好色
「この女たらしが……、自分が何をしたのか分かってるのか!?」
怒気を顕に詰問するアンリに、飄々と男は答える。
「そりゃもう、見た感じ、その本の呪文がこの娘を苦しめてたみたいだったんで、切りました」
そう、堂々と答える様が、重ねて癪に触るのである。アンリは怒りが呆れへと変わっていくのが分かった。
「あ……、あの、助けていただいて……」
謝意を述べようとするフォラムの口に、男は人差し指を押し当てる。礼には及ばないのだと目で訴える仕草も、さり気なくフォラムの頭に手を回しているのも、いちいち好色めいているというか、キザっぽいというか……。
何となく力の抜ける挙動だが、油断はできない。カリスの集団が取り囲む中に躍り出て、一瞬の内に魔導書を切り捨てたのである。並の相手ではない、とレギウスは、自らの携える剣に手をかけた。しかし、その剣を抜こうとして、彼は唖然とした。何故なら、その柄と刀身が分断されてしまっていたからである。あの瞬間、男が切ったのは魔導書だけではなかったということである。
「うわぁ!?」
同じように剣を抜こうとしたカリスの構成員たちもまた、柄だけも持って喫驚の表情を浮かべている。術式を破壊し、さらに少なくとも十人程の剣を使用不可能の状態に陥れる離れ業をやってのけた優男、ただ者ではない。
「首領、もうフォラムは戦えません。今は彼奴の記憶を消去するに止めて、我々は明日に向けて力を温存するべきかと」
「……くそっ、やむを得んか……」
悔しげな声を掻き消すような轟音と煙幕が、辺りに垂れこめる。それが消えた時にはすでに、カリスの姿はなかった。
「さてと、どうしてこんなところに一人で?」
意識の混濁故であろうか、マナの異常のせいであろうか、それとも命を助けられたからであろうか。ともかくフォラムは、この男から目が離せなかった。心臓が突き上げるように打ちつけ、頬には血の気が戻りながらも、どこか上の空である。今までは、魔術と拳術の探究心に燃えていた瞳が、別の輝きを帯びている。
(どうしたというのですか……、礼を言わなければ……。いや、質問に答えるのが先……?)
この男の顔を見ていると、何か考えが纏まらぬ。ふつと目線を下げたフォラムは、多少早口になりながら、つらつらと述べた。
「あっ、あのっ、私はフォ、フォラム・マランと申しまして、その、齢弱冠二十、魔術を極める修行を行っておりまして……、あの……、助けてくれて、ありがとうございました……」
「お礼なんていいよ。ともかく、君が無事で良かった。あの火の魔鉱石で分かったよ、君が危ない状況にいるってことはね」
そうか、あの音と光か。マナを頼りにしていては、絶対に辿り着けなかったであろう、何せこの一帯のマナは、全て相手方が操ってしまっていたのだから。しかし、あの爆発を、危機を知らせる狼煙のように理解して来ることができる人間は少ないだろう。それができたこの男が、人気のない山にいたことは、フォラムに何某かの運命めいたものを感じさせたのだった。
「さて、そんなことより治療だ、応急処置だ」
そう言って進み出てくる男が、フォラムの身体に触れようとするのを彼女は咄嗟に拒んだ。
「っと、別に変なことしようってんじゃないよ。ほら、治療だもん」
「ごめんなさい、でも、そうじゃないんです。貴方の服が、汚れてしまいますから……」
辺りには、戦いの中で流れ出した血や、胃液等々吐瀉物が撒き散らされている。フォラムの服もまた例に漏れず、自分自身でさえ触れることを厭うような有様であった。
しかし、制止を聞かぬ男は、それに構わず手当を始める。情けないような恥ずかしいような感覚に、フォラムの顔面は紅潮を呈した。
「まぁ、僕は専門家じゃないから、経験則だけど、骨は折れててもそこまでひどくはないみたいだ。病院まで運ぼうか」
そう言うなり、男はフォラムを抱え上げた。右腕は肩口に、左腕は膝下に回される。ついぞこのように男性に抱き抱えられる経験のなかったフォラムは、互いの顔の近さに、目を白黒させた。
「あっ、あああっ……。近い……、ですぅ……」
「ごめんね、でも我慢して。僕こんなんだし、嫌われるのには慣れてるんだ」
「……ッ、そんなこと……、ないです……」
「……えっ、今、何て?」
始終この調子で、フォラムは男に連れられて、サーマンダの病院へと運ばれていったのだった。傷病人が一刻の猶予を争うために、フォラム自身は城壁の内側に通されたが、男の方は締め出しを食らったのだった。
「ま、しょうがないわな」
ため息をつく黒服の男は、よれた襟を正した。願わくば、美しいあの乙女が、また己の望む道を歩めるよう……。と、夕闇を眺めながら祈る。自分で自分を、何と絵になる男であろうか、と自賛しつつ。
「おい、藤貞、お前何をしていたんじゃ」
感傷に浸る男に、不意に声をかけてくる者がいる。ワルハラに来て以来、ずっと行動を共にしていた老人である。ヒカルを追ってサーマンダまで来た二人は、違法にサーマンダの城内に入る手段を持っていた。しかし、若い方の男、藤貞は、フォラムと門番の手前、それを使うことができなかったのだ。
「まったく、あの女を追って出ていって、十二時間もどこにいたんじゃ。こんなに服を汚して……」
「まぁ、固いこと言うなや、おっさん。それより僕、気づいたぜ、何が起ころうとしてるのか。何故、子供が連れ去られたのか」
何が、つまり、カリスが何を計画しているかを掴んだということである。それが分かれば、自分たちも動きやすい。老人は、藤貞の言葉を待つ。勿体ぶる藤貞は、老人の、固唾を飲んだ表情をひとしきり観察した後、ようやく口を開いた。
「ずばり、可愛い女の子を捕まえてぐちゃぐちゃにしてやろうっていう、悪趣味な性癖のためなのだ!!」
「たわけっ!! それではまるでお前ではないか!」
呆れ返る老人をよそに、藤貞は城壁を見据えながら、この国の全ての女性を、カリスの魔の手から守ってみせると、心の中で勝手に誓っていたのであった。




