洞窟にいなかったか?」
「それが今度は、砂漠?」
この場所は、俺の知るどんな理屈にも従っていない。
痕跡を探して、辺りを見回す。
「で、ボスはどこだ? ここ、何もないじゃないか」
そのとき、見つけた。
遠くで、砂丘が動いていた。
風のせいじゃない。
その下に、何かがいる。
何か、巨大なものが。
恐ろしい速さで、こちらへ突っ込んできた。
かろうじて避けた——横に跳び、何かが耳元を切り裂く音を聞いた。
カッ。
自分の手を見た。
剣の半分しか、指の間に残っていなかった。
砂の中から、巨大な姿が現れた。
蛇だ。
信じがたいほど巨大で、赤い空の下で燃えるようなオレンジ色に輝いている。
「これだけレベルを上げてきたのに……」
唾を飲み込んだ。
「名前が……『オレンジ』、それだけか?」
【SYSTEM】
対象:砂の王サクサ・オレンジファング
「お前が、この場所のボスってわけか」
その体は、分厚い鱗で覆われていた。金属のように光っている。
「体全体が、鱗で守られてる。剣は効かない」
残った半分の剣を見た。
「それに、素手で戦うのはもっと最悪だ!」
蛇が、襲いかかってきた。
なんとか避け、そして踏み込んで、残った刃で斬りつけた。
耳障りな金属音。
鱗には、傷一つつかなかった。刃のほうが、今にも折れそうに震えている。
「攻撃が速くて、重い」
数歩、後ずさる。息が荒い。
「まずは防御力を削るしかない。だが、この分厚い鱗をどうやって破る?」
距離を取り、向き直った。
「教えてくれよ」
蛇が、裂けた舌を出し、空気を味わう。
「お前も、血を流すのか?」
再び、襲いかかってきた。
走って、必死に避ける。
「流してもらうぜ。約束する」
走っている最中、目の前に突然、尻尾が現れた。巨大な鞭のようにうねりながら。
「もしこれを直撃で食らったら……」
残った剣を構え、防ごうとした。
「……死ぬ」
尻尾が、刃に激突した。
バキッ!
剣が、完全に砕けた。
体が宙に浮き、それから凄まじい勢いで砂に叩きつけられる。
顔面から、熱い砂に突っ込んだ。
息を整える暇もなかった。
蛇が、恐ろしい速さで迫り、再び尻尾で打ちつけてくる。
何度も砂の上を転がり、ようやく止まった。
立ち上がろうとする。
両足が、震えていた。
叫んだ。空へ、何もない赤い空へ向かって。
「どこまで強くなればいいんだよ……」
「こんな惨めな人生から、逃げ出すために」
脳裏に、バラバラな記憶がよぎった。
二年B組。
背後で聞こえる、くすくす笑い。
「透明人間」。
そう呼ばれていた。
短剣が、腹に突き刺さる。
森山の顔。見たことのない笑みを浮かべて。
「弱肉強食ってやつだよ」
立ち上がった。口から、血が垂れる。
蛇が、再び突っ込んできた。
肩から体当たりし、何歩か後ろへよろめいた。
「俺をそう呼んだのは、俺が弱すぎたからだ!」
叫んだ。
「弱いから、見下されたんだ!」
蛇を見据え、口の血を吐き捨てた。
「自分でも、情けないと思うよ」
蛇へ向かって、走り出した。
「強ければ……!」
別の記憶が、押し寄せてきた。
神殿。
女神イリューラ。その穏やかで、残酷な笑み。
結晶。
数字。
S、S、S。
A、A。
そして——黒。淡く、無視された光。
篠宮が、ためらいながらも、それを実行する。
天野姉妹が、同時に刺してくる。表情ひとつ変えずに。
桜井が、静かに謝ってから、短剣を突き立てる。
「もし圧倒的な力を持っていたら……」
また一撃を避けた。
「俺は、誰にも倒せない存在になれたはずだ」
「だが、弱者は……」
肩に軽い一撃を受け、痛みに叫びながらも、立ち続けた。
「……強者の前では、無力だ。弱者にできることは、恐怖に震えながら立ち尽くすことだけ」
「賢くても、頭が良くても、他人に優しくても……弱いというだけで、見下される」
新しい何かに燃える目で、蛇を見た。
「強者の前では……瞬きひとつせずに、裏切られる」
「優しさなんて、何の役にも立たない」
蛇の尻尾へと走り、跳びつき、しがみついた。
登り始めた。
頭を目指して。
「だからこそ……俺は強くならなきゃいけない!」
「そのために、俺はここにいるんだ!」
蛇が突然、体をよじり、俺を振り飛ばした。
砂に叩きつけられ、転がり、なんとか立ち上がった。
自分の手を見た。
折れた剣の残骸が、まだそこにあった。もうほとんど役に立たない。
何かが、変わり始めていた。
黒いオーラが、体から立ち上り始めた。最初はかすかに、やがて濃く。
両目が、暗い黒で瞬いた。その光が、目の前の砂に反射する。
「俺は……もっと強くならなきゃいけない!」
蛇が、全身で突っ込んできた。口を、大きく開いて。
叫んだ。
「あの恐怖に比べたら……」
動かなかった。
「……こんな蛇、怖くもなんともない!」
呑み込まれた。
闇、湿気、息の詰まるような酸っぱい臭い。
だが、俺はまだ息をしていた。まだ、意識があった。
その口の中で。
「全部の能力ポイントを、筋力に振ったんだ!」
内側から、叫んだ。
両手を上げ、上顎を全力で押し上げる。
蛇が、のたうち始めた。痛みに悲鳴を上げ、口を閉じようと必死にもがく。
「今の俺の力なら……」
押し続ける。腕の血管が、浮き上がっていく。
「今の俺の力なら、この両手でお前を殺せる!」
「死ね! 死ねよ!」
自分でも知らない声で、叫んだ。
「死ねぇぇぇ!」
バキッ。
骨が砕ける音。
蛇の顎が、完全に裂けた。
凄まじい悲鳴が砂漠を切り裂き、巨体が砂の上に崩れ落ちる。のたうちながら、黒い血が噴水のように噴き出した。
そして、動かなくなった。
砂の上に倒れ込み、荒い息をつく。血が——蛇のものか、自分のものか、もう分からなかった——全身を覆っていた。
【SYSTEM】 レベルが上がりました。
【SYSTEM】 レベルが上がりました。
【SYSTEM】 レベルが上がりました。
仰向けに倒れたまま、疲れきった笑みを浮かべ、赤い空を見上げた。
「どうやら……少しは強くなれたみたいだな」
【SYSTEM】
砂の王サクサ・オレンジファングを討伐しました。
立ち上がった。体が、ふらついた。
「まあ、これのおかげで、いいものが手に入ったな」
砂の中、死体のそばで、何かが光っていた。
拾い上げる。
オレンジ色の短剣。恐ろしいほど鋭い刃を持っていた。
「これ、骨じゃなくて牙から作られてるのか?」
【アイテム入手】
『サクサの毒牙』
種別:短剣
入手難度:Cランク
攻撃力 +30%
麻痺効果:対象を一定時間、行動不能にする
感心しながら、それを見つめた。
そして、その隣に、別の何かを見つけた。
小さな瓶。濃いオレンジ色の液体で満たされている。
【アイテム入手】
『サクサの毒腺』
種別:毒
入手難度:Aランク
サクサの守鱗:物理ダメージ軽減 30%
傷害筋肉:筋力 +25%減少
二度、読み返した。
「短剣と比べると……こっちはかなり物騒な代物だな」
筋力が減少?
「とりあえず、しまっとくか」
画面が、消えた。
そして、別の画面が現れた。最後の一枚。
【SYSTEM】
ボスを討伐したため、元の状態に戻ります。
画面が、徐々に黒く染まっていく。
周囲の砂の世界が、闇に溶け始めた。端から消えていく絵のように。
目を、閉じた。
▽
目を開けた。
白い天井。
白い壁。
「……ダンジョン、終わったのか?」
辺りを見回す。
病室だ。出発したときのままの姿で。
ベッドに倒れ込んだ。疲れきった体の重みすべてを預けて。
「やっと、終わった……」
目を閉じた。
言葉を言い終える前に、深い眠りに落ちていた。




