第五章:荒くれ鍛冶師のホラ吹きと、パニック大サーカス
「おうおうおう! そこの胡散臭えヒゲのオッサン! いや、偉大なるサーカス団の団長さんよ! 目ェひん剥いてよォく見やがれ!」
町で一番大きな広場に張られた、極彩色のサーカステント。その裏手の荷物置き場で、ゴーゴンの腹の底から響く威勢のいい声が轟いた。
彼の目の前には、シルクハットを被り、立派なカイゼル髭を蓄えたサーカス団の団長が、胡散臭そうな目を細めて立っている。
「……見やがれと言われてもな、そこの蛇頭の兄ちゃん。確かに金ピカに光ってはいるが……どう見てもただの太ったブタじゃないか」
「ブフォ」
団長の指差す先では、黄金の神獣カーバンクルが、地面に落ちていた誰かの食べかけのリンゴの芯を「もしゃもしゃ」と無心に咀嚼していた。その隣ではヤギが団長の衣装の裾をかじろうと狙い、アヒルは水桶の中でバシャバシャと楽しげに水浴びをしている。
「バカ言ってんじゃねえ! これだから素人は困るぜ!」
ゴーゴンは大げさに天を仰ぎ、ドンッと自分の厚い胸板を叩いた。
「いいか、よく聞け! こいつぁただのブタじゃねえ! 神話の時代、天界の門をたった一匹で守り抜いた伝説の宝石獣、『星砕きのカーバンクル』様だ! 三千年の眠りから目覚め、この度、俺たちみたいな下々の者に奇跡を分け与えるために下界へ降り立ったんだよ!」
「ほ、星砕き……? 天界の門……?」
団長のカイゼル髭がピクッと動いた。ゴーゴンはニヤリと笑い、さらに言葉を畳み掛ける。
「そうだ! 見ろ、この額のルビーを! こいつぁただの石じゃねえ、女神様が流した悲しみの涙が結晶化したモンだ! こいつが一声『ブフォ』と鳴けば枯れ木に花が咲き、ため息をつけば不老不死の妙薬になる! 怒らせりゃあ山が三つ吹き飛ぶって寸法よ!」
「す、すごい……! さすが神獣様! 女神様の涙から生まれたんだね!」
団長よりも先に、パラが両手を組んで目をキラキラと輝かせた。
純度百パーセントの尊敬の眼差しである。自分が拾った泥ブタが、まさかそんな壮大なバックボーンを持っていたとは。パラは感動のあまり、カーバンクルの黄金の背中を愛おしそうに撫でた。
(やべえ、この坊主、俺のデタラメを全部信じ切ってやがる……!)
ゴーゴンは内心で冷や汗をかきつつも、営業トークを止めるわけにはいかなかった。
「てなわけで団長さんよ! この神獣様を今日のメインステージに出してみな。玉乗りはおろか、呪いを解くことも、空を飛ぶ魔法をかけることも朝飯前ってなモンよ! 客はひっくり返って喜ぶぜ。もちろん、ギャラは弾んでもらうがな!」
団長はカーバンクルの神々しい輝きと、ゴーゴンの圧倒的な勢いにすっかり呑まれていた。
「よ、よし! 採用だ! 今夜のメインステージ、大トリを任せよう!」
そして迎えた、夜の本番。
超満員の客席は、今か今かと「伝説の神獣」の登場を待ちわびていた。
「さあ皆様! 今宵は伝説の目撃者となっていただきます! 天界より舞い降りし奇跡の獣、カーバンクル様の登場です!」
パァァァン! とファンファーレが鳴り響き、テントの天井から一斉にスポットライトが舞台の中央を照らし出した。
「ブ、ブフォッ!?」
突然の爆音と、目を焼くような強烈な光。
舞台の中心に押し出されたカーバンクルは、完全にパニックに陥った。「星砕き」でも「天界の守護獣」でもない、ただの食い意地が張ったビビリな獣なのだ。
「ブフォォォーッ!!」
カーバンクルは悲鳴のような鳴き声を上げ、舞台上を猛スピードで逃げ回り始めた。
「お、おい! 何やってんだあいつ!」
舞台袖で見ていたゴーゴンが青ざめる。しかし、客席からは「おおお!」と歓声が上がった。黄金の残像を残して駆け回るその姿が、計算され尽くしたアクロバットに見えたのだ。
さらに不運なことに、カーバンクルの逃げる先には、前の演目で使われた巨大な玉乗り用のボールが転がっていた。
「ブフォッ!?」
避けきれずにボールに乗り上げてしまったカーバンクルは、ズルッと足を滑らせた。落ちる! と思った瞬間、生存本能からか、額のルビーがピカッと発光した。自身の周囲の重力(あるいは魔法的引力)を無効化したのだ。
フワリ。
巨大なボールに乗ったままのカーバンクルが、ゆっくりと空中に浮かび上がった。
「「「おおおおおおおっ!!」」」
客席から割れんばかりの拍手喝采が巻き起こる。
「すごい! カーバンクル、玉に乗ったまま空を飛んでる!」
パラが袖でぴょんぴょん飛び跳ねて喜ぶ横で、ゴーゴンは「結果オーライだ……!」と滝のような汗を拭っていた。
しかし、空中に浮いたカーバンクルはさらに混乱していた。パニックが頂点に達し、「ブフォオオオッ!」とやけくそ気味に鳴きながら、額のルビーから赤いビームを乱射し始めた。
ビュン! ビュン!
無軌道に放たれた魔力無効化のビームが、客席へ向かって飛んでいく。
その中の一発が、最前列で見ていた毛深い大男の顔面に直撃した。
「ギャアアアッ……あれ?」
男が悲鳴を上げた直後、彼の全身を覆っていた剛毛が、スルスルと抜け落ちていく。
「お、俺の……『満月の夜にオオカミ男になっちまう呪い』が……解けたァァァ! 神獣様ぁぁぁ!」
オオカミ男だった男が、涙を流してひざまずく。
「すげえ! 本当に呪いを解いたぞ!」
「奇跡だ! 奇跡の獣だ!」
客席はもはや狂乱状態だった。さらに混沌に拍車をかけるように、舞台袖からヤギが猛ダッシュで飛び出してきた。ヤギは空中を漂うカーバンクルの背中を足場にして大ジャンプを決めると、最前列の貴族の頭からシルクハットを見事な手口でひったくり、誇らしげに着地した。
最後にアヒルがトコトコと歩み出て、宙に浮くカーバンクルの真下で、切られた羽を広げて全力のアピールを始めた。客の目には、「神獣の力でアヒルすらも天を目指して踊っている」という、芸術的なフィナーレに見えたらしい。
スタンディングオベーション。鳴り止まない拍手。
舞台の上では、パニックで白目を剥いて気絶寸前のカーバンクルが、ボールの上でぷかぷかと浮き続けていた。
興行は大成功だった。
その日の深夜、サーカス団のテントの裏手では、団員たちによる盛大な宴が開かれていた。
「いやあ、ゴーゴン君! 君の言っていたことは本当だった! うちのサーカス始まって以来の大入りだ! さあ、飲んでくれ、食ってくれ!」
団長が上機嫌で、樽入りのエール酒と山盛りの肉料理を運んでくる。
長机の上には、ローストビーフ、こんがり焼けたソーセージ、チーズがたっぷりとろけたパン、そして温かいポトフが所狭しと並べられていた。
「へっへー! だから言っただろ、俺の目に狂いはねえってな! よし、今日は俺のオゴリだ! ……って、金払うのは団長か。まあいい、飲もうぜ!」
ゴーゴンはすでに顔を真っ赤にして、ジョッキを煽っている。
その横で、パラは目の前の光景に圧倒されて固まっていた。曲芸師の女性が、パラの皿に温かいパンとソーセージを取り分けてくれる。
「これ……僕が、食べていいの?」
「当たり前じゃないか。君たちがあれだけ客を呼んでくれたんだからね」
パラは震える手で、ほかほかと湯気を立てるパンを手に取った。
村にいた頃は、家畜の餌の残りに塩を振っただけの冷たいクズ芋しか食べたことがなかった。柔らかくて、いい匂いがして、人の温もりがこもった食べ物。
パラが一口かじると、口の中にバターの香りと小麦の甘さが広がった。
「……おいしい」
気づけば、パラの目から大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちていた。
「すっごく、おいしいです。こんなおいしいもの、初めて……」
「おうおう、男がメシ食って泣くんじゃねえよ」
ゴーゴンが笑いながらパラの頭をガシガシと撫でる。
テーブルの下では、カーバンクルが骨付き肉を丸呑みにし、ヤギは誰かのサラダからキャベツを盗み食いし、アヒルはこぼれたパン屑を突っついていた。
皆で笑い合い、温かいご飯を食べる。
パラにとって、それは魔法よりもずっと信じられない、幸せな奇跡の時間だった。
――しかし、その幸せな宴は、乱暴な音によって引き裂かれた。
バンッ!!
テントの入り口が蹴り開けられた。
入り口に立っていたのは、ギラギラとした金糸の刺繍が入った悪趣味なコートを着た、恰幅の良い男だった。その後ろには、武装した屈強な護衛たちが十人ほど控えている。
「見世物は終わりだ。団長はどこにいる?」
男は土足で宴の席に上がり込むと、傲慢な視線でテント内を見渡した。
「こ、これはこれは大富豪のドン・ゴルド様……! いかがなさいましたか、このような夜更けに」
団長が慌てて揉み手をしてすり寄るが、ゴルドと呼ばれた富豪は彼を虫でも見るかのように払いのけた。
「手短に済ませよう。先ほどの舞台に出ていた『黄金のブタ』。あれを私が買い取る。100万ゴールドだ。ついでに、あの珍妙なヤギとアヒルもコレクションに加えてやろう」
富豪が指を鳴らすと、護衛の一人が重たい革袋をテーブルの上にドスンと放り投げた。ジャラリ、と鈍い黄金の音が響く。
「ひゃ、100万……!」
団長が息を呑む。一生遊んで暮らせるほどの額だ。
「さあ、さっさとその獣どもを檻に入れろ。私の屋敷の庭に飾ってやる。なに、金ならいくらでも出してやるぞ。この世に金で買えない『道具』などないのだからな」
その言葉を聞いた瞬間。
パンを握りしめていたパラの身体が、ビクッと大きく跳ねた。
(……道具)
(村の財産なんだから、壊れるまでしっかり働けよ)
富豪の濁った目。それは、自分をゴミのように扱い、カーバンクルを「明日の晩御飯」として切り刻もうとした、あの村人たちと全く同じ目だった。
命あるものを、心あるものを、ただの「モノ」としてしか見ていない人間の目。
「ダメだ……」
パラは立ち上がり、富豪の前に立ちはだかった。足はガクガクと震え、声もうわずっていたが、その瞳にはかつてないほどの怒りが宿っていた。
「カーバンクルは、道具じゃない。ヤギさんも、アヒルさんも、売り物なんかじゃない!」
「あァ?」
富豪が不快そうに眉をひそめた。
「なんだこの薄汚いガキは。どけ。金を持たざる下民が私に口答えをするな」
富豪の護衛が剣の柄に手をかけ、パラの胸ぐらを掴もうと腕を伸ばした――その時だった。
「――おいおいおい。せっかくの旨い酒が、豚のクソみたいな匂いで不味くなっちまったじゃねえか」
ガタン、と音を立てて。
ゴーゴンがジョッキをテーブルに置き、ゆっくりと立ち上がった。その頭で蠢く蛇の髪が、まるで生きているかのように怪しくうねり、威嚇するように逆立っている。
「悪いがな、金ピカのオッサン。こいつらは俺の大事な『ダチ』でね。お前みたいなすっとこどっこいには、毛の一本だって売ってやるつもりはねえんだよ」
凄みを含んだゴーゴンの低い声が、テントの中に冷たく響き渡った。




