顛末
「……空だ」
「空だ!!」
「やったぞぉーっ!!」
王城から、ことの顛末をうかがっていた民衆は、煙によって閉ざされていた蒼穹が再び現れたことで、決着がついたこと、自分たちが、皇帝が勝利したのだと確信した。歓声が上がり、見ず知らずの人間と抱き合う。どこから始まったか分からない、国歌の歌唱は、すぐに全体へと広がっていった。
そんな楽しげな様子を、大魔導師、ジェームは微笑を浮かべながら眺めていた。
「まったく、今まで生死の瀬戸際にいたっていうのに、お気楽な人たちだこと」
「そういう大魔導師様も、嬉しそうですね」
不意に現れたカスパーに声をかけられたジェームは、少しムッとした表情を浮かべて応えた。
「当たり前よ、まさか私のことを、慶事も素直に喜べない偏屈だと思っていたというのかしら」
カスパーは、ぎょっとした顔になって、そういう訳では……、と口ごもった。その様子がまた何とも可笑しく、ジェームは、彼女としては珍しく、声を上げて笑ってしまった。
同じ頃、城下ではイヴァンが上空を見上げていた。太陽はここまで眩しかったかと目を細め、それでいながら、彼は眼底の痛みすらも快く感じていた。
「煙が晴れたな……。よし、皆よくやってくれた!」
イヴァンの慰労の言葉に、彼を取り囲む騎士団員たちは歓呼の声でもって応じた。しかし、まだ終わりではない。黒魔術師の死を確認しない限り、気は抜けない。周到な彼のことだ、作戦が失敗したとしても、逃げの手を打てるように、算段をつけているかもしれない。皇帝の予想通り、黒魔術師は、皇帝が雷を落とした場所にはいなかった。
「祝勝の宴は、黒魔術師を磔刑に処して初めて開くことができるのだ。探せ!!」
皇帝の号令のもと、騎士団員たちは次々に黒魔術師捜索を開始した。
噴水の側の建物の中では、ハルシュタインが外の様子をうかがっていた。その表情が晴れ上がったことで、魔法の使えないメリアも、事態が終息したことを理解した。
「煙は……?」
「えぇ、もう一片も残してはいないでしょう」
テロメアの聖杯を使った策は、成功に終わった。提案者のイーリスも、今頃エルヴェ卿と喜びを分かちあっていることだろう。ハルシュタインにとっては、自分の不甲斐なさを痛感させられた事件ではあったが、一連の出来事は大団円で終幕を迎えられそうであった。
しかし、まだ黒魔術師の謎が残っている。そんな疑問が頭を掠めた時、ハルシュタインは、建物の外に異様な気配を感知した。
煙とも、霊とも、骸骨とも違う、常人のものではなく、見るに耐えないようなおぞましい気配。地の国から這い出てきた死者の念を身に纏ったかのような、或いは人の悪意という悪意を煮詰めたかのような、不快感の塊ともいうべき、名状し難いそれが、こちらに近づいてくる。
(間違いない、黒魔術師だ……!)
とたんに、掌に汗が吹き出る。この災禍の渦の中心にいて、皇帝も民衆も、全てを巻き込んだ混沌を生み出した狂人、それが自分の目の前にいる。一体何が目的なのか、分からない。何故彼はここまで来たのか、考えている内に、黒魔術師の姿が見えてきた。
「えっ……?」
それは、初老の痩せこけた男であった。不健康な土気色の顔が、長いローブと伸び放題の髪のせいで半分程隠れた、みすぼらしい男であった。その異質な雰囲気なしでは、見過ごしてしまいそうな印象であった。
「とっ、止まりなさいっ! 貴方が、く、黒魔術師ですね?」
緊張に押し負けて、声が小刻みに震える。しかし、男は制止を聞かず、――本当に聞こえていないのかもしれないが――歩く速度を落とさずに、ハルシュタインとの距離を詰めていく。そして、ハルシュタインが一歩を踏み出し、剣を振れば、喉を掻き切ることができる距離まで、彼は近づいてきた。
「お前が、メリア・ユリェーツか……?」
ハルシュタインは、一瞬、彼の発言の意図が掴めなかった。しかし、彼を観察する内に、それを何となく理解した。藪睨みの目は濁り切っている。魔術儀式の代償か、攻撃を受けたことによるものなのか、はたまた生活環境によるのかは定かではなかったが、目も見えていないのだろうし、マナの気配を感じる感覚すら狂ってしまったのだろう。野望破れた黒魔術師は、惨めな老骨に成り下がっていた。
「私は、ワルハラ騎士団のハルシュタイン・アドラーです。貴方は、一体メリアさんの何だというのですか」
黒魔術師は、それには答えずに、ゆっくりと歩き始めた。身体を支える杖も、何一つ持ち合わせていない男は、力を使い切ってしまい、足元が覚束なかった。その様子があまりにも弱々しく、ハルシュタインは剣を振るうことを躊躇した。彼女の直すべきところ、不用意な優しさが出たのかもしれない。
黒魔術師は、建物群の方に向かって、再び声をかける。かすかな物音を頼りに、ひたすらにメリアを探す姿に、ハルシュタインは何も言えなかった。
「お前が、メリア・ユリェーツか……?」
やがてその問いかけは、メリアがいる建物に投げかけられた。心配そうな様子のメリアは、ハルシュタインの反応を確かめるようにしながら、黒魔術師の呼びかけに仕方なく答えた。
「はい……」
日の光の中で、メリアは黒魔術師に相対する。その顔を覗き込んだ彼女は、困惑と葛藤と、怒りと嘆きと、様々な感情を一筋の涙に乗せて、ポツリと呟いた。
「やっぱり……、何で、違うって信じてたのに……!!」
黒魔術師は、俯いて口を閉ざしてしまった。その態度に、メリアの心情が沸騰する。彼女は男の胸ぐらを掴み上げて、まくし立てる。
「何とか言ってよ! お父さん……っ!!」
それは、この親子の精神を切り刻む程に、二人の過去も、現在も全てまとめて破壊し尽くしてしまう程に、残酷な鋭さを持った、核心的な一言であった。




