狼狩り
狼が、吠えた。
長い咆哮が、洞窟の壁を震わせる。
一歩、後ろへ下がった。慎重に。開かれたその口から、目を離せなかった。
「このダンジョンを一人でクリアするなんて、不可能だ……」
自分にそう呟きながら、逃げる体勢を整える。
狼が、飛びかかってきた。
走った。
裸足の足に岩が食い込み、息が胸の中で途切れ途切れになる。
「パーティーもいない。回復役もいない。俺にあるのは……」
頭の横に浮かぶ、黒い画面を見た。
「……このクソ画面だけか」
狼が、突然目の前に跳んだ。
軽く体をひねり、かろうじて爪をかわす。
「魔法の力を持った武器でもあれば……」
ふと、動きが止まった。
目を瞬かせる。
「武器?」
「バカだ、俺は! すっかり忘れてた!」
「倉庫!」
【SYSTEM】
倉庫
[剣]
[回復薬]
迷わず、剣を選んだ。
アイコンが目の前に現れ、淡く光る。
指先が触れた瞬間、それは画面から消えた。
そして——
重みを感じた。
この手の中に。
「……は?」
剣。
本物の剣が、指の間にあった。まるで、最初からそこにあったかのように。
一瞬見つめてから、もう一度画面を見た。
「じゃあ、倉庫の中身を直接手に取り出せるってことか」
【SYSTEM】
取り出しました:『剣』
狼は、考える暇など与えてくれなかった。
再び突っ込んでくる。口を開き、牙をむき出しにして。
叫んだ。
跳びかかってきたその瞬間、両手で剣を構え、振り下ろした。
刃は、ほとんど抵抗もなく体を貫いた。頭から尻尾まで、一直線に。
死体が、両脇に崩れ落ちる。
息が、荒い。
「……できた」
【SYSTEM】
ダークウルフを討伐しました。
【SYSTEM】
レベルが上がりました。
喜ぶ暇もなく、振り返った。
三匹の狼が、赤く光る目でこちらを見据えている。
「武器さえあれば……」
剣の柄を、握り直す。
「……怖いものなんてない」
最初の狼に刺さったままの剣を、引き抜こうとした。
動かない。
力を込める。
「抜けない!」
三匹が、一斉に襲いかかってきた。
もう一度、必死に引く。
「頼む……抜けてくれ!」
最初の狼の牙が首に届く、その寸前——
剣が、狼の体から抜けた。
振り向きざまに、一匹目の首を斬り落とす。
続けて、二匹目。
三匹目に剣を向けたが、その牙が刃を咥え込んだ。
顎の力が、腕全体に伝わってくる。
「……牙は飾りじゃないってわけか」
刃が、じわじわと押し曲げられていく感覚。
「この剣は、まだ手に入れたばかりなんだぞ!」
残った力を振り絞り、足で蹴りつけた。
狼の口から、剣が外れる。
「壊させるかよ!」
剣を、その腹に突き刺した。
最後まで。
崩れ落ちた。
四匹目の狼が、少し離れた場所に立っていた。獰猛な唸り声を上げながら。
一瞬、こちらを見つめる。
そして、身を翻し、暗い通路の奥へと逃げていった。
姿が消えるまで、見送った。
あの逃げ方は、ただの臆病さじゃない気がした。
冷たい地面に座り込み、荒い息を整える。
【STATUS】
レベル:2
HP:270
MP:40
STR:15
DEF:12
AGI:12
スキルポイント:0
「なに、もうレベル2になってるのか」
考えてみる。
「デイリークエストをこなしても、レベルなんて一度も上がらなかった。分かったぞ。これは……実戦だからか」
頬の傷跡に、手を触れた。
見つからない。
完全に治っていた。
「前の傷まで治ってる……」
頭の中で計算する。
「レベルが上がると、全能力値が2ずつ上がる。5つの能力で、合計10ポイント。デイリークエストじゃ3ポイントしかもらえないのに……」
「なら、戦闘でレベルを上げたほうが、断然早い」
拳を見つめた。
「2ポイントずつ上がると、能力ってどう変わるんだろうな……筋力が一番分かりやすい。まだ15ポイントしか振ってないのに、体が明らかに軽くなってる」
「単なる推測だが……基礎能力が高いほど、伸びも大きくなるのかもしれない」
「本当に、強くなれるってことか」
立ち上がった。
「まだ四匹しか倒してないのに……」
剣を、強く握り直す。
「少しはしゃぎすぎたかもな」
【アイテム入手】
『ダークウルフの牙』×1
魔力が結晶化した石。
金銭と交換できるほか、一部の魔法道具の材料として使用できる。
画面から、白い牙を取り出した。
指の間で見つめる。
「妙な現象が、俺の身に起きてるな……」
「もしゲームみたいなシステムに支配されてるんだとしたら……このダンジョンと魔物は、現実のゲートとは違うものなのか?」
別の画面が、新たに現れた。
【SYSTEM】
ショップを発見しました。
「ショップ?」
近づいてみる。
【SYSTEM】
購入
現在のレベルでは購入できるアイテムがありません。
「今のレベルじゃ、何も買えないってことか……」
ため息をつく。
「ショップ機能はあるが、一部のアイテムはレベルでロックされてるらしい」
「まあいい、この牙くらいは売っておくか」
牙が、手の中から消えた。
【SYSTEM】
売却しました。
ゴールド +25
「25ゴールド?」
頭の中で考える。
「これって実際の金と同等なのか? でも、このダンジョンは最低ランクのEクラスらしいし……25ゴールドなんて、たぶん端金だろうな」
地面から剣を拾い上げ、立ち上がった。
「さて……どうする」
「ボスを倒さない限り、ここからは出られない。緊急転移石があれば脱出できそうだが、どこにあるのかも分からない」
腹が、鳴った。
「腹も減ってきたな」
「たとえ最低ランクのダンジョンでも……ボスを一人で倒すなんて、無理に決まってる」
言葉を止めた。
「いや。このペースでレベルが上がり続けるなら……いけるかもしれない」
「もっとも……その前に死ぬ可能性のほうが高いが」
目の前の通路の奥に、視線を向けた。
影が、動いた。
もう一つ。
そして、数十。
逃げたはずの狼が、戻ってきていた。
一匹ではなく。
数十対の赤い目が、闇の中で小さな悪意のようにきらめいている。
剣の柄を、握りしめた。
「……怖くなんかない」
前へ進んだ。
一匹目が突っ込んできて、斬り伏せた。
二匹目、刺し貫いた。
三匹目、四匹目、五匹目……
数えるのをやめた。
「生きてる限り……」
血と土煙の中で、叫んだ。
「持てる力の全部で戦ってやる!」
【SYSTEM】 レベルが上がりました。
【SYSTEM】 レベルが上がりました。
殺し続けた。
「このクソみたいな法則が、俺を強くしてくれるなら……」
もう一匹、斬り倒す。
【SYSTEM】 レベルが上がりました。
「……従ってやるよ。どれだけ理不尽だろうとな!」
【SYSTEM】
称号を獲得しました。
『狼狩り』
時間が、過ぎた。
どれくらいか、分からない。
数分か、もっとか。
ようやく手を止めたとき、剣を持つ手が小刻みに震えていた。
大量の汗が額から流れ、乾いた咳が喉から漏れる。
刃を見た。
細い亀裂が、幾筋も走っている。
「この剣も、そろそろ寿命か……」
息をつく。
「武器なんて、結局は消耗品でしかないってことか」
周囲を見渡した。
黒い死体が、通路を埋め尽くしている。重い静寂だけが残っていた。
「だが……戦闘は、終わったみたいだな」
【称号:狼狩り】
狼系の魔物討伐に長けた者へ贈られる称号。
動物系モンスターと戦闘時:
全ステータス +30%
疲れた笑みが、口元に浮かんだ。
倉庫を開く。
【SYSTEM】
倉庫
ダークウルフの牙 ×30
剣(劣化)×1
旅人の鞄 ×1
緊急転移石 ×1
最後の項目に、視線が止まった。
白い石。その重要さに見合わない、静かな輝き。
「緊急転移石……」
指の間で、転がしてみる。
「手に入れるのは、ほとんど不可能だと思ってたのにな」
長く、見つめた。
「……戻るか?」
目の前に広がる暗い通路へ、視線を上げた。数メートル先で、すべてを闇が呑み込んでいる。
「だが……こんなに簡単に強くなれる機会は、二度とないかもしれない」
「この石を使ったら、このダンジョンはどうなるんだ? 消えるのか?」
「ゲームの期間限定イベントみたいに……跡形もなく、消えてしまうのか?」
少し、考えた。
「どちらにせよ……得体の知れない何かに、俺は駒みたいに操られてる。その手から、逃れられそうにない」
白い石を、もう一度見つめた。
「進むか……それとも、引き返すか」
目を、閉じた。
そして、開いた。
石を倉庫に戻し、使わなかった。
ひび割れた剣を握り直し、通路の奥へと歩き続けた。




