決断の代償
さて、黒魔術師との戦いに決着がついてから、早くも三日が経っていた。あの後皇帝は急用ができたと言って王都を離れてしまい、裁き人なる存在については、聞けず終いになってしまっていた。
「あぁ、ヒカル様。おはようございますですハイ」
トゥラッシはいつもと同じように、料理を作って待っていた。一昨日ヒカルは、彼のために昼食を作ろうと思ったのだが、残飯がごみ捨てに盛り上がった挙句に、皿まで割ってしまって以来、ヒカルは料理作りには一切触れていない。代わりに掃除や洗濯といった、間違えようもない家事ならば手伝ってはいる。いや、一度だけ、ヨハンの作成した作戦資料を捨てそうにはなったが。
「あとあと、今日はお客様がきてますです」
トゥラッシが指し示した先には、青髪の少女、アテナが座っていた。彼女は、パンを頬張りながら、朝の挨拶をしてきた。跳ね上がった心臓を押さえつけて、ヒカルは席に着く。
「ど、どうしたの、朝早くに」
「ふぁ……、ふぁの……。うぅん、あのね。ガリエノさんのお見舞に行こうと思って」
アテナの話では、治療を受けていたガリエノの容態が安定したので、人と会っても問題なくなったということだった。断る理由はないので、ヒカルは快諾した。
ガリエノがいるというのは、帝国立病院の、魔術医療棟である。煙によって身体を蝕まれた人々も、ここに入院させられている。
「おや、君たち。ちょっと……」
二人は、病室を見回っている内に、後ろから誰かに呼び止められた。そこには、髭まで銀色に染まった、白衣の老人が立っていた。彼は自分のことを、皇帝の侍医で、この病院の院長である、ドクトル=ジョシュ・クレイモンだと名乗った。
「君たちは、アテナ君とヒカル君、だね。もしかして、ガリエノ君の見舞いに来たのかい?」
二人が頷くと、ドクトルは眉間に皺を寄せて、何やら考え込むような素振りをした。黙考の後、老人は静かに、諭すように言った。
「二人とも、悪いが、帰った方がいい。ウン、帰りなさい」
「えっ、そんな!」
思わぬ横槍が入ったことに、アテナは覚えず大きな声を出してしまった。その声に、ある病室の中にいた男が過敏に反応した。廊下の奥にある病室の扉が開いたのを横目に見たドクトルは、まずいな、と口を滑らせた。
「ドクトル? 一体どうしたっす、か…………」
病室から出てきた青年、ジャックスは、ヒカルとアテナの姿を見て、身体を強張らせた。
部屋の中にはベッドが一つだけしかない。そのせいで、部屋はやたらと広く感じた。そこに横たわっているのが、ジャックスの相棒、ガリエノである。
「ジャックスさん、その、寝てなくてもいいんですか」
ガリエノを見守るジャックスは、身体中傷だらけであった。頬にはガーゼが、指には包帯が巻かれ、何とも痛々しい。恐らく彼は、同じ病院の身体治療病棟に入院しているのだろう。
「……俺はいいんっすよ。ただ……」
彼は俯いて、顎でガリエノを示した。ガリエノは浅い呼吸を、一定の間隔で繰り返しているのみ、ヒカルとアテナの来訪にすら、気づいていない様子である。彼は煙に覆われていたと聞く、その時の影響が強く、いわゆる植物状態となってしまったのである。
「ドクトルの話では、今日、目覚めるかもしれないし、一生目覚めないかもしれないらしいっす」
「そんな……、何で」
そう言葉を紡ぎかけたヒカルは、ジャックスと目が合った。深い悲しみの中に、一抹の怒りの感情が浮かんでいる。
「俺は、どうしたらいいのか分かんねぇっす。黒魔術師を恨もうにも、もう死んだっていうし……。あぁ、何でこうなったんっすか…………」
「あのだね……、忘れろとは言わんが、ジャックス君、君が立ち直れなければ、君の相棒がきっと悲しむだろう」
老医師の言葉は、ジャックスの怒りの琴線に触れたようだ。彼は怒りに任せて怒鳴りつけた。
「分かってるっすよそんくらい!! でも、考えちゃうんすよ、どこかで間違ったんじゃないかって。もしかしたら、今より犠牲は大きくなったかもしれないけど、ガリエノは助かる道もあったんじゃないかって……」
彼は、憤慨と自己嫌悪の念がこもった、自嘲気味なため息をついた。その分岐点には、ヒカルとアテナが、アルジェンタの墓石破壊を阻止した出来事も含まれているのだろう。彼は、そんなことを考える度に、自分の相棒と、守るべき人々の命を量りにかける自分に辟易していた。それをこの三日間、ずっと考えていたのだ。――ドクトルが、見舞いに来た二人を止めた意味が、ヒカルにはやっと分かったのだった。
「……ごめんっす。ちょっと、ガリエノと二人切りにして欲しいっす」
そう言い放ち、背を向けるジャックスの前に、ヒカルとアテナ、それにドクトルは、そうせざるを得なかった。
「いや、本当にすまなかった。彼の気持も、君たちの気持も、考えてあげられなかった」
塞ぎ込むドクトルに、二人は申し訳なくなった。もちろん、この老医師だけではない。ジャックスとガリエノ、二人の騎士の人生は、閉ざさる方向に向かってしまった、その責任は、二人に大きくのしかかってきた。
「いや、俺が悪いです」
「ヒカルだけじゃない、私だって……」
「いや、もういい。君たちがこれ以上なく頑張っていたのは、ジャックス君も重々承知しているんだ。ただ、今はそれを認める勇気がないだけなんだよ」
二人に、そして自分自身にも言い聞かせるように、ドクトルはそう述べた。その優しさは、返って重しのように、二人の心を締めつけた。
「ヒカル……、私たち、どうしたらいいのかな」
何もない両の掌をじっと見つめながら、アテナが聞いてきた。ヒカルもその答えを探し求めていたのだが、しかし、簡単には見つかりそうもない。
「それでも、今できることはあるはずだ……。絶対、ガリエノさんも助けてみせる」
ヒカルの言葉に、アテナも無言で頷いた。そうして二人は病院の廊下を歩いていったのだった。
「あ、やっと出てきた」
病院を出た二人に、声をかけた者がある。それは、壁にもたれかかった長身の女性、大魔導師のアルジェンタであった。
「早速だけど、渡したいものがある」
彼女は、白い便箋を手渡した。差出人は、イヴァンとなっている。つまりこれは、皇帝、イヴァンが送ってよこしたものであるということだ。
「皇帝からの密命で、僕といっしょに東へ行くことになった。詳しくは列車の中で話そう」
そう言うなり、アルジェンタは踵を返して行ってしまった。感傷に浸る暇もなく、二人の前には次なる困難が待ち受けていた。




