補佐官ハルシュタインの戦い
ハルシュタインとともに帰還したロロを、メリアは優しく抱き上げた。
「ごめんね……、私、何も見えてないから」
魔法を使えず、マナの感知もできないメリアには、煙も霊も、骸骨も見えていない。故に、魔法を僅かながら使用できるアテナの側を僅か離れられなかったのだ。仕方ないことだとは分かっているものの、ロロは不満気な顔になった。
「そんなことより、アテナさん。先程の魔法は……」
手を握ったり、開いたりと、何やら釈然としない様子のアテナは、もう一度ハルシュタインに呼ばれて気がついたようだった。
「……あっ、ごめんなさい、ぼうっとしてて。魔法の話、ですよね?」
ロロの命を救った盾、しかしそれは偶然の産物だった、或いは思いの強さがもたらした奇跡か。どちらにせよ、確実性に欠けるものであるのは明らかであった。
「じゃあ無理じゃん、どうすんのさ、私の杖はもうどっかいっちゃったし……」
頬を膨らませたロロは、腕を組んで座り込んでしまった。だが、落ち着いて考えている暇はない。煙は迫ってきており、いつ自分たちが飲み込まれるか分からない。一刻も早く、噴水の中にある聖杯を取り出さねばならない――。
「私が行きます」
鈴を転がすような、凛とした声が響いた。声の主は、青髪の少女、アテナである。眉間に力が入り、瞳には処決の光が宿っている。
「自分の目の前になら、ちゃんと盾は出すことができます。だったら、私が行った方がいいでしょう?」
「それはそうですが……」
ハルシュタインは、アテナを止めようとして、その気迫に押し黙らされた。決然たる眼は、揺らぐことなく一点を見つめている。その先にあるのは、未来であり、希望である――。どれだけ危機的な状況でも、決して失われることのない可能性の集合を、彼女は志向している。
勇気、蛮勇でも、或いは義務感でもない強い意志に、ハルシュタインはアテナの提案を首肯せざるを得なかった。騎士団という戦闘集団に属するハルシュタインの了承を得た青髪の少女は、靴のつま先を二度三度、地面に叩きつけて、脱げないかどうかを確かめた。
「じゃあ、行ってきます」
「あ、お姉さんはうちのメリアのこと、よろしくね〜」
そんな様子で、アテナとロロは再び、骸骨の元へと発ったのであった。残された二人の女性は、戦いに身を踊らせる少女たちを、ただただ見送るしかなかった。
「大丈夫なんですかね、あの子たち……」
メリアは、不安気に自らの身体に腕を回した。自分と同じ時間を共有してきた、いわば自分の一部といってもいいような人形が、消えてしまうかもしれないという恐怖に、きつく身体を抱いた。
「何かあったら、私も身を呈して皆を守ろうと思っています。今は、煙や霊に捕まらないようにしないと……」
そう呟いたハルシュタインに、再び大きなマナの揺らぎが襲いくる。恐らく骸骨の攻撃を、アテナが盾で防いだのだろう、小窓から覗くと、青髪の少女と小さな人形が、蝶のように軽い動きで、骸骨を相手取っているところだった。
(私も、骸骨と戦った方がいいのか……? でも煙がメリアさんを察知して伸びてきたら、彼女は回避できない。それに、こんな私で、骸骨を相手に戦えるの……?)
ひょっとしたら、自分は怖いのかもしれない、とハルシュタインは自問自答した。今まで、曲者揃いの騎士団を統括するために、強い自分を演じてきた、否、演じざるを得なかった彼女にとって、経験したことのない煙、霊、そして骸骨が怖い。普段は、あれ程団員たちに、命を惜しむなと述べている自分が、身体を蝕まれるような感覚に、一歩を踏み出せずにいる。メリアを守るためだといって、人形の言いつけを守ってここを動かないというのは、保身のための単なる理由づけに過ぎないのではないかと、彼女は苦悶した。
「大丈夫ですか? その……、震えが……」
背後からメリアに声をかけられ、ハルシュタインは喫驚した、心臓が止まったのかとさえ錯覚した。それ程に彼女の精神は張り詰めていた。ふと、自分の膝に置かれていた左手を見ると、細かく痙攣を起こしていた。悪い発作だ、都合が悪くなると、いつもこうなる。
(駄目だ、やっぱり怖いんだ)
もし仮に死ぬとしたら、やはり華々しく、そして正しきをなして死にたいと思うのは、彼女だけではあるまい。ただ、現実はそう都合よくはできていない。口では大丈夫だと言っても、身体はその場から動こうとしないのだ。
「よかった……。それにしても、アテナちゃんも大丈夫でしょうか」
メリアの心配する気持も、ハルシュタインには痛い程分かる。彼女は人一倍優しいところがあって、それでいて心が強いのだ。だから、骸骨に自分から向かって行けるのだと、そう考えていた。
だが、メリアが紡いだ一言に、ハルシュタインは愕然とさせられた。
「だって……、あんなに手が震えてたし、心配で……。でも私、アテナちゃんにもロロにも、何もしてあげられなくて……」
そう言ってメリアは、目尻の光るものを拭い取った。その様子を、ハルシュタインはただ呆然と見つめるしかなかった。
アテナが自らの覚悟を語った時、後ろに組んだ彼女の手が、緊張と恐怖に震えているのを、メリアは後ろから見ていたのだ。心は潰れる程に痛んだが、自分が何か口出しできる筋はないと、唇を閉したのだった。
(アテナさんも、私と同じように……。違う、私と同じなんかじゃない、あの子は踏み出すことができたのに、それなのに!)
ハルシュタインは、自分の身体の奥底が死の恐怖に縛られていることを、これ以上ない形で再認識した。あまりに辛い仕打ちに、彼女は自らの命を守る剣を手放しそうになった。




