第6話 あちらの世界にあるものを、こちらへ取り寄せることが可能です
北のオフィスビル編 第六話
再び1階のエントランスへと全裸で放り出された。今度は、しっかりと服や荷物も一緒に回収されていた。
慌てて、下着と乾いた服を着る。
「アマノ、魔獣とは?どんなやつだ」
「マスターの世界で言えば、ワニに近いでしょうか。おそらく、マスターが食べ残したお漬物の匂いに引き寄せられたと考えます。今回は、境界から5m以内にあった、服やお弁当、その食べ残しも含めて回収しましたので、魔獣はあきらめて川に戻りました」
「マスター。荒野でお残しはダメです。あと、ごみは必ず回収ください」
「悪かった」
西側から巨大なガラス窓越しに、見事な夕焼けが広がっている。高いビル群など一切ない異世界の地平線へと、ゆっくりと太陽が沈んでいく。
また南側には、驚いたことに、二つの月のうちの片方が、昼間見たのと同じ位置に半月としてぽっかりと浮いていた。
その奇妙な光景に見とれているうちに、周囲が暗くなり始めたので、俺はコンビニかごから、一本の懐中電灯を取り出し、スイッチを入れた。
眩いLEDの光がロビーの床を照らし出すと、目の前でタマが息を呑んだ。
「っ……それは、魔道具ですか?」
「魔道具って言うか、ただの懐中電灯だけど……ほら、やるよ」
ポカンとする彼女の手にそれを握らせると、タマは信じられないものを見るように光を見つめ、やがて潤んだ瞳でこちらをまっすぐ見上げてきた。
「こんな明るい光を放つ魔道具をくださるなんて……ハヤト様、私、もう一生あなたについていきます!」
ロビーが暗くなってきたため、俺はコンビニかごから、もう一本の懐中電灯を取り出し、天井に向けて立てるように置いた。反射光が、簡易的なランプのようにエントランスの一角を照らし出す。
薄暗い空間の中で、コンビニから持って来たハンバーグ弁当ととんカツ弁当の蓋を開けた。漂ってきた匂いに、タマは小さく喉を鳴らすように息を呑む。
「そ、それは、お肉……です、か?」
「ああ、ハンバーグと、こっちはとんカツだ。半分こして食おうぜ」
タマは戸惑いながらも、俺が箸で半分にしたハンバーグを口に運んだ。瞬間、彼女の瞳がパッと見開かれる。
「んっ……! やわらかくて、ジュワっと旨味が……すごく、美味しいです!」
あふれ出る肉汁に目を白黒させながらも、タマは夢中になって頬を緩ませた。まるで小動物ようなその勢いに、俺は思わず苦笑しながら、今度はパン粉に包まれたとんカツを差し出した。
「こっちは、また違った美味さだぞ。ソースもつけてみろよ」
「こ、これも……お肉、なんですか?」
言われるがまま、ソースが染みたキツネ色の衣に歯を立てると、静かなロビーに「サクッ」と心地よい軽快な音が響いた。続けて、引き締まった豚肉の歯ごたえとともに、香ばしい脂の甘みがじわりと舌の上に広がる。タマは言葉を失ったように目を見張り、小さくガッツポーズを作った。
「美味しい……! サクサクと、中のしっかりした旨味が……口いっぱいに広がります。ハヤト様、これはなんていうお肉です?こんなサクサクって初めてです」
「サクサク? ああ、サクサクは、お肉の一部ではなく、油で揚げたパン粉だ」
(……待てよ。お昼からだいぶん経っているのに、なんでまだこんなに衣がサクサクなんだ……?)
内心で首を傾げつつ、俺は「まあ、美味いからいっか」と納得した。
「油で揚げる? 意味は分かりませんが、おいしそうな響きです」
異世界の過酷なサバイバルのあと、ロビーの隅で食べるコンビニ弁当のジャンクな旨さは格別だった。タマは目を輝かせながら、夢中でとんカツを頬張り、その幸せそうな食べっぷりに、俺のほうまで自然と笑みがこぼれてしまうのだった。
食事を終えて一息ついたあと、受付カウンターの下を覗いてみると、そこには予備のクッションと大判のひざ掛けがそれぞれ2組ずつしまわれていた。夜更けとともに冷えてきたロビーの床を考慮し、俺はそれらを使って即席の寝床を作ることにした。
カウンターの傍らにひざ掛けを一枚敷き、クッションの一つともう一枚のひざ掛けをタマに手渡す。
「俺はこっちで寝るから、お前はここでゆっくり休むといい」
そう言って自分の寝床を別に作ろうとすると、タマは不安そうな顔で俺の袖をキュッと引っ張った。
「ひとりは、……心細いです。それに、狭いほうが温かいですし……ダメ、ですか?」
上目遣いでそうねだられては、断る理由などどこにもなかった。結局、一つ分のスペースに二人で身を寄せ合うようにして横たわることになる。彼女の柔らかな体温や甘い香りがダイレクトに伝わってくる。心臓がうるさく鳴り響くのを感じながら身動き一つできずにいると、タマは安心したようにふっと息を漏らし、ほんの数秒で規則正しい寝息を立て始めた。あまりの寝つきの良さに呆れつつも、俺はその無防備な寝顔を眺めながら、静かに目を閉じるのだった。
狭いスペースで身を寄せ合っていたせいか、少しうとうとしたところで、目が覚めた。タマが寝返りを打つようにギュッと強く抱きついてくる。柔らかい身体の密着と、耳元で聞こえる規則正しい寝息のせいで、さっきまでの眠気はすっかりどこかへ吹き飛んでしまう。心臓はバクバクと騒ぎ立て、これでは到底眠れそうにない。
――くそ、こんな状態で眠れるわけがないだろ……!
彼女を起こさないよう、そろそろと慎重に腕を抜け出すと、俺は静かに起き上がり、ロビーの片隅へと移動した。鎮まった空間の中で、インフォメーションボードの青白い電子光だけがぼんやりと辺りを照らしている。俺はアマノに話しかけた。
「おい、アマノ……起きているか?」
ふと疑問に思った。
「そういえば、あのカウンターの下にあったひざ掛けやクッション……あれ、どこから持ってきたんだ?」
すると、アマノは淡々とした調子で解説を返してきた。
「マスター。それらは、先ほど受付カウンターだけをマスターの世界と同化させ、解除するタイミングで向こう側からこちらの空間へと転送してきたものです。明日朝、同じ場所に戻します」
「――は? 向こう側から持ってきたって、勝手にそんなことができるのか?」
「当然です。ダンジョンインテグレートの同化・転送は、こちらから物資や生物を送るだけではありません。同化している領域内であれば、あちらの世界にあるものを、こちらの世界へ取り寄せることが可能です」
アマノの解説によれば、取り寄せる対象に強い意識を集中させていれば、その重量に応じたエネルギーを消費することで、あちらの世界のアイテムをダンジョン側へ引き抜くことができるという。
なるほど、ひざ掛けやクッションは、アマノが気を利かせてこちらに取り寄せたものだったのか。
「マスター。物資の取り寄せは、同化した領域内に限ります。領域外からならマスターが領域内に持ち込むか、マスターの強制送還時にマスターが身に着けるか、または持っている必要があります」
「ああ、それでコンビニからは持って来れたのか。だが、その手段は、ダメだ。他人のものを勝手に持ってきたら窃盗になってしまう。でも、自分の私物なら構わないよな……そうだ、16階のオフィスから私物を回収しよう」
16階からの私物回収作戦を思いついた。
「おい、アマノ。今からエレベーターホール周辺を同化してくれ。すぐに私物を回収してくる。10分で良い、10分経ったら強制回収してくれ」
「マスター、わかりました。但し、重量制限を設けます。10kgまでとしてください。重量に応じてエネルギーが転送に必要というだけでなく、あまり重いと弾かれて時空の狭間に落としてしまう恐れがありますので、10kgの制限を設けさせていただきます」
「わかった。じゃ、エレベーター前に行ってくるので、合図を出してくれ」
アマノの合図とともにエレベーターホールが元世界へと同化し、目の前でエレベーターの扉が静かに開いた。俺はエレベーターに乗り込み、16階のボタンを押す。
チーンという静かな音とともに扉が開き、深夜の16階のオフィスフロアへと足を踏み入れた。
自分のデスクへと急ぎ、愛用のビジネスカバンにノートPCを放り込む。さらに個人ロッカーから、運動靴と室内用のクロックス、分厚い辞書、細々とした文具やシャチハタなどを次々と回収していく。
「くそっ、書類や資料が溜まっているぞ……これ全部持っていったらヤバいか?」
書類の山が目に入った。どうせ辞めるなら全部持って行きたい。
「大量だけど……まあ、10kgの制限内には収まるはずだ!」
常備していた大きめのコンビニ袋にありとあらゆる私物をこれでもかと詰め込み、パンパンに膨れ上がった袋を両腕で抱え込む。残り時間はあとわずか。俺はカウントダウンの待機に入った。
人感センサーが反応し、静まり返ったオフィスで、この一角だけが明るく照らし出されていた。
誰? 声が掛かる。
声の主と目があった。
脳内で冷酷な電子音が響き渡り、転送のカウントゼロ。
重量オーバーか、抱えていた書類の1枚が転移できず宙を舞った。
センサーの感知が途切れ、すっと灯りが消える。
(続く)




