3・斑紋の赤ずきん⑤
おどおどする傍ら、感心して見入ってしまうハンス。もっとよく見ようと、地についた膝を動かす。その刹那、オオカミと狩人、どちらかの攻撃によってやられたプリーチが、ハンスの目の前に落ちてきた。
半分白目で、びくびくと痙攣を起こしているプリーチの姿を目の当たりにしたハンスは、ぎゃあっ! と悲鳴を上げた。後ろに飛び上がって、尻の片側を強かに打ちつける。
「いーっ!」
ハンスは痛みで、顔をくしゃくしゃにした。たっぷりとした脂肪を持ってしても、痛いものは痛い。体を丸めてハンスは強打したところをさすった。
(いっててて……。ヘマしたな。今の音で、プリーチ達の矛先が自分に向かなきゃいいけど……)
ハンスは後ろを振り向いた。勿論、ハンスの後ろの茂みからもプリーチはやって来ている。だが、プリーチ達はハンスにはわき目も振らず、一直線に赤ずきん達の方へ向かっていった。──よかった、僕には無関心みたいだ。ハンスは安堵した。
「ん? あれ?」
ハンスは尻をさする手を止めた。少し気になったのだ。どうして自分には見向きもせず、素通りしていくのかを。
背後からも来るのなら、どんなに荷車に身を寄せていようと、例え見違えるようなスマート体系だったとしても、絶対に見つかっているはずだ。
自分が戦う勇気のない弱虫だからなのか。それとも、単に武器を所持していないからなのか──前者なら、小動物にも舐められるという情けない話で終わるが、後者なら、赤ずきん達に報告する必要があるかもしれない。こちら側が戦いを投げ出せば、両者の為になるはず。少なくとも、ハンス達はただ道を通りたいだけなのだから。
片手に力を入れて、座り直すハンス。途中で茂みの中から飛び出して来た二体のプリーチに頭を踏みつけられて、バランスを崩したが――いくら眼中にないからって、そこらへんの障害物と一緒くたにする事ないじゃないか! ――、荷車を支えにして、なんとか体勢を立て直した。
するとその時。荷車の方から、小さな物音がするのに気がついた。
カタ……カタカタカタ。カタカタ。
本当に小さな音。今までは、周りのあらゆる音にかき消されて気付かなかったが、一度疑問を抱けば、頭は物音のしっぽを掴もうとする。
ハンスは耳を済ませた。カタカタいう音は、まだ続いている。ちょうど、ネズミが天井を駆け回るそれを彷彿とさせた。
ネズミ──
ハンスはぞっとした。嫌な予感が頭の中を巡る。
ハンスは外れてほしいという思いで、慌てて立ち上がった。
木箱と拾い集めた枝の山。荷車にはそれしか乗っていない……はずなのだ。
それが、今の荷車の中は、小さな獣達が集結していた。プリーチに似ているが、外見が少し違う。同じ種ではあるようだが、プリーチは背中の針がまばらに生えているのに対し、ハンスが目撃した獣は、針が一律の方向──上に向かって突き出ている。
獣の針には、花が無数に刺さっていた。赤、桃、白の三種。コスモスの花だった。
小さな獣達は、プリーチのように鳴きもせず、せっせと仕事に勤しんでいる。仲間と協力して木箱の紐を齧り、体全体を使って蓋を下から持ち上げる。
木箱の蓋が開かれ、中の古い本に光が差すと、ハンスの頭に、ある記憶の断片が流れ込んできた。
──これ以上、それを置いているわけにはいかないだろう。いつまで躊躇うつもりなんだ──
──この子ったら、階段から滑り落ちて大ケガをしたのよ! 足から血を流して、可哀想に……それもこれも全部、悪魔の仕業だわ!──
疲れた。もう疲れた。
──そのままにしておけば、村が崩壊するかもしれないんだ! 手放すのに二の足を踏む気持ちは分かる。だが、みんなの事も考えてくれ!──
疲れた。疲れた。疲れた……。
聞く耳もないそれに、秘かに心の内をぶつける。どうして僕が、こんな目に遭わなくちゃいけないんだ。どうして毎日聞きたくもない責め句を浴びさせられなきゃいけないんだ。
『みんな怖いね。凄く怖い顔。何だかとっても苦しいの。……ねえ、いつか私の病気がよくなったら、この絵本みたいに綺麗な花畑を探しに行きましょう。この場所はとっても退屈。村のお外に出て、自由に駆け回れるようになりたい。ねえ、×××××』
ハンスは、ハッとした。昔の記憶に飛ばされている場合ではない。目の前で木箱が荒らされようとしているんだ。早く止めなければ、早く……。
しかし、このまま放っておいても、木箱の中には捨てる予定のものしかない。
寧ろ、獣達の巣穴に持って行ってもらってはどうだろう。そんな気になってくる。その方が自らの手で捨てるより、ずっと心が軽くなる。全ての重みから、すぐに解放される──
小さな獣達は、ハンスが佇んでいる最中も、せっせと働いている。二手に分かれ、一方は古びた本の上を、その小さな足で忙しなく動き回り、もう一方は木箱を持ち帰ろうと企んでいるのか、何とかして運ぼうと、奮闘している。
いくら仲間が多いとはいえ、本当にこの重い木箱を運ぶつもりでいるのか。ハンスは小バカにしたが、木箱全体が揺れて、前の位置から大きくずれると、ハンスは思わずドキッとした。
少し間が開いて、ズズッ、ズズッと木箱がずれていく。
──そうだ、慌てる事はない。これでいいんだ。
外部からも獣達がやってきて、協力する者が増えていく。
──いいんだ。僕は間違っちゃいない。さっさと持って行ってくれ。
ドクンドクンと早鐘を打つ心臓。複雑に入り組む頭の中。ハンスの両方の目は木箱を捉えて離さない。
今やもう一つの花畑と化した荷車。そうしてついに木箱が浮き、木箱の下にわずかな空間が出来ると、ハンスの中で、何か強い感情が呼び起こされ、爆発した。




