実力の端々
たどり着いたのは、サーマンダ郊外の岩山である。周りを緑に囲まれているが、そこだけは草木が生え出ておらず、さながら修練場のような雰囲気である。吹きつける風が、何だか強く感じた。
「あの、マルクさん。剣は……?」
さて、彼が鍛錬だというから、ヒカルは老爺から授けられた刀を携えてきた。しかし、急ぐ彼に対して指摘する暇もなかったために、彼が剣を帯びていないという疑問がそのままになってしまっていた。彼は一体、どうやって鍛錬しようというのか。
「そんなの、あ〜、あれで十分だろうさ」
彼が指さしたのは、路傍に転がる、一本の枝であった。太さも、軽い力で曲げられる程度のものでしかなく、とても修練に臨む騎士団の小隊長の手に収まっているものとは思えない。さて、ヒカルもなめられたものである。仮にも老爺に育てられた十年ばかりの時間、常に刀と共にあった少年に相対するには、その武器は明らかに分不相応である。或いは彼の言うように、それでも十分に戦えるという自信があるのだろうか。何とも不敵である。
「分かりました……。構えてください」
覚悟を決めたヒカルの態度に、マルクはにっこりと笑った。
「ふふっ、これを見ても、侮ったり怒ったりしないとは……。やはりハルさんの言ってた通り、よくできてるよ」
まぁ、侮っていないといえば嘘になる。これほどの得物の質の差、勝てるのではないかという想像がなかった訳ではないのである。
その気の緩みが、或いは敗因だったかもしれない。枝を両手で握り直し、顔を上げたマルクの放つ気配は、確かに先程までのそれとは違っていたのだ。この瞬間、ヒカルは自身の敗北を確信した。
まばたきの僅かな間に、マルクの姿が視界から消える。いや、消えるというより、目で捉えられない程の速さで移動したというのが適当である。
(左か……っ!?)
右ききのヒカルにとって、体の左側は、刀を回す時間の分だけの隙ができる弱点になり得る。だからこそ、そちらから仕掛けられるのではないか、という危惧が頭を掠めた。ヒカルは、すぐに横に飛びながら、刀を構え直す。
しかし、再び地面に着地した直後、ヒカルの頭蓋を強い衝撃が貫く。一体何が起こったのか、いや、問うまでもあるまい。裏の裏をかいたマルクの枝が、少年の脳天を打ち抜いたのである。あれ程細い枝が、棍棒のような重さでもって、背後から打ち据えられたのである。思わぬ攻撃に、ヒカルは昏倒しかける、が、すんでのところで耐え切った。
「この位避けてくれないと……。ハルさんやっぱり鈍ってたな、なまくらだな」
ため息をつきつつ、そう残念そうにこぼすマルク。だが、さもありなんとヒカルは思った。この体たらくは、あまりに不甲斐ない。これでは鍛錬にはならない、お互いに実がないではないか。
頭を押さえながらも、足に力を入れて刀を構えるヒカルに、マルクは片眉を上げた。彼も、この時間に意味があるかと考えていたようであったが、再び立ち上がったヒカルを見て、満足そうに枝を握り替えた。
(……ッ!? また消えた……!?)
流石に素早い、一瞬の内に消失するマルク。恐らくヒカルの死角から、虎視眈々と隙を狙っているのだろう。予備動作があれば、どこが狙われるかも目当がつくのだが、その動作が見えないのでは、守りようがない。山勘に頼るしかないのか。
(頭……、次は首か……)
結果、あては外れた。鋭く振るわれる一撃が、ヒカルの腹を打つ。刀と枝はかなり離れていて、掠りもしない。力を入れるも入れないも同じである、ヒカルの体内で腸が捻れるような、胃液ががばりと揺れるような、突き上げるような不快な痛みが去来する。
「どうした、守ってばっかりじゃ勝てないぞ」
(か……、勝つ……?)
ヒカルは、その言葉を一瞬、理解しかねた。勝つ、そんなことがあり得るのか、これ程の実力差がありながら。ヒカルは、その刀がマルクを捉える想像ができなかった。
(この人が持っているのは枝だ、剣じゃない。もしこれが剣だったら……、俺は二度死んでる……)
そう考えるにつけても、身体の奥底からくる震えが、痛む脳髄を、横腹を、きつく締め上げる。だが、それに耐えて攻撃に出なければ、彼が言うように勝つことはできない。
「そんなことじゃ、お前、アテナさんに顔向けできねぇぜ」
「えっ!?」
突然、マルクの口から飛び出したアテナという名前に、ヒカルは驚いて声を上げた。アテナ、彼女がどうしたというのか。彼女は昨日、アレキサンドラに呼ばれて以来見ていないが、今、彼女は何をしているのか――。
「あの子はさ、朝から魔術の特訓してんの。何かあった時、守ってるだけでお前に頼ってばっかりじゃいられないってんで、大魔導師相手にドンパチやってるよ」
この事実がヒカルに与えた衝撃は、脇腹への一撃の比ではなかった。それ程の強い意志で、自分から……。
ヒカルは、自分の手を、そして刀を見た。自分は、彼女といっしょに、この世界を長らく揺らがしている失踪事件という大きな謎に挑む、その資格が果たしてあるのか。この刀で全てを守り切るという誓いを達成する力があるのか。痛む頭を掻き回す自問自答に、勝手に苦しめられるヒカルの様子に、マルクは失望の色を隠さない。
「……骨がない、悪いが並の騎士団員以下だな。ひどい怪我を負わない内に止めるか」
「いいえ、やらせてください」
間髪を入れずに答えたヒカルに、マルクは首を鳴らした。これは、なめてかかろうというのではない、ヒカルの覚悟に呼応し、実力を出していく合図である。




