ラックフェルン城
ラックフェルン城の応接室は、豪華な調度品に彩られていた。
ロジーナは一礼すると、ラックフェルン伯爵が座る机へ向かって歩きだした。その後ろを、影のように箱を持ったクレメンスが伏し目がちに続く。
挨拶をすませると、ラックフェルンはチラリとロジーナの後ろに立つ、黒髪の中年男性——クレメンスに目をやった。
「その男は?」
怪訝そうにロジーナへ問う。
「私の、その……」
ロジーナは一瞬だけ言い淀んだ。
意地でも「夫」とは言いたくなかった。
「助手……そう、助手です」
とっさに思いついた言葉で押し切る。クレメンスが訂正するかと警戒したが、予想に反し、彼は無反応だった。
ラックフェルンは興味を失った様子で、視線をロジーナに戻した。
「本日は、依頼されていた宝剣の納品に参りました」
ロジーナは気を取り直してそう告げた。
クレメンスがスッと動き、ラックフェルンの横に控える家令へ箱を渡す。
ラックフェルンは家令から箱を受け取ると、静かに蓋を開け、中に納められた宝剣を取り出した。
「ん?」
眉をピクリと上げる。
「何かございましたでしょうか?」
「キズが……」
そう言いながら、柄にはめ込まれた宝石を確かめるように指でなぞる。
「キズ?」
ロジーナはそっと覗き込んだ。
「ああ、それは最初からあったキズです」
ラックフェルンは疑惑のまなざしをロジーナに向けた。
「最初から?」
「ええ。この宝石のキズと、柄頭のくぼみ、鍔のヤケについては、お預かり時に確認しております」
「家宝だぞ?」
ロジーナはキョトンと首を傾げた。
「キズなどあるはずがない」
「え? お預かり時に確認しましたよね? 特にそのキズは先の五年戦争の際についた名誉のキズだと……」
「そのような話をした覚えはない」
「え?」
「魔術師ごときに、我が家の由来を語る理由がない」
「でも、確かに……」
先日訪れたときのラックフェルンとは、まるで別人のようだ。あの時は始終穏やかで好意的だった。しかし今、目の前の男は猜疑心に満ちた、とりつく島もない冷ややかな目でロジーナを見つめている。
「預かり証」
ふいに、耳元でクレメンスの声がした。
「あ……」
ロジーナは慌ててカバンから書類の束を取り出し、震える手でめくる。
預かり証を見つけたロジーナはホッと息をつき、ラックフェルンに差し出した。
「こちらに。この『預かり証』に記載しています。伯爵様のサインも」
そう言って該当部分を指し示す。
「ほう」
ラックフェルンは書類を手に取った。
「確かに私の署名に見えるな」
「見える、ではなく、ご本人の署名です。私の目の前で書かれましたよね?」
ラックフェルンは返事をしなかった。代わりに書類を机へ戻す。
「後から書き込むことはいくらでもできるだろう」「は? 後から?」
「そうだ」
平然と答えるラックフェルンに、ロジーナの頭は真っ白になった。
「ひ、控えもお渡ししたはずです」
「記憶にないな。なぁ、リカルド」
ラックフェルンは家令に視線を送る。
「はい、マイロード」
家令は右胸に手を当て、恭しく礼をした。
ロジーナは絶句した。
何が起こってるのか、理解が追いつかなかった。
「残念ながら」
背後から静かな声がした。
「その用紙での改ざんは不可能です」
クレメンスは静かに前へ出る。
「不可能?」
ラックフェルンが怪訝な様子でクレメンスを見た。
「魔術師協会の契約専用紙」
クレメンスはゆっくりと手を動かし術を編むと、『預かり証』に触れた。
証書が淡く輝き、記載されていた文字が消える。
「記入時の痕跡をすべて記憶する術式が施されております」
手をかざすと、まるで今ここで誰かが書いているかのように、再び文字が浮かび上がる。
ラックフェルンは目を見開いたまま、その様子を見つめていた。
「お望みならば、片割れも召喚できますが?」
クレメンスは口角を上げ、わざとらしく首を傾げる。その暗紫色の瞳の奥に挑発的な光がみえた。
魔術師協会の契約用紙に仕込まれた術式の厳格さは、ラックフェルンも知っている。ここで隠してある控えまで呼び出されては、完全に逃げ道を塞がれる。
「……ま、魔術で書き換えたな……」
ラックフェルンは苦し紛れの声を出した。
「魔術師協会が信用できないと?」
クレメンスの静かな声に、ラックフェルンは黙った。
応接室は重い沈黙に包まれた。
これ以上言いがかりをつければ、魔術師協会を敵に回す。それは得策ではない。
ラックフェルンはゆっくりと背もたれへ体を預けた。
「……いや。協会の契約専用紙に異論はない」
「左様でございますか」
一瞬だけ悔しそうに『預かり証』を睨んだが、すぐに目の前の男に視線を戻す。
「……どうやら私の勘違いだったようだ」
家令が目を見開いた。
「マイロード……」
「よい」
ラックフェルンは片手を上げた。
「納品は問題なく完了したものとする」
ロジーナはホッと息を吐いた。
ラックフェルンの合図で、家令が静かに金包を差し出す。クレメンスは流れるように静かに受け取ると、床に置かれた鞄を持ち上げた。
「先生。帰りましょう」
ロジーナに声をかけ、にっこりと微笑む。
「……ええ」
返事を確認したクレメンスは、即座に瞬間移動術を展開した。
二人の姿はその場からかき消えた。
「リカルド」
ラックフェルンは二人のいた場所をじっと見つめながら硬い声をだした。
「御前に」
リカルドが静かに進み出た。
「すぐにあの男の身元を探れ」
「あの助手をですか?」
リカルドが怪訝そうに聞き返してくる。
「そうだ。あれは断じて助手などではない」
ラックフェルンは先ほどの助手の様子を思い出していた。
ロジーナの後ろに静かに控えていた様子は、どこからみても助手の振る舞いだった。しかし、話し始めたあとの、まるですべてを見透かしているような物言い、契約用紙の知識、さらにその術式を慣れた様子で展開し、極めつけに即座にロジーナとともに目の前から姿を消すなどという芸当までやってのけた。
おそらく、あれは話に聞いたことがある瞬間移動術に違いない。瞬間移動はごく限られた魔術師しか行使できない。それを即座に、何事もないように使ったのだ。
「……かしこまりました」
リカルドは深く一礼すると、足早に部屋から出ていった。
一人応接室に残ったラックフェルンは、宝剣を掴んだ。
柄をギチギチと握りしめる。
あの男さえいなければ、ロジーナという極上の駒を手に入れることができたはずだった。
一軍にも匹敵すると言われる師範魔術師を配下に置くことができれば、発言力は嫌がおうにも増す。
中央への足掛かりとなるはずだった。
自分は周辺の凡庸な領主たちとは違う。
こんな片田舎の一領主で終わるような自分ではない。
あの小賢しい男の正体を突き止め、対策を練らなければならない。




