第二の騎士団隊長
列車は、すぐに暗いトンネルの中に入った。北部の山岳地帯に差しかかったのだろう、車窓には、暗い石壁と外光に照らされた山肌が、交互に写し出されている。
「寒くなってきた……、サーマンダ公国って国は雪国なんですか?」
窓を下ろしたヒカルが尋ねると、ジェームは首を振って、その国がどのようなものであるのかを話してくれた。
「砂漠にオアシスがあるように、サーマンダの周りの山にはマナの湧き出し口がいくつもあるの。そこから噴出しているマナのおかげで、サーマンダは緑豊かな国なのだわ」
サーマンダ公国周辺は雪山、という程ではないが、荒涼とした山々が広がっているという。灰色の岩肌を晒す山々の中、箱庭のような緑がある情景を想像したヒカルは、マナ、魔法の持つ力は、自然の摂理にも常識にも打ち勝つのかと感心した。
そんな話をしている内に、時刻は夜になった。サーマンダ公国への道のりは、どれだけ急いでも三日はかかるというので、簡単な食事を済ませた一行は、そのまま客車で寝てしまうことにした。二段のベッドが前後に二つ収納されており、座席を畳めば、ベッドを展開できるのだ。
夜は暗い、当たり前だが暗い。人間が、ランプを作ったり、或いは魔光燈を用いて市街地から駆逐した夜の暗闇は、人の立ち入れない山や森に、常に潜んでいる。人間がいくら手を尽しても、魔法を使っても、この闇は不可侵なのだと、ヒカルは窓の外を見ながら、ぼんやりと考えていた。
列車の振動に、ヒカルは、ワルハラに連れてこられる時に、一週間という長い時間を軌条の上で過ごしたことを思い出していた。そういえば、彼はその間、刀を振るうことができずに調子が落ちてしまっていたのだと、彼は今さらに思い出した。中々眠れぬ夜だ、少し身体を動かせないかと、彼は身体を起こした。
「寒い……」
デッキに出てみると、果たして、吐き出す息が真っ白になる程に外気は冷たかった。防寒具の類いは、生憎持ち合わせてはいなかった。不用意であったかとヒカルは頭を掻いたが、これでなおのこと、身体を動かしたくなった。
ヒカルは二三歩動き回ってみて、そのデッキが十分な広さであることを確かめ、次に誰か来やしないかと、辺りを見回した。
(まぁ、こんな時間に起きてくる人、いないか)
もとより乗っている人間の少ない列車であったから、その心配はなさそうであった。安全を確信したヒカルは、満を持して刀を抜こうと――。
「はい、ダメ〜」
ヒカルは後ろから現れた人物に、柄にかけた右手を取り押さえられた。鍛錬を邪魔され、驚きながらも怒りを覚えたヒカルは、その人物に何か言ってやろうと振り向きかけて、はたと思いとどまった。この声の主、まるで気配がしなかった。自分は多少ではあるが剣術を齧っており、実戦的な訓練も積んできた。――その自分が気配に気づけないのだ、恐らくヒカル以上の手練の武術者であろう。ヒカルは緊張で身を固めた。
「ど、どなたですか……?」
最後尾の車両であるから、自分に逃げ場はない。自由に動けないという点では、王都の煙の中より危険かもしれない。ヒカルは、なるべくこの人物を刺激しないように、声を落としながらゆっくりと振り返った。
「おっす」
その人物は、気の抜けた声で挨拶してきた。やや垂れた目に、色白の肌は、優しげな印象だが、羽織った白い服から覗く手は傷だらけであった。そして、ヒカルはその服の意匠に見覚えがあった。
「えっ……、騎士団の方……?」
男は大きく頷いた。基本的に、騎士団員は単独で動くことはない、二人一組で編成されているからだ。しかし、単独行動可能な騎士団員もいる。その階級の内の一つが、隊長格の人間である。この気配遮断の技術、隊長か、それに準ずる強さの団員であろうか。
そして、このヒカルの予測は的を射ていた。男は垂れた目尻をさらに下げるように笑んで、恭しく礼をした。
「始めまして、僕はマルク・バルフォエ。ワルハラ騎士団第二隊隊長を務めさせてもらってるよ」
彼は騎士団の一員として前線に向かっていたが、そこで大規模な戦闘に巻き込まれ、挙句敵の魔力兵器のためにマナの循環を狂わされてしまい、養生のためにサーマンダに向かうのだという。それがどれ程まずいことかとヒカルは考えてみたが、彼自身も王都での戦いの中で煙を吸い込んでしまい、腕が重くなっていたことを思い出した。幸い被害は軽微だったが、彼の場合、わざわざ養生のために遠隔地へ出向く程に、症状は重いのだろう。
「そんなに激しい戦闘だったんですか?」
騎士団の隊長、マルクは、ため息混じりに頷いた。
「こんなこと言っちゃ悪いかもしんないけどさ、先に帰っちゃったオーエンのことを、羨ましく感じるくらいヤバかった。いやまぁ、僕たちゃ戦うのが仕事なんだけどね……」
そういえば、彼は帯刀していない。騎士の象徴でもある剣をどこにやったのかと問うと、あまりに剣の状態が悪くなってしまったので、鋳直してもらっているとのことであった。屈強な騎士団員の中でも、特に強い五人の隊長。その一人が、自身の得物をズタズタにされてしまった程の戦闘。
「一体、何があったんですか」
ヒカルの質問に、マルクは空を眺めながら目を細め、二度三度まばたきをした後に、呟くように語り始めた。




