淡く煌めきし盾
走っていく内に、煙の前線面がどんどん大きく立ち上がって見える。そこにあったはずの蒼穹をかき消して、煙は建物も街灯も無視しながら、常に一定の速度で、王都内部を侵略する。その向こう側がどうなっているのか、濁りきった壁のような煙は明かしてはくれない。
「さて、噴水はこの先なんだけど……」
オーエンは、つい言葉尻を言い淀んだ。無理もない。煙は想像を超える密度で、圧倒的な存在感でそこにある。風すらも通さない、不気味な物体としての煙は、到底払いきることなどできそうもないという印象を与える。
「僕に、僕たちにできるのかなぁ」
「それでも、時間は無駄にできません……、行きましょう」
ハルシュタインが先陣を切って歩みだしたその時、煙の壁の一部が盛り上がった。
「……! ハルさん!!」
オーエンの叫びに、一瞬足を止めたハルシュタイン。その隙を見逃すまいとするかのように、壁の盛り上がりは矢のように、投げ槍のように、彼女一人を撃とうと真っ直ぐに伸びる。
「――――ッ!」
声を出す暇すらない、最期の言葉を伝えることすら許そうとしない、凄まじい突き。この世で最も凶暴な速さで、ハルシュタインの喉笛、或いは胸を狙い来る……。
(あっ……、私は死んだんだ)
不可思議な感覚であった、実際、自分の心臓はいまだに動きを止めていない。身体に温もりもあり、冷たいながらに汗も流れている。だのに、自分がまるで生きている気がしない。予定されている死を、自分が受け入れたということか、或いは、明日の自分を想像できなくなったからか。思考を放棄したハルシュタインは、手から剣を滑らせ、眠りに落ちるように目を閉じた。
ガガーーーーッッ!!
なくなりかけた意識は、耳元でけたたましく鳴る轟音によって、即座に引き戻される。同時に、血飛沫のように飛んできた煙の欠片が、その機能を失い、頬に叩きつけられては地面に落ちる。生温かい、気持の悪い感覚が、脳髄を震わせる。
まるで、激流がせき止められたかのような轟音。その正体は、防御魔法によって現出した盾が、煙の槍を弾く音であった。淡緑の盾を構える少女、アテナは、たった一人でその衝撃を受け止める。その光景を、ハルシュタインは呆然と見つめる。彼女の細剣が落ちる音が、遅れて聞こえる。
一体何があったのか、起こったこと自体は単純だ。アテナが防御魔法を発動したことで、彼女の放つ魔力がハルシュタインのそれを上回ったために、煙の軌道が変わったのだ。だが、いくら簡単な原理だったとしても、それを実行に移すことは難しい。自身の身の安全を捨てて、魔法の未熟な者が煙に立ち向かうなど……。
「ぅああぁぁぁぁーーーーッ!!」
アテナの叫びとともに魔力が再び強まり、半透明の盾が輝く。すると、煙もそれに応戦するように、より太く、速く、重くなっていく。槍のようであったそれは、柱のようになり、目標を青髪の少女に絞り、攻撃を続ける。
このままでは、アテナが煙に飲み込まれてしまう。しかし、これ程の魔力に対抗できる人間はここにはいない、大魔導師に助けを求めることもできない。ヒカルの刀であっても、オーエンの剣技であっても、この太さは切ることはできない。
「ヒカルくん!!」
オーエンの声が鋭く響く。彼は吊られてない方の手で、腰に帯びていた聖剣を抜き、天上に向けて掲げた。“上だ”というメッセージだ、ヒカルはそう受け取った。
「アテナ、上だ! 上に弾くんだ!!」
ヒカルの叫びに、アテナは小さく頷く。ずりずりと押し下げられていく足に力を入れ、渾身の力を込めて、盾を振り上げる。
何かがぶつかり合うような鈍い音がして、煙の柱は、込められた力そのまま打ち上げられる。柱は、黒魔術師の作り上げたドームの天井を破り、天空を目指して突き進む。しかし、勢いを失うと、再び一行を目指して急降下を開始する。
「……もう、防御できる力なんて、ないよ……?」
肩で息をするアテナを支え、ヒカルは少しだけ、口角を持ち上げた。
「大丈夫。俺とオーエンさんできっと、何とかしてみせるから」
隕石のように落下してくる煙の柱に、ヒカルも刀を抜いて構える。二人の剣士は、あの落ちてくる巨大な柱を、引力と慣性に任せて切るつもりなのだ。上から落ちてくる煙の柱なら、落下の勢いがついているために、横に走る柱よりも速く、煙に捕らわれることもなく切り伏せることができる。……頭でそう理解していても、本当にできるかは分からない。しかし、その他の方法を考えている暇はない。
(アルジェンタさんなら、こんなこと絶対にやらないだろうな。でも、世の中には不合理じゃないと解決できないこともある!!)
剣と刀を十文字に重ね合わせ、柱が落ちてくるのを待つ。待つといっても、ものの数秒である。柱の底面は、徐々に大きく、太くなっていき……。
僅かなまばたきの間に、腕にとてつもない衝撃がかかる。刀が折れるのではないか、それとも自分の骨が折れるのが先か、そんな考えを抱かせる激痛が、ヒカルの身体中を駆け巡る。そんなことを考えられたのも初めの内だけで、次々寄せてくる痛みの波に、脳の処理が追いつかない。心臓が負荷に耐えられずに爆発し、血流の速さ故に血が沸騰しそうだ。それでも歯を食いしばって耐える。耐える。耐える……。




